QOLと経済開発(2016)

QOLと経済開発
Saven Satow
Oct. 25, 2016

「心足るすなわち富なり」。
白居易

 バブル経済崩壊後、政府は景気刺激策として財政出動を繰り返している。しかし、効果が上がらない。ケインズ主義政策は有効需要の創出を目的に短期的成果を狙って実施される。それは量が重視されるので、結果が出ない場合、規模が小さいためと判断され、追加の政策がとられる。

 しかし、効果が現われないのは規模が原因ではない。

 すでに基本的な社会資本が蓄積されている状況では公共投資を行っても、波及効果が小さい。また、企業誘致にもつながらない。さまざまな環境変化に伴い、生産拠点を海外に移転している流れを新たな公共投資によって変えられない。さらに、産業構造が高次化し、物的資本への投資を必ずしも必要としない。サービス化・情報化・知識経済化が進み、公共投資がこうしたソフトの発展に貢献しない。

 このように、公共投資は規模を拡大しても、景気浮揚につながらない。ただ財政赤字を膨らませてしまう。

 しかも、東西冷戦が終結し、グローバル化が進展する。国境の壁が低くなり、資本・労働・財の国際的移動が加速する。それは公共投資の乗数効果を下げるのみならず、民間企業の競争の激化をもたらす。従来の公共投資には産業政策のみならず、富の再分配の目的を持っている。けれども、政府は競争への配慮も考慮せざるを得なくなる。

 こうした経済をめぐる環境変化の以前から、日本の世論は豊かさに関する考え方を改めている。1970年代から物質的豊かさに代わって心の豊かさに価値を見出すようになっている。西側第二位の経済大国でありながら、精神的豊かさを実感できない。GNPで示される成長に疑問が呈される。

 平均所得がある一定水準に達し、そこから付加される効用が相対的に低下する。公害や過疎過密など高度成長のひずみを目の当たりにし、環境や文化を犠牲にしてまで成長を追求する姿勢への異議申し立てが大きくなる。けれども、バブルの狂騒がそれを一時的に押しとどめてしまう。その崩壊は再考を改めて促すことになる。それは後に「生活の質(QOL)」として広く社会で論じられる。

 バブル以後の日本は成長に代わって、開発へと目標をシフトすることが求められる。それは経済発展の概念の多義的変更である。国際機関も人間開発指数を始めGDPでは計れない質的な経済発展を提示している。激化する国際競争への対応とQOLの充実を両立させることへの探求だ。

 しかし、政府は成長に囚われ、QOLの充実に十分に向き合わない。ケインズ主義に代わり新自由主義に基づく政策を実施している。経済成長は民間資本の蓄積だとして、企業が経費削減しやすいように雇用を始め規制を緩和している。利潤は労働者に還元されず、さらなる蓄積のために再投資される。また、巨額の赤字が財政を圧迫し、政府は人口動態に沿って増え続ける社会保障費の圧縮に着手する。官民共に低成長時代にあっては投資よりも経費削減が合理的だと行動している。けれども、GDPが増えても実感が伴わず、格差が拡大、QOLの向上には程遠い。結局、失われた年月を伸ばしてしまう。

 2013年から始まったアベノミクスはケインズ主義と新自由主義の折衷である。ただし、それは最悪の合成だ。大規模財政出動は短期的成長をもたらすものの、赤字を膨張させる。また、日銀は2年間でインフレ目標2%を掲げて大規模金融緩和を実施している。達成できないとなると、規模が小さかったからだと緩和が繰り返される。

 企業は自社株買いを進め、日銀の金融緩和による低金利を背景に資金を社債で調達する。さらに、日銀やGPIF公的マネーが民間資本の蓄積に投資される。株価が上がっても、財政赤字がさらに膨らみ、実質賃金は上がらず、国民の年金が失われる。

 物質的豊かさは容易に量的に把握できる。しかし、心の豊かさは質であるから、GDPから把握することは困難だ。成長を発展の目標とするなら、政府は数値が上がればよく、人々の実感を軽視する。

 このような経緯を省みるなら、むしろ、QOLに着目すべきである。QOLの充実は福祉概念の拡張を促す。従来の福祉は個人の福利厚生を目的にしている。しかし、環境や文化は個人で取得できない。戦後モデルとされてきた福祉国家の示してきた福祉の概念も、それに伴い、変更せざるを得ない。環境や文化も福祉水準に内包される。

 その環境や文化を担うのは個人ではない。人間関係のコミュニティやネットワークである。ならば、関係から排除された孤立した個人を包摂しなければならない。セーフティ・ネットは社会的包摂のために整備される必要がある。社会保障がこのように開発に欠かせない。

 福祉国家は、その名を実現するために、有効需要の創出による短期的雇用創出を行っている。しかし、開発を遂げつつQOLを充実するのには付加価値を生み出す人材の育成が望ましい。職業訓練や生涯学習への投資、すなわち人的資本への投資が必要だ。それは中長期的雇用機会の可能性の拡大につながる。また、包摂のために、社会関係資本の蓄積も不可欠である。そのネットワークやコミュニティの人間関係の拡大・強化により集合的な学習能力・創造力・自治能力が高まる。政府には形成を促進する経済的・制度的基盤の投資が求められる。

 新自由主義流の企業の費用低下につながる政策は開発とQOLの発想に反する。そもそも、中小企業は、経営と現場が一体化しているので、地元密着している。新自由主義的政策によって地元が疲弊しては成り立たない。企業に地域へのフレンドリーな姿勢を促す施策でなければならない。それにより企業は地域を支え、環境と文化をビジネス化する。この方法はビジネスを取り巻く雰囲気も変容させる。企業と地域が相互作用し、共進化を引き起こす。先に挙げた資本の蓄積もさらにもたらす。

 実際には、メディアが時折紹介するように、このような試みはすでに多くの現場で取り組まれている。地元の諸課題を解決するためには市民・行政・企業・大学などの協力が不可欠だ。「人形」の岩槻や「小江戸」川越、「東京芸大」の谷根千などそうした実例は全国各地に認められる。それがQOLの向上につながる。最も遅れているのは日本政府だ。
〈了〉

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