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荻窪の民主主義(2019)

荻窪の民主主義
Saven Satow
Apr. 18, 2019

「地方自治の制度はあらゆる国民の役に立つと思う。だが社会状態が民主的な国民ほど、この制度を本当に必要としている者はないように見える」。
アレクシス・ド・トクヴィル『アメリカの民主主義』

 平野貞夫元参議院議員が2019年4月17日17時55分に次のようなツイートをしています。

ビキニ沖での水爆実験を憂いた市井の主婦が始めた署名活動。杉並区は反核署名発祥の地。この運動を組織化し国際的な運動にまで発展させた安井郁教授の思いを無駄にしてはならない。杉並区議会候補の松本浩一君は被爆三世との事。この思いを受け継ぐ者として明日、高円寺駅頭18時。応援のマイクを握る。

 1954年3月1日、太平洋のビキニ環礁で米軍が水爆実験を行います。その際、遠洋マグロ漁船の第五福竜丸の船員が被爆、無線長が半年後に亡くなる事件が起きます。これを憂いた杉並区の女性が反原水爆の署名運動を始めます。それに賛同する住民が協力したり、話し合いを重ねたりしています。2カ月足らずの間に27万人余りの署名が集まり、運動は全国にも広がっていきます。

 この住民運動を国際法学者の安井郁法政大学教授が組織化します。教授は、戦時中、大東亜国際法を提唱、戦後、GHQにより戦争協力を問われ、東大を追われています。その安井教授は水爆禁止署名運動杉並協議会議長を務め、原水爆禁止署名運動全国協議会事務局長に就任、翌年の8月6日、第1回原水爆禁止世界大会の広島開催に貢献しています。

 JR中央線・丸ノ内線荻窪駅南口から徒歩7分のところに杉並区立荻窪体育館があります。以前、ここは杉並区立公民館で、さまざまな団体・個人が集い、「水爆禁止署名運動杉並協議会」が結成されています。

 その角地に次のような公民館跡記念碑「オーロラの碑」が立っています。

世界の恒久平和は、
人類共通の願いである。
いま、私たちの手にある
平和ゆえの幸せを永遠に希求し 、 次の世代に伝えよう。
ここに杉並区は、
核兵器のなくなることを願い、
平和都市を宣言する。
昭和六十三年三月三十日

 この運動は自然発生的です。著名人が始めたわけでも、政党など政治団体が進めたわけでもありません。無党派層による下からの民主主義運動です。

 中央線の吉祥寺駅界隈には、丸山眞男や竹内好、清水幾太郎など文化人が居住しています。また、官僚嫌いで、文化人との交流を好んだ三木武夫も、首相就任以前に住んでいます。

 けれども、この荻窪の住民運動は文化人からの指導を受けていません。下からの民主主義です。また、既成政党の支持者よりも、無党派が多数です。無党派層による下からの民主主義が荻窪の住民運動の特徴です。

 ただ、戦前の荻窪と言うと、軍国主義の歴史が思い浮かびます。近衛文麿の荻外荘があり、そこで三国同盟を決める荻窪会談が行われています。

 この荻窪を始め新宿以西の中央線沿線は、1923年の関東大震災後に、人口が増加しています。住民の中には著名人もいます。荻窪には、近衛文麿の他、井伏鱒二などが住んでいます。戦後は、先に触れたように、中央線沿線は文化人が集い、アングラのポスターが似合う雰囲気を漂わせます。

 駅ビルが建つ以前、中央線の駅前に喫茶店や古本屋、映画館、雀荘などがあり、それを介した知縁が発達しています。もちろん、他の路線にも似たような風景が見られたでしょう。しかし、違いもあります。

 原武史放送大学教授が東京圏の沿線の政治風土に関する興味深い研究を行っています。教授は中央線沿線に反米的な意識が生まれやすい環境があると指摘します。中央線は京浜地区から横田基地への燃料などを運ぶ貨物列車が走っています。これは私鉄にはありません。駐留軍としてのアメリカを意識せざるを得ないのです。「事故が起きるのではないか」や「戦争に巻きこまれるのではないか」という危惧の念がそれから喚起されます。実際、ベトナム戦争が続く1967年、新宿駅で米軍燃料輸送列車事故が起こっています。

 また、中央線沿線には大学が多く、地方出身の学生が住む木賃アパートがかつて多数あります。学生運動が盛んだった時期には、それに参加・共感する学生も少なくありません。彼らは反米的で、既成政党に与しません。

 こうした環境は60年安保前後からの政治風土として顕在化します。ですから、54年の住民運動を説明するには不十分でしょう。加えて、杉並区は中央線の他、丸ノ内線や井の頭線、京王線、西武新宿線なども通っています。荻窪はともかく、中央線だけで杉並区の政治風土を語ることは少々乱暴かもしれません。

 ただ、中央線沿線の政治風土が無党派層であることは確かです。無党派であっても、無関心ではありません。ですから、荻窪を含む杉並区は投票率が比較的高いのです。戦後民主主義をGHQに与えられたものと揶揄する人もいますが、そんなことは必ずしも言えません。

 原教授によると、西武線沿線は中央線と似ているけれども、西武グループ支配への反発から社会党や共産党といった革新系を住民は支持しています。また、東急が開発した田園都市線沿線は一戸建てが中心で、政治風土は新保守系です。自民党ではなく、新自由クラブやみんなの党など中道右派を支持します。鉄道沿線の環境や歴史からその地域の政治風土を捉える試みは、東京のそれを考える際に、非常に有効な視点です。

 今年は4年に一度の統一地方選挙の年です。各地には固有の政治風土があることでしょう。それは変化したところもあるでしょうが、伝統として継承されている者もあるに違いありません。

 4月16日、杉並区議選に立候補している松浦威明自民党候補がJR高円寺駅前で集会を行い、杉田水脈衆院議員を応援演説に呼んでいます。彼女が現われると、駅前は「帰れコール」に包まれます。かの荻窪の住民運動に代表される杉並の政治風土を考えるなら、この人選はあり得ません。近年で言っても、高円寺は反原発デモ発祥地の一つです。杉並の伝統に対する侮辱としか思えません。無党派層による下からの民主主義は生きているのです。
〈了〉
参照文献
原武史、『滝山コミューン1974』、講談社文庫、2010年
同、『沿線風景』、講談社文庫、2013年
杉並区
http://www.city.suginami.tokyo.jp/index.html


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