孤立主義とイデオロギー外交(2006)

孤立主義とイデオロギー外交
Saven Satow
Nov. 23, 2006

「外交官が『そうです』と言う時は、『おそらく』という意味であり、『おそらく』と言う時は『いいえ』という意味であり、『いいえ』と言う時は、外交官ではない」
ヘンリー・ルイス・メンケン

 ホワイトハウスは、2006年12月4日、ジョン・R・ボルトン国連大使が来年1月の任期切れと同時に辞任すると発表します。彼の発言には、以前から、外交官としての資質に疑問を抱かせるものが多く、その就任には反対が優勢です。


 何しろ、1994年に、「国連なるものはない。あるのは唯一生き残った超大国アメリカによって率いられる国際社会だけである(There is no such thing as the United Nations. There is only the international community, which can only be led by the only remaining superpower, which is the United States)」とか、「ニューヨークの国連本部ビルは38階建てであるが、もし10階(事務総長執務室)がなくなったとしても、たいした違いはない(The Secretariat building in New York has 38 stories. If it lost ten stories, it wouldn't make a bit of difference)」とか放言した人物です。彼を国連大使として送り込むなど、KKKの幹部を司法長官にするようなものです。

 けれども、2005年8月、連邦議会閉会中を見計らって、ジョージ・W・ブッシュ大統領が強行して任命していなす。もっとも、本部ビルに入ってからも、国連や他国と衝突することが絶えず、実質的に仕事ができていたかどうかははなはだ疑問です。

 ボルトン大使は、先月辞任したドナルド・ラムズフェルド前国防長官と並んで、ブッシュ政権発足当時から外交・安全保障政策を提言してきた中心人物です。彼の辞任により、単独行動主義から各国との強調へとブッシュ政権の外交方針の転換は加速していくことは間違いないでしょう。

 ところで、合衆国の外交は、歴史的に、二つの柱によって支えられています。一つは孤立主義、もう一つはイデオロギー外交です。

 孤立主義は、本来の意味が見逃されてしまうため、適切な用語ではありません。外交におけるアメリカのナショナリズムです。

 第5代大統領ジェームズ・モンローが1823年12月に発表した第7次年次教書に由来するため、「モンロー主義(Monroe Doctrine)」と呼ばれます。その原則は次の二点に要約できます。第一点は西半球、すなわち南北アメリカはヨーロッパ列強の殖民の対象と見なされるべきではないという非植民地主義です。第二点は新大陸とヨーロッパとの相互不干渉主義です。中南米への不干渉を教書は表面的には謳っていたものの、この二原則は欧州勢力を新大陸から排除し、合衆国がその覇権を獲得する意図が込められています。

 モンロー主義は、第3代大統領トマス・ジェファーソンの「自由の帝国(Empire of Liberty)」以来、合衆国が抱いてきた膨張主義の表明です。新大陸はアメリカ合衆国が主導して統一されなければならないというわけです。

 アメリカも、最初から、ボルトン大使の言うような「唯一生き残った超大国」だったわけではありません。普通の国、いや小国だった時期があるのです。

 独立した頃の領土はニューイングランド13州にすぎません。しかし、幸いなことに、欧州でナポレオン戦争が勃発し、各国はその対応で精一杯となり、新大陸に手を出している余裕がありません。また、欧州と西半球の間には大西洋があり、これが自然の安全保障として機能しています。ヨーロッパが混乱している間に、合衆国は着々と領土を広げ、国力をつけていきます。

 1812年に始まった英米戦争が1814年に終結すると、アメリカのナショナリズムが高揚します。そんな時代の空気の中、1817年に大統領に就任したのがジェームズ・モンローです。戦争の開戦を主張した共和派はその流れに乗って党勢を拡大したものの、反対した連邦派は衰退したため、彼の8年間の任期中、激しい党派対立が見られなかったことから、「好感情の時代(The Era of Good Feeling)」と呼ばれます。特に、二回目の大統領選挙に至っては、事実上モンロー大統領の信任選挙となる有様です。

 ちなみに、西アフリカのリベリアの首都はモンロビアで、これはモンロー大統領の名前に由来しています。1822年、彼がリベリアに解放奴隷のための入植地建設を承認したことに敬意を表わしているのです。

 モンロー主義が膨張主義を内在させていたとしても、あからさまに南アメリカを植民地化するわけにも行きません。海外進出には大義名分が必要です。それが外交のもう一つの柱であるイデオロギー外交です。アメリカは、欧州列強と違い、国益目的で他国へ干渉しませんが、「自由」と「民主主義」という公益のためには、そうすることもやむをえないと唱えたのです。

 自由と民主主義は、本来、別の概念です。そのため、両者は、しばしば、対立しますし、また、どちらも理論的に多義的です。イデオロギー外交の言う自由と民主主義は、あくまでも、アメリカ合衆国が主張する調停案にすぎません。

 なお、日本の自由民主党は、第一銀行と勧業銀行が合併して第一勧銀となったのと同じように、自由党と民主党が合流してできた政党であり、今さら言わなくてもわかると思いますが、自由と民主主義を調停しているわけではありません。

 歴代大統領は、モンロー主義とイデオロギー外交を支柱に、それぞれの外交政策を打ち出しています。セオドア・ルーズベルト大統領なら、「棍棒外交(Big Stick Diplomacy)」、ウィリアム・H・タフト大統領は「ドル外交(Dollar Diplomacy)」、ウッドロー・ウィルソン大統領は「宣教師外交(Missionary Diplomacy)」、フランクリン・D・ルーズベルト大統領は「善隣外交(Good Neighbor Policy)」として知られています。

 ブッシュ政権は、決して、アメリカの外交の伝統から逸脱しているわけではありません。「イラクの自由作戦」の名の下に、同地へ軍隊を派遣します。当初根拠としていた大量破壊兵器が見つからないとなるや、独裁的なサダム・フセイン政権を打倒して、民主化することがアメリカの安全保障上不可欠だとブッシュ大統領は訴えます。これは自由と民主主義のイデオロギー外交を踏まえています。外交の点でも、「ネオコン(新保守主義)」が示すように、ブッシュ政権は原理主義です。

 国連のコフィ・アナン事務総長は、12月4日、BBCとのインタビューにおいて、イラクの現状を「内戦状態」と断定しています。各種報道によると、合衆国は、手に余ってしまい、そのイラク問題を国連に押しつけようとしています。アメリカは、今日の国際社会にとって、モーゼではないのです。

 加えて、最近、ラテン・アメリカ諸国で、急進派から穏健派まで相当に幅がありますが、次々と左翼政権が誕生しています。これをたんにグローバリゼーションの進展に対する貧困層の反発の現われと見るべきではありません。

 従来、合衆国は、モンロー主義に基づき、中南米諸国に干渉し続けています。腐りきった独裁政権を傀儡としただけでは飽き足らず、選挙で成立したチリのサルバドール・アジェンデ政権をヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官とCIAが画策して転覆させ、アウグスト・ピノチェト将軍による非人道的な独裁政権を誕生させています。合衆国の中南米に対する姿勢は旧ソ連による東欧諸国への介入とさほど違いはありません。

 むしろ、今、合衆国の外交哲学が転換点にあると考えるべきでしょう。発展途上のアメリカの外交方針を現在まで続けてきた結果、行き詰まりを見せています。アメリカはモンロー主義とイデオロギー外交に代わる外交原理を構築すべきときに来ているのです。

 かつての日本は経済大国ではありません。けれども、日本政府は国連の事務総長の候補者を出すことさえしません。国連がアメリカの政策とぶつかることがありえたからです。小泉純一郎政権が誕生するとその傾向はひどくなり、日本外交は対米追従一辺倒と化してしまいます。数多くの可能性の中から、将来を見据えて状況を分析・判断して外交政策を決定するのではなく、アメリカの意向を忖度・追認することに躍起になっています。しかし、当のアメリカは180年以上も続けてきた外交理念の転換期にいるのです。

 安倍晋三首相は、この状況を理解しているかどうかは言うまでもないことですが、「主張する外交」を外交のスローガンに掲げています。よく指摘されるように、これには「誰に」、「何を」が欠けています。外交は関係性の認識に立脚した要求と譲歩の弁証法によって成り立っています。このゲームに必要な相手の手を推察する想像力を「マキャベリ的知性」と呼びます。主張それ自体に意義があるわけではありません。

 マキャベリ的知性に基づかない自己主張などフラストレーションの発散にすぎません。もしそうなら、安倍首相には「バカヤロー」と叫びながら、夕日に向かって海辺を走ることをお勧めします。

 日本外交に必要なのは主張以前に想像力です。それには世界史的な流れに立脚している認識が不可欠なのです。

 結論によって二分したって風格をつけて手をひろげる役に立たぬ。双方の可能性をひろげたうえで、実際にはそのときどきの判断をすればよい。どうも、結論を先行させたがる議論が多いのが気にいらない。そして、そうした判断のためには、歴史の風景の絵柄が見えねばならぬはずなのに、想像力が抑圧されているのが気にいらない。結論へ向けて単純化のために、想像力を抑圧したがっているのかもしれぬが、それではゲームにだって勝てまい。それぞれの結論を決めておいて勝手に論ずるのでは、夕涼みの縁台での政治談議と変わらない。
(森毅『政治の絵柄』)
(了)
参照文献
上杉忍、『新書アメリカ合衆国史3パクス・アメリカーナの光と陰』、講談社現代新書、1989年
宇佐美滋、『アメリカ大統領を読む事典』、講談社α文庫、2000年
斎藤真、『アメリカ革命史研究』、東京大学出版会、1992年
野村達朗、『新書アメリカ合衆国史2フロンティアと摩天楼』、講談社現代新書、1989年
村川堅太郎=高橋秀=長谷川博隆、『ギリシア・ローマの盛衰』、講談社学術文庫、1993年
森毅、『世紀末のながめ』、毎日新聞社、1994年
安武秀岳、『新書アメリカ合衆国史1大陸国家の夢』、講談社現代新書、1988年
シェルトン・S・ウォーリン、『西欧政治思想史』、尾形典男他訳、福村出版、1994年


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