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麻生「いつまで生きる?」発言と七億婆(2016)

麻生「いつまで生きる?」発言と七億婆
Saven Satow
Jun. 20, 2016

「老人のいない家は、井戸のない果樹園と似ている」。
アラブの諺

 麻生太郎財務相は、2016年6月17日、北海道小樽市で開かれた自民党支部大会で講演し、「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」と軽口を叩いています。彼は以前にも長寿を迷惑がる発言をしています。13年1月「政府の金でやってもらっていると思うと、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうとか、いろんなことを考えないといけない」と言っています。

 麻生大臣は靴墨で染めたような頭ですが、75歳で、安倍晋三内閣の最年長閣僚です。いわゆる後期高齢者なのに、長寿を揶揄する発言が多いのも不思議です。自分では若いつもりなのかもしれません。

 けれども、日本の伝統では老人でなければ政治家になれません。近世では政治の役割は若者と大人に年齢で分けられます。若者が担当するのは役人です。奉行はこの若者に属します。

 一方、大人の担うのが政治家です。統治の意思決定をするためには、知識や知恵、経験が必要です。年齢を重ねてそうしたものを積まなければ、責任を果たせません。役職には「老中」や「家老」など「老」のつくものがあります。これが大人を意味し、その役職は政治家を指します。

 ちなみに、関ケ原の合戦の西軍の総大将は、巷で誤解されていますが、石田三成ではありません。当時の彼は40歳弱です。若者に属しますから、総大将にはなれません。東軍の総大将の徳川家康は55歳を超えています。石田三成では年齢の釣り合いがとれません。実は、45歳を超えた毛利輝元が西軍の総大将です。

 ところで、日本の昔ばなしには長寿自慢の物語があります。それが『としくらべ』です。このお話は安倍晋三首相の地元の山口県に伝わっているものです。実在と架空、日本と中国が入り混じり、年齢を比べるなどまるでドリフのコントです。

 昔、あるところに三浦大介という爺さんが住んでいます。年齢は百六歳で、日本一の年寄りと自慢しています。この三浦大介は三浦義明(よしあき)のことです。平安時代末期の相模国の武将で、桓武平氏の三浦氏の一族です。

 ある日、大介爺さんが旅に出ます。会う爺さんや婆さんがみんな自分より若く見えます。海の見える峠で、一人の爺さんから「お若い方、火を貸してくれんか」と話しかけられます。若い者呼ばわりされた大介爺さんは怒り出します。

 ところが、この爺さんは龍宮から戻った浦島太郎です。年齢は八千歳です。大介爺さんも浦島太郎爺さんが日本一、自分を二番と認めます。

 二人で旅を続けていると、一人の爺さんが「お若い方達、どこに行きなさる」と声をかけてきます。若者呼ばわりされた二人は怒り出します。

 ところが、この爺さんは東方朔(とうぼうさく)です。前漢の武帝時代の政治家で、司馬遷の『史記』にも記述があります。す。年齢は九千歳です。東方朔爺さんが一番、浦島太郎爺さんが二番、大介爺さんが三番目と三人は納得します。

 三人が旅を続けていると、日も暮れる頃、道の向こうから一人の婆さんが大急ぎで歩いてきます。婆さんは「そこのお若い三人。ちょいと手を貸してくれんか」と頼みます。若者呼ばわりされた三人は怒り出します。

 ところが、この婆さんは七億婆(しちおくばばあ)と自己紹介します。年齢は、なんと、七億歳です。

 七億婆は三人を一軒の家に連れて行きます。そこにはお腹の大きな女性が産気づいています。七億婆はお産に呼ばれた産婆です。婆さんは三人の爺さんに異産湯の用意を指示します。とにかく人使いの荒い婆さんで、三人はくたくたです。やがて、玉のようなややこが生まれます。三人の爺さんはその光景に目を細めなす。

 ところが、三人の爺さんは婆さんが七億歳だと信じられません。すると、七億婆は三人の爺さんの母親の名前を口にします。その上で、三人共に自分がとりあげたと明かし、日本一の年寄りは自分だと高笑いします。

 三人の爺さんはすっかり恐れ入ります。その後、この四人の年寄はいつまでも長生きしたということです。

 『としくらべ』は以上のような昔ばなしです。どんな長寿であっても、ややこの時があるものです。自分をとり上げた産婆がいます。産婆がいなければ、この世に生まれ出ることができないのです。人間は自力で生まれてくるわけではありません。どれだけ長寿であっても自分一人の力だけで生きてきたなどと思ってはいけないのです。

 生まれた時の記憶はまいものです。ですから、人はこのことをしばしば考えません。自惚れた言動をしてしまいます。けれども、産婆は覚えています。七億婆は人にそれを思い知らせるために生き続けているのです。

 ですから、七億婆は麻生大臣にきっとこういう事でしょう。「これ、太郎坊や、お前のおっかさんは和子じゃろ?ああ、よく知ってるとも。お前をとりあげたのはわしなんじゃからな。何を言ううちょる?いつまで経っても気のきかん若造じゃ」。
〈了〉
参照文献
松岡利夫編、『[新装版]日本の民話』29、未来社、2016年

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