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リノベータ―正岡子規(2)(1993)

第2章 文学ジャンルと言文一致
 子規は俳句を文学ジャンルとして分類することをその活動の出発点としている。文学ジャンル論は実用主義・機能主義的考察である。その際、文学的な言語使用と非文学的なもの鵜を区別し、様相を定義・分類して、導き出せる規範的規則を明示化する。

 子規が取り組んだことは俳句を詩に分類することである。子規は俳句が短歌と相互に独立しながら、いずれも詩の範疇に属するという体系を構築する。それには詩や俳句、短歌を比較して特徴を明らかにし、定義する必要がある。

 子規は、『俳諧大要』(1895)第二において、俳句を他の文学様式と比べて次のように述べている。

俳句と他の文学との音調を比較して優劣あるなし。唯唯諷詠する事物に因りて音調の適否あるのみ。例えば複雑せる事物は小説又は長編の韻文に適し、単純なる事物は俳句和歌又は短編の韻文に適す。簡樸なるは漢土の詩の長所なり、精緻なるは欧米の詩の長所なり、優柔なるは和歌の長所なり、軽妙なるは俳句の長所なり。然れども俳句全く簡樸精緻、優柔を欠くに非ず、他の文学亦然り。

 俳句と短歌の区別は従来の日本文学の枠組みで十分に可能である。しかし、西洋の「詩」が「文学」として輸入されると、それが相対化され、自明性に再考が求められる。もちろん、近代以前にも漢詩という「詩」があり、和歌や俳句はそれとの区別によって語彙を始めとする独自性が認知されている。和歌は対象を肯定的に扱えても、否定的に評することが難しい。また、漢語を避ける。そのため、政治批判を詠んだ和歌は、漢詩と違い、ほとんどない。さらに、漢詩が抒情詩と叙事詩の両方を含むのに対して、和歌や俳句は前者に限定される。漢詩は後者として明治に入っても男性の知識人や政治家、軍人などにも愛好されている。

 近代日本文学の最初の大きなテーマの一つは言文一致である。この運動には漢字廃止論が含まれており、漢詩は言文一致とは無関係である。それに対し、西洋詩はその議論の中で輸入される。漢字と無縁な西洋の詩は俳句や短歌に再定義を促さざるを得ない。

 漢字廃止論の根拠には、一つの漢字に複数の読み方があって煩雑だというものがある。漢字は日本への伝来時期・ルートなどの事情により複数の読みが併存している。日本語には同音異義語が多く、その不便さを漢字が補っているが、学習には時間を始めとする多大なコストを費やさなければならない。だから、漢字を廃止した方が経済的というわけだ。

 明治維新後、日本語をめぐる変容が意図的・無意図的を含めて起こる。西洋の詩に影響を受けた新体詩派は、従来の文芸様式が新しい時代の日本語にそぐわないとして、その廃棄を主張する。一方、子規は、この変化に対応する必要性を認知しつつも、そのような過激な主張には与しない。

 子規や新体詩派の運動を含めた明治の詩の改良は言語のそれから派生している。いわゆる鹿鳴館に代表される欧化主義の時代である明治10年代後半、「かなのくゎい」や「羅馬字会」といった漢字廃止を唱える団体が結成される。彼らは西洋に追いつくためには表語文字である漢字を捨て、表音文字のみによる表記が不可欠であると考えている。これらの活動は挫折したが、話し言葉と書き文字との乖離において後者よりも前者を重視する認識として生き残る。それまで絶対的であった漢字の優位が揺らいでいく。

 漢字廃止の提言を受けて子規は、『墨汁一滴』3月11日付において、日本語の表記法の改革を次のように主張している。

漢字廃止、羅馬字採用または新字製造などの遼遠なる論は知らず。余はきわめて手近なる必要に応ぜんために至急新仮字の製造を望む者なり。その新仮字に二種あり。一は拗音促音を一字にて現わし得るようなるものにして例せば茶の仮字を「ちゃ」「チャ」などのごとく二字に書かずして一字に書くようにするなり。「しょ」(書)「きょ」(虚)「くゎ」(花)「しゅ」(朱)のごとき類皆同じ。促音は普通「つ」の字をもって現わせどもこは仮字を用いずして他の符号を用いるようにしたしと思う。しかし「しゅ」「ちゅ」等の拗音の韻文上一音なると違い促音は二音なればその符号をしてやはり一字分の面積を与うるも可ならん。
 他の一種は外国語にある音にしてわが邦になきものを書きあらわし得る新字なり。
 これらの新字を作るはきわめて容易のことにしてほとんど考案を費さずして出来得べしと信ず。試みにいわんか朱の仮字は「し」と「ュ」または「ゆ」の二字を結びつけたるごときものを少し変化して用い、著の仮字は「ち」と「ョ」または「よ」の二字を結びつけたるを少し変化して用いるがごとくこの例をもって他の字をも作らば名は新字といえどもその実旧字の変化に過ぎずして新たに新字を学ぶの必要もなくきわめて便利なるべしと信ず。また外国音の方は外国の原字をそのまま用いるかまたは多小変化してこれを用い、五母音の変化を示すためには速記法の符号を用いるかまたは拗音の場合に言いしごとく仮字をくっつけても可なるべし。とにかくに仕事は簡単にして容易なり。かつ新仮字増補の主意は、強制的に行わぬ以上は、誰一人反対する者なかるべし。余は二、三十人の学者たちが集まりて試みに新仮字を作りこれを世に公にせられんことを望むなり。

 子規は漢字廃止に賛成しない。現在の表記が不十分であるならば、簡略化するなり、文字を増やすなりすればよい。従来からの漢字仮名交用に肯定的である。また、二葉亭四迷とは違って、話し言葉と書き言葉を区別し、その統一を試みることを問題にしていない。言文一致は話し言葉と書き文字の関係の再検討であって、表記への当時の西洋的な言語の導入をどうするかなどにも関心が広がっている。

 言文一致運動がさまざまな方面から盛り上がっている時期に、こうした見解は保守的であるかに見える。だが、子規の新しい文字を創造する提言は、俳句や短歌の近代化には欠かせない。

 俳句や短歌は、5音と7音によって構成されているとよく言われる。しかし、これは適切ではない。5や7は音の文節単位であるモーラの数だからだ。一般的な用法で定伝統的型詩の「音」と言った場合、それは仮名表記の文字数を指す。啄木の「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」の「停車場の(ていしゃばの)」はひらがなにした際の文字数は6である。けれども、モーラでは5であるので、字余りではない。

 ただ、モーラと呼ぶには微妙なところもある。子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の「法隆寺」は「ほーりゅーじ」でモーラ数は3である。俳句や短歌の「音」は拗音や促音でモーラだが、長音や撥音においては仮名表記の文字数を指している。

 西洋に由来する外来語を俳句や短歌に使う時、複雑な事態が生じることは想像するに難くない。”Lincoln”は、近世は西洋の固有名詞を漢字で表記するので、「琳閣倫」である。漢字を用いない今日では、英語の発音上は「リンカン」が近いが、「カ」にアクセントがあるためか、「リンカーン」と一般的に記される。しかし、かつては「リンコン」や「リンコルン」と綴られることもある。「音」も4と5の二つがあるというわけだ。これでは漢字に複数の読みがあることと違いがない。子規は「外国音の方は外国の原字をそのまま用いるかまたは多小変化してこれを用い」ることを提案する。子規にとって、表記法は実用主義的・機能主義的な書き文字の理論化である。子規の意見は言語の対象指示を直観としてではなく、その機能として考えるような表記法である。

 さらに、漢語は避けられていても、漢字は俳句には使われている。近世の俳句は音声と形象によって訴える。芭蕉の「夏草や兵どもが夢のあと」は、「兵」を「へい」ではなく、「つはもの」と読ませている。また、蕪村の「さみだれや大河を前に家二軒」にしても、「大河」を「おおかわ」ではなく、「たいが」としている。このように俳句は音声だけでなく、漢字の形象によってイメージさせている。漢字廃止となれば、音声と形象が分離し、西洋詩において問題にならない俳句や短歌の自明の条件が脅かされる。

 こういった難問があるが、言文一致に対応できなければ、俳句は近代における詩の一種と認められることはない。前近代の環境で愛好された遺産でしかない。

 反面、俳句を詩の一ジャンルとして体系に位置づけられるなら、西洋の文学理論も適用できる。確かに、西洋の文学理論は俳句や短歌を前提にしていない。あくまでその対象は西洋の詩である。しかし、言文一致に対応するならば、俳句や短歌も新体詩と同じ環境で生きることができる。それは詩の一ジャンルであるから、文学理論が適用可能になる。

 子規は、その際、文学・芸術理論の適用の可能性について次のように述べている。

俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に美の標準は文学の標準なり。文学の標準は俳句の標準なり。即ち絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を以て論評し得べし。
(『俳諧大要』第一)

俳句の標準を知りて小説の標準を知らずという者は俳句の標準も知らざる者なり。標準は文学全般に通じて同一なるを要するは論を俟たず。
(『俳諧大要』第七)

 俳句や短歌は前近代の日本の環境の中で発展・継承されている。しかし、近代という新たな環境にさらされた時、それが生き延びるためには暗黙知に依存することはできない。それを明示知にして急激な変化に対応する必要がある。近代化は西洋文明の輸入であり俳句や短歌も西洋詩と同じ詩の諸ジャンルであるとすれば、そこで形成された文学・芸術理論も活用できる。理論は理解の共有を可能にする。それに基づけば、従来の規範に代わる新たな創作・鑑賞の発想も生まれる。これはジャンル横断性があり、汎用性の高いものになる。それが子規の「写生文」である。

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