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日本語と英語(2012)

日本語と英語
Saven Satow
Feb. 22, 2012

「言葉が風に種を播き、ペンが畝を起こす」。
ジェームズ・ハウエル『外国旅行の手引き』

 2012年2月19日、経済連携協定(EPA)で来日し、医療機関などで働いているインドネシアとフィリピンの候補者が看護師の国家試験に臨んでいる。08年、インドネシアから104人が第一陣として入国したが、滞在期限となる昨年度までに合格したのは15人にとどまっている。最大の理由は試験問題が日本語で記されている点である。一般の日本語人でも見慣れない漢字の専門用語が並ぶ。国内外から見識を問われた当局は、難しい漢字にかなをふったり、病名に日本語と英語を併記したりする改善を昨年から始める。

 合格者のあまりの少なさに、慌てた政府は条件を満たす人には1年の滞在延長を認める。今回の試験は、その第一陣としてやってきた27人にとって、最後の機会となる。

 この短期間でよく15人も合格したという印象さえある。日本語は文字の言語である。世界中の言語の中で文字習得が最も困難である。

 非ネイティブ・スピーカーが日本語を学習する最大の理由の一つは日本で生活するためである。日本語は彼らにとって生活言語として習得される。日本語教師はそれを前提にした学習カリキュラムに沿って指導する。彼らが日本で生活していて困らないようにと配慮している。そのため、敬体を用いた会話中心である。構文読解や作文は最低限に抑えられ、後は必要に応じて個人の判断で発展させることになる。

 日本のアニマンガに関心があって、日本語学習を始める非ネイティブ・スピーカーも今では少なくない。アニメのセリフは言うに及ばず、マンガのネームやオノマトペも話し言葉である。話し言葉中心の学習であることは同じだと言える。

 日本語は、文字を除けば、比較的習得が容易な言語である。3週間も日本に滞在していれば、日常会話はかなりできるようになる。反面、文字の読み書きの会得は極めて難しい。日本語人でも義務教育修了で一般紙を読めるかどうかというレベルである。その文字習得を3年で済ませて専門職の国家試験に臨むなど並大抵の困難さではない。

 非ネイティブ・スピーカーにとって日本語は生活言語である。こうした国際環境の中で、日本政府が、言わば、仕事言語と日本語を見なしていることに今回のそもそもの問題がある。

 政府に限らず、もっとも、日本語人は必ずしも日本語や英語の国際社会における位置づけを認識していない。その一例が水村美苗の『日本語が亡びるとき』(2008)の2009年の小林秀雄賞受賞だろう。これには英語の世界にあって、書き言葉としての日本語こそ日本人のアイデンティティがあるというメッセージがこめられている。日本の識者がそれに少なからず賛同したというわけだ。しかし、この本には、生活言語と仕事言語の違い、あるいは英語が世界化するほどネイティブ・スピーカーから離れていく前提が欠けているからだ。

 英語は、現在、事実上の国際的な共通語、すなわち国際語と認知されている。共通語では特定の地域の方言・位相を優遇することは許されない。アメリカやイギリスなどでネイティブ・スピーカーの話す英語はあくまでローカル・イングリッシュである。国際会議でのスピーチ・発言、専門誌の購読やそれへの投稿、グローバルな組織内の会話、電子メールを含むインターネットを通じた情報発信・収集などで用いられている英語は非ネイティブ・スピーカー間の意思疎通を目的としたコモン・イングリッシュである。生活言語ではなく、仕事言語である。それは普遍性のないレトリックが避けられ、文法に忠実である。

 共通語は、異なった言語を母語とする人たちとの間で意思疎通されなければならないから、できる限り、コンテクストに依存しないことが求められる。共通語は、そのため、書き言葉として受容・普及される。共通語の話し言葉は書き言葉のベースとなる言語である。

 共通語は書き言葉の役割を続けながらも、話し言葉としては亡ぶこともある。ヨーロッパにおけるラテン語がいい例だろう。

 ネイティブ・スピーカーのようになることを目的とした会話中心の英語学習は現代にまったくそぐわない。コモン・イングリッシュを読み書き中心に文法重視で学ぶことが望ましい。ネイティブ・スピーカーは言語ができる人であって、わかっているわけではない。彼らは、用法の間違いを見つけるのはうまいが、その理由を体系的に・有機的に説明することに必ずしも長けていない。ところが、非ネイティブ・スピーカーはその言語を理解しないと使えない。日本語と違い、英語は非ネイティブ・スピーカーにとって仕事言語である。それを踏まえていないと、英語の現代における意義を生かせない。

 主目的に限定すれば、今日の国際環境の中で日本語と英語の位置づけは以上のようになる。もちろん、日本語も英語も一枚和ではない。いずれも調べると、ヴァリエーションに富んでいることがわかる。その豊かさはめくるめく快感を与えてくれる。外国人に流暢な日本語で話しかけられているのに、カタコトの英語で返答してしまう「フォリナー・トーク」と呼ばれる現象などは非常に興味深い。

 しかし、外国人看護師にとって日本語習得は手段であって、目的ではない。EPAで受け入れを決めたのなら、世界の中の日本語を認識して、施策を講じて然るべきだろう。グローバル化はその言語の国際的な位置づけを明確にする。それは言語に対して自覚的・相対的な態度で接することを求めている。
〈了〉

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