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司法の危機(2014)

司法の危機
Saven Satow
May, 29, 2014

「政治倫理。信頼の基礎、裁判に介入せず」。
中曽根康弘『年末または年頭所感のためのメモ』

 1964年に誕生して以降、佐藤栄作内閣は政権基盤を盤石にし、統治を進める。国会では多党化もあって自民党は安定多数を維持している。また、党内を見ても、河野一郎を始め有力政治家が相次いで亡くなり、佐藤を追い落とすライバルがいない。永田町には佐藤政権を脅かす動きはもはやない。

 しかし、憲法上自治や独立が認められている領域が佐藤政権に異議を申し立てる。司法もその一つである。1966年の全逓東京中郵事件を始め、裁判所は自民党の右派政治家の意にそぐわない判決をいくつも示す。1970年前後、自身に都合よくするため、自民党が裁判官人事に介入を企てる。メディアはこの動きが司法の独立を脅かすとして「司法の危機」と批判していく。

 きっかけとなった全逓東京中郵事件判決で、最高裁は公務員の労働権を広く認め、制約を最小限にすべきと述べている。自民党には組合と激しい選挙戦を闘う議員も少なくない。彼らにとってこの判決は次期選挙の当落に関わる。また、労働運動を敵視するイデオロギーを信じる議員もいる。彼らにはその増長につながることなど認められない。ところが、69年、都教組事件において、58年の勤務評定闘争をめぐって訴追された教職員に対して、裁判所は同様の判断を示す。これで自民党の血圧が上がってしまう。

 同じ69年、自民党は長沼ナイキ事件の担当裁判長を問題視する。彼が青年法律家協会に所属していたからだ。同団体は日本国憲法を擁護し、平和と民主主義、基本的人権を守ることを目的として1954年に設立されているが、特定政党の関連組織ではない。戦後になって政治色の強い事件が続々と裁判所に持ちこまれるなど大きな変化を迎えたけれども、司法が新しい社会に必ずしも適応できていない。法曹界はあるべき司法の姿を模索し、同協会もそうした試みの一つである。

 自民党はこの組織に属する法律家を裁判官に新任・再任すべきでないと声高に主張するのみならず、政調会に司法制度調査会を発足、調べ始める。

 司法の独立は、大津事件以来、近代日本の矜持である。メディアは自民党の裁判官人事介入の動向を糾弾する。三権分立は近代国家体制の根本原理の一つである。自民党はこれを侵すものであり、事態は「司法の危機」である。

 戦後、最高裁は内閣・国会からの圧力とメディアによる裁判批判に対抗して司法の独立を確保することに腐心している。こうした中、最高裁が異例のメッセージを発し始める。1970年、「政治的色彩を帯びた団体に加入することは慎むべきである」と岸盛一事務総長が談話を発表する。また、石田和外(かずと)最高裁長官は記者会見で「極端な国家主義者、軍国主義者、はっきりとした共産主義者」を裁判官として好ましくないと述べている。最高裁は裁判官の思想信条を問題視し、自民党に妥協的な姿勢を明らかにしている。

 71年3月、事務総局は青法協所属の裁判官の再任、同司法研修生の新任をそれぞれ拒否し、メディアが追及する。しかし、この措置の理由を開示しなかったため、メディアの血圧もさらに上がっていく。

 佐藤内閣退陣後の73年4月25日、最高裁は全農林警職法事件において公務員の争議権を原則禁止とする判断を示す。全逓東京中郵事件判決以来続いてきた流れはここで変わる。

 同年5月、石田の後任の村上朝一長官は就任挨拶で「司法の危機は存在しない」と述べる。前任長官まで最高裁は裁判所の在り方についてメディアを通じて国民に語りかけてきたが、彼以降そうした発言を控えるようになる。自民党からの裁判所批判も沈静化し、メディアも事務総局による人事措置を取り上げなくなっていく。これ以後、政治色の強い事件に関して裁判所は門前払いの判断を示すことさえ少なくない。

 このように経過をたどると、自民党の人事介入に裁判所が屈服したかに見える。司法の危機は解決されたと言うよりも、立ち消えになったのが実情である。論争は定義や範囲などが明確であるなど構造化されていると深化・発展するが、そうなっていない。しかし、実際には裁判所は必ずしも負け犬とは言えない。

 73年4月4日、最高裁判所は戦後最も重要な判断の一つを示す。刑法第200条の尊属殺人の重罰規定について、普通殺に関する同199条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いと認められ、憲法14条1項に違反して無効だと述べる。これは既存の法律に対して違憲立法審査権が発動された戦後初めてのケースである。しかも、この多数意見には石田和外裁判長も含まれている。

 法の支配の理念に則り、内閣は、違憲とされる法律の規定に関して、憲法上誠実執行義務を免除される。免除を否定する法律は認められないのだから、立法府である国会の裁量にも限界がある。そのため、裁判所がそうした法率に違憲判断を示す必要がある。立法目的と達成手段の間の合理的関係性は、社会的事実によって支えられている。これはそうした立法事実論に立った判決である。行政や立法の限界を指摘した上での司法判断である。政権が人事介入をしても、モンテスキュー以来の「法の精神」に従い、司法の独立として裁判所は内閣や国会に向けて違憲判決を出す。政治が人事に介入しても、司法は裁判を通じてその独立を示す。人事政策をすれば思い通りにできるわけではない。

 尊属殺人事件の判決に政治的メッセージがこめられているとは言えないだろう。ただ、以降、裁判所が時折政治に対する独立性を明示してきたことは確かである。

 85年7月の衆議院定数訴訟において、不均衡が続く状態を違憲と裁判所が例示する。当時の中曽根康弘首相は定数是正を図らなければ選挙ができないのは解散権の制約だと不満を覚え、翌年の1月、司法の「オーバーラン」と言い表す。それに対し、矢口洪一最高裁長官は、記者に、「特段に意見を述べることはない」とし、その上で、「どうしても必要なら裁判の場で示せばよいから」と答えている。70年代以後の最高裁の姿勢はこれに要約できるだろう。

 けれども、司法のメッセージを政治が真摯に受けとめてきたとは言い難い。一票の格差問題に対して、裁判所は「違憲状態」の判断を表わしてその改善を促している。しかし、政治はそれに応えず、軽んじているようでさえある。違憲状態のまま実施された総選挙によって、12年末、安倍晋三内閣が誕生する。その後ろめたさを感じることもなく、この首班は改憲を目指している。

 安倍内閣は、発足以来、各方面で「お友だち人事」を進め、恣意的な政策をしやすいようにしている。安倍首相の主張はほとんど狂信であって、その理由や根拠を説明せず、情緒的な思いを並べ立てる。選挙で勝ったのだから、やりたいようにやると性急に事を運ぼうとする。

 安倍内閣は近代日本の政治原理である立憲主義をないがしろにすることも多い。内閣法制局長の人事に介入し、憲法解釈を閣議決定で変更しようというたくらみはその最たる例だ。憲法は最高法規であり、歴代政権は最大限尊重している。安倍内閣はその蓄積を人事介入によって台無しにしようとする。人事権を乱用して憲法を骨抜きにしようというわけだ。

 「民主主義の危機」と国内外から懸念が高まる中、2014年5月21日、福井地裁は、大飯原発差し止め訴訟において、再稼働を認めない判断を示す。原発の安全性をめぐって関係組織の人事がとりだたされる。人事政策を含め原発の再稼働を既定路線として進めている安倍内閣には寝耳に水の判断である。この判決は大飯の再稼働の是非にとどまらず、そもそも地震国であり、フクシマが現在進行中の日本が原発を持てるかどうかさえ問い直している。それは安全基準以前の安全性の問題である。フクシマが起きた以上、危険性ではなく、安全性を立証できない限り、事業者が原発を稼働させることはできない。

 人事介入されながらも、「どうしても必要なら裁判の場で示せばよいから」としてきた裁判所である。そうは言っても、この例示に政治的メッセージがあるかどうかは定かではない。ただ、人事を牛耳れば、いかなることも思い通りにできるのはとんでもない勘違いだということは確かである。権力は人事に介入し、思い通りにしようとする。しかし、そうされても、自分のフィールドで独立性を示し得る。
〈了〉
参照文献
天川晃他、『日本政治外交史』、放送大学教育振興会、2007年

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