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タフガイ・マッチョ政治(2015)

タフガイ・マッチョ政治
Saven Satow
Dec. 16, 2015

「思想宣伝には秘訣がある。何より宣伝の対象人物に、それが宣伝だと気づかせてはならない。同様に、宣伝の意図も巧妙に隠しておく必要がある。相手の知らぬ間に、たっぷり思想をしみこませるのだ」。
ヨゼフ・ゲッベルス

 21世紀に入って以来、日本の政治の体質は「タフガイ・マッチョ」になっている。これは男性中心主義や蛮勇のことではない。テリー・ディール(Terry Deal)と アラン・ケネディー(Allan Kennedy)が『シンボリック・マネジャー(Corporate Cultures: The Rites and Rituals of Corporate Life)』(1982)の中で類型した組織文化の一つである。

 組織体は固有の「企業文化(Corporate Culture)」を持ち、それを維持しようとする。それには、基盤となる理念や表彰する儀礼・儀式、伝達するコミュニケーション・ネットワークなどが働いている。その際、そうした文化を体現する「シンボリック・マネジャー(Symbolic Managers)」が出現する。

 ディールとケネディーは企業文化を「リスク度(Degree of Risk)」の高低と「フィードバックのスピード(Speed of Feedback)」の速遅によって四つに大別する。フィードバックは成果が現れるまでの時間を指す。その上で、それぞれに名称をつけ、特徴と代表的業種を挙げる。

 彼らの分類は以下の通りである。

1 会社を賭ける(Bet-Your-Company)文化
高リスク・遅フィードバック
慎重な気風・会議の重視。
石油会社、採掘・精錬業、航空機製造、投資銀行
2 タフガイ・マッチョ(Tough-Guy, Macho)文化
高リスク・速フィードバック
オール・オア・ナッシングで、成否に敏感。そのため、熱心に個人主義的に励む。反省しない。
経営コンサルタント、広告、マスコミ、エンターテインメント
3 手続き(Process)文化
低リスク・遅フィードバック
Whatではなく、Howが重要で、結果よりも手続き重視。個人が組織に大きな影響を与えることはなく、プロセスにかかわり、方法に卓越性を見せる。
銀行、保険会社、政府、電力会社、
4 よく遊び、よく働く(Work Hard/Play Hard)文化
低リスク・速フィードバック
 社員の努力・忍耐力
 不動産業、訪問販売、自動車販売、コンピュータ

 なお、1983年に訳出された邦訳では、”Tough-Guy, Macho”を「逞しい男っぽい」としている。しかし、現在においては、「タフガイ」も「マッチョ」も日常会話の際に使われるので、そのまま使用した方がよいと思われる。また、同書は主に米国記企業を対象とした1982年刊行であり、当時と今日とは環境が変わっているため、必ずしも当てはまらない部分がある。

 政治は「手続き文化」に属する。政府は徴収した税や発行した公債を元手に事業を実施する。また、独占した暴力を治安維持や安全保障のために行使する。いずれも法に基づいていなければならない。その際、為政者が恣意的に権力を乱用しないように決められた手続きの踏襲が順守されなければならない。政策は法案として行政・立法で審議されて実施、その後に効果が出てくる。フィードバックには時間がかかる。政治の文化が手続きタイプであるのは当然である。

 ところが、今の日本政治はタフガイ・マッチョ文化に変容している。橋下徹前大阪市長や安倍晋三首相などはそれをよく物語る。人事に介入して手続きを形骸化もしくは無視して自分の信念を通す。次から次と政策を派手に発表するが、その結果に関する検証をしない。発言の度に内容がコロコロ変わる。メディアやSNSを利用して自画自賛したり、罵詈雑言を垂れ流したりする。責任を口にしながら、実質的にとらない。このように挙げればきりがない。

 一般国民はマスメディアやインターネットを通じて政治情報に触れる。そのため、中央・地方政府や政党がメディア対策に広告代理店を雇うことはある。それは現代政治をめぐるコミュニケーション事情に適応する手段である。けれども、今の日本政治はそれが体質化している。ギャンブル性や利己主義に走り、反省しない。

 政治を監視する役割を担っているのがマスコミである。けれども、政治がタフガイ・マッチョ文化になると、それを十分に果たせない。

 マスコミ自身もタフガイ・マッチョ文化に属する。彼らは、暗黙の裡に、タフガイ・マッチョ文化の価値観で政治を取り扱う。時流に乗ることが大切だ。報道・情報番組のMCやコメンテーターもその認識を共有する著名人が選ばれる。また、政策は法案として立案されてから実際に効果が現れるまで長い時間を必要とするが、マスコミはそんなに待っていられないと気短な態度を示す。手続きは地味で、テレビ映えしない。消耗品のように政治情報を垂れ流す。さらに、政治におけるシンボリック・マネジャーは手続き文化型であるが、マスコミはタフガイ・マッチョ文化のそれを取り上げる。

 現在の官邸はタフガイ・マッチョ文化の政治を推し進めている。それはまさに代理店政治だ。おまけに、政権支持派の意見広告まで目立つようになっている。政治文化のタフガイ・マッチョ化はとどまるところを知らない。

 広告やエンターテインメントであれば、作品がコケたところで、消費者に直接的な被害はない。時流に乗ることが大切で、反省など要らない。しかし、政治の場合、その失敗は財政破綻や治安の悪化、社会制度の崩壊、災害、戦争などを招きかねない。同じテレビで接したとしても、商品広告と政治情報はもたらす状況が違う。政治はエンターテインメントとして楽しむ対象ではない。タフガイ・マッチョ文化流の認識や方法で政治に接するべきではない。

 政治をタフガイ・マッチョ文化として極限まで推進したのがナチスである。宣伝相ヨゼフ・ゲッペルスは言う。「よりよく統治するためにはよりよいプロパガンダが必要だ。両者は不可分で、統治なきプロパガンダが無意味なように、プロパガンダなき統治もあり得ない」。その行き着く先がどうであったかを思い出す必要があろう。一般国民もお客として政治に冷めているべきではない。 
〈了〉
参照文献
テレンス・ディール=アラン・ケネディー、『シンボリック・マネジャー』、城山三郎訳、同時代ライブラリー、1997年

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