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中間小説の時代(3)(2023)

3 中間小説
 松井計が言及する「中間小説」は、事実上、死語である。文学史をめぐって論じる場合を除き、触れられることはあまりない。日本文学における区分は掲載されている媒体の違いから語られることが少なくない。想定する読者層に応じて作品の内容や形式が変わるのは確かである。実際、往々にして中間小説をめぐる論考もそれを前提にしている。50年代に第一次ブーム、60年代に第二次ブームが起きたと雑誌の隆盛に基づいて解説されるのが常だ。しかし、それはセグメント化を論じているだけで、その本質に迫っていない。松井計があえて「中間小説」を持ち出すのはそういった見方を相対化するためである。

 林房雄が『新風』1947年4月号の座談会において「日本の小説を発展させる道は純文学と大衆小説の中央にある」と発言すると、久米正雄はそれを「中間小説」と名付けている。ただ、林は「中央小説」と呼んでいて、その範囲を「ポーからオー・ヘンリーまでの間を狙っている」と主張している。この「中間小説」は、その後、文学界に広まり、1949年、山田克郎が『海の廃園』による直木賞受賞の感想で「林房雄氏の提唱される中間文学を仕事の場と考えている」と語っている。

 「中間小説」が「純文学と大衆小説の中央」に位置し、それは「ポーからオー・ヘンリーまで」を指すと林房雄は主張する。この意見はエドガー・アラン・ポーやO・ヘンリーが「純文学」でも「大衆小説」でもないことを意味している。「中間小説」が後に文壇から受け入れられたのだから、奇抜な認識ではなかったと推測できる。しかし、すぐには納得しかねる見方だ。

 エドガー・アラン・ポーは近代小説こそ書いていないものの、現代文学を用意した作家である。ミステリーやSF、ホラーなどの諸ジャンルを創発したり、『群衆の人』を始めモダニズム文学を先取りした作品を著したりしている。林房雄の意見は1947年に発せられている。『純粋小説論』において「通俗小説にして純文学」。を主張して創作に挑んだ横光利一はその年に亡くなっている。横光利一のモダニズムが純文学に入るとすれば、なぜポーが外れるのか納得しがたい。

 それ以上に疑問なのはO・ヘンリーである。彼の作品はスケッチであり、近代小説に分類される。日本近代文学は近代小説の確立を目標に置いている。しかし、林はアメリカの短編の名人を純文学から外している。

 近代小説は「市民の文学」であり、ノースロップ・フライの『批評の解剖』によると、近代社会を再現する。近代社会を浮き彫りにするために描かれる。その意味で、真の主役は近代社会である。代表的な作家としてダニエル・デフォーやヘンリー・フィールディング、ヘンリー・ジェイムズ、ジェイン・オースティンなどが挙げられる。近代の理念は自由・平等・友愛であり、近代小説はそれを踏まえている。登場人物は等身大で、その性格・心理・志向は社会が表われたものである。社会的仮面、すなわちペルソナを被った普通の人々あるいはほんとうの人間を描写しようとすることから、しばしば因習的とならざるをえなくなる。しかし、反面、登場人物の心理に自由にかつ深く立ち入ることができ、それによって読者は平凡でどこにでもいそうな主人公に共感することも少なくない。ただ、近代小説は、その内面描写に傾倒しすぎると、精神的深みは平凡な人たちの日常的な生活の中にこそあるという逆説を導いてしまう。そういうパロディも、当然、生まれている。また、小説の傾向は外向的・個人的であるため、作者には客観的、すなわち公正たらんとする態度でとり扱うことが要求される。エミール・ゾラは、それを実現しようと、自然科学を援用している。この短編形式は「スケッチ(Sketch)」と呼ばれている。

 坪内逍遥は近代文学が何たるかを理解していたが、以後の文学者には必ずしもそれが十分ではない。久米正雄は、1925年、『私小説と心境小説』において、「『戦争と平和』も『罪と罰』も『ポヴアリイ夫人』も高級は高級だが要するに偉大な通俗小説だ」 と述べている。いずれの作品もメロドラマだというわけだ。これは明らかに近代文学を理解していない発言である。1978年公開の映画『スーパーマン』のレックス・ルーサーは「『戦争と平和』を読んで単なる冒険物語だと思う人もいれば、チューインガムの包装紙を読んで宇宙の秘密を解き明かす人もいる」と言ったが、久米正雄はこの悪党の軽蔑対象である。ここでは『ボヴァリー夫人』を例に近代小説について説明しよう。

 『ボヴァリー夫人』は、19世紀フランスの小説家ギュスターヴ・フローベールによる長編小説である。地方の平凡な結婚生活に倦怠した若い女主人公エマ・ボヴァリーが自由で華やかな世界に憧れ、不倫や借金地獄に追い詰められた末、人生に絶望して服毒自殺に至ってしまう。この作品は保守的で家父長的な男性優位の規範が強い七月王政期の社会的状況を反映している。「ボヴァリー夫人は私だ」の作者の主張通り、近代市民社会において資本主義が進展する中、誰もが抱える欲望を描いている。『ボヴァリー夫人』の真の主役はこうした社会である。久米正雄は社会性に目が向いておらず、こういった近代小説の特徴を理解していない。

 O・ヘンリーは市民のペーソスを描く短編作家である。長編中心の欧米であっても、レイモンド・カーヴァーなどさりげない文体で現代社会に生きる人々の日常を綴る作家の系譜は今も続いている。ただ、O・ヘンリーは市民の善意を描いても、自然主義文学と違い、社会悪には触れない。それは日本文学史の「光明文学」に重ねて捉えられる可能性がある。

 このO・ヘンリーのみならず、ポーも自然主義文学からは遠い。それを踏まえれば、「ポーからオー・ヘンリーまでの間を狙っている」文学は非自然主義に当たる。林房雄の言う「純文学」は主に自然主義を指すと推測できる。

 自然主義は19世紀後半にフランスを中心に始まった文学運動である。エミール・ゾラが命名、それを体系的に理論化している。かれは、チャールズ・ダーウィンの進化論やクロード・ベルナールの実験医学、オーギュスト・コントの実証主義、イポリット・テーヌの決定論、プロスペル・リュカの遺伝学の影響を受け、自然の事実を観察し、真実を描くために、あらゆる美化を否定する。自然法則の作用や遺伝と社会環境の因果性によって決定づけられる人間の認知行動を実験的展開によって描き出す。それは近代化への楽天的期待を否定、政治的・経済的・社会的弱者の失敗人生を扱い、露悪主義・厭世主義に満ちている。遺伝や環境によって決定されているのだから、人間の意思によって人生が好転することなどありえない。こうした悲観主義は、人間の本姓には原罪があり、この世はより堕落していくだけで救いようがないというキリスト教の禁欲主義の近代版と思える。

 こういったアイロニカルな自然主義は社会の矛盾の告発よりも、悲惨さのインフレを競うようになりかねない。刺激というものは慣れと飽きをもたらすのが常である。結局、手段が目的化した自然主義文学はうんざりさせると読者が離れていく。すでに述べた通り、日本でも、日清戦争後に深刻小説が写実主義を超える文学として流行したものの、同様の事態に陥り、道徳性に基づき光明ある解決を目指す家庭小説にとってかわられている。

 自然主義文学は、近代化の諸問題を取り上げる点で、ジャーナリズムに近接している。実際、ドレフェス事件のエミール・ゾラを始め欧米の自然主義者は作品や行動を通じて社会悪の告発を行っている。ただ、移民の国アメリカの自然主義は、行動主義心理学が発展したように、NatureよりもNurtureを重視する。遺伝ではなく、環境の影響に着目、社会批判の傾向が顕著である。『ジャングル』のアプトン・シンクレアや『アメリカの悲劇』のセオドア・ドライザーが代表的作家である。

 しかし、日本の自然主義文学は、写生文による評価基準を背景に、社会性から全般的に遠い。近代小説は出来事に依存しないので、筋がないこと自体は問題ではない。等身大の主人公だから、ありきたりの日常生活を描いても構わない。ただ、私小説の場合、主人公は敗者である筆者本人のアバターで、露悪や厭世、醜悪を追求する作品は弱者の倒錯した権力意識にすぎない。それが大衆文学に対する純文学のエリート主義的優越感でもある。包み隠さず自身の醜さをあるがまま書くことに価値を見出すのはアイロニーでしかない。それに芸術性がないことはリアリティショーが示している。社会的問題の告発もなく、孤独な一私人の悲惨な生活を記したものは娯楽作品であって、芸術性を追求する純文学と呼ぶのは笑止千万である。

 ただし、そのあるがままの記述は認知行動のゆがみを伝える個性的な文体もある。そのため、認知心理学のバイアスや発達心理学の精神性・道徳性の発達段階、精神医学の適応障害などの研究資料として役立つ。志賀直哉の『暗夜行路』は身勝手なDV男の記録として読まれるだろう。

 すでに述べた通り、政教分離に伴う価値観オタ要請により共同体の規範を共通認識にできないので、近代文学は社会を創作・鑑賞・評価のそれとしている。しかし、私小説を主流とする純文学は文芸共同体の価値観を共通基盤としている。それは平安時代の歌合せと同じ光景である。社会に向き合う必要がないのだから、自身を相対化せず、その私的日常をありのままに書くだけで文学作品として文壇から認められる。

 けれども、今日、純文学と称されてきた数多くの作家の作品は研究者を別にすればあまり読まれていない。それは活字離れが原因ではなく、現代に通じるところが見出しにくいのが一因だろう。同時代的社会の要請によって過去の作品が流行することは何度も起きている。構造改革による非正規雇用の増加に伴う小林多喜二の『蟹工船』ブームはその好例である。ところが、私小説の作家が再発見されることはあまりない。孤立して苦しい状況に置かれた人は決して今も少なくない。しかし、彼らが破滅型の私小説に共感することなどない。孤独や孤立は、現在、世界的に社会問題化し、日本政府も取り組んでいる。それは個々人の性格ではなく、社会的排除が原因である。私小説化は自分にばかり目が向き、こうした点を記していない。これでは現代の読者が共感するはずもない。そうした作品は日本近代文学の主流となり、純文学などと呼ばれるに至った時代的・社会的状況を考える際の史料として手に取るくらいだ。

 社会性の乏しい自然主義が純文学だとすれば、行き詰まるのも当然で、その外の文芸を侵食することで活性化せざるを得ない。50年代から純文学系の作家たちが中間小説誌に進出、ブームが起きている。しかし、これはすでに言及した文学史を純文学系の作家が再構成したもので、作品の枠組みを借用した上で自らのレトリックにより仕上げたリメークである。

 ただ、戦後は欧米の最新思想・文学がすぐに輸入できる。必ずしも中間小説に向かわなくても、それがあれば、新陳代謝が可能である。その代表が大江健三郎で、彼は実存主義を始め最新の思想潮流を貪欲に吸収、近代文学の諸問題を取り入れた小説にしている。この若き天才作家の姿に憧れた数多くの青少年が小説家を目指し、純文学シーンは盛り上がりを見せる。次第に「中間小説」というタームも使われなくなっていく。

 日本近代文学の終焉が唱えられた70年代後半、中間小説と呼べる作風の純文学者が出現する。1976年に第75回芥川賞を受賞した『限りなく透明に近いブルー』の村上龍がその先駆けである。彼は、大江同様、知識欲が旺盛で、政治・経済・社会の時事的諸問題に強い関心を寄せている。村上龍にとって「純文学」の世界は狭すぎる。創作・鑑賞・評価の共通基盤は社会であって、文壇ではない。彼以後の村上春樹を始めとする多くの作家の作品は中間小説に分類できる。むしろ、自然主義文学の後継者を探す方が難しい。「純文学」も日本近代文学を前提にしていたのであり、その終焉と共に、文芸共同体の価値観から解放された作品が生まれるようになる。

 この頃から「大衆」が古びた単語として社会に受けとめられるようになる。従来の消費行動は「隣が持っているのだからうちも買おう」という大衆の競争であったが、80年代にはその様子が異なる。田中康夫の『なんとなく、クリスタル』(1981)が物語るように、行動は個性的・文化的消費に基づいている。もはや消費文化を担うのは「大衆」ではない。「新中間層」、特にその若者である。彼らは小さな所得格差、ほぼ等しい教育水準、メディアの全国普及による共通の生活様式を背景としている。既得権益を守ろうとする保守的姿勢と政治的決定をテクノクラートにお任せするが、反面、社会的問題を無視し得ない心のうずきを抱え、社会に積極的に関与したいという二面性を持っている。それなら、対抗するエリート主義も無効になる。だから、新中間層の求める文学は純文学でも大衆文学でもなく、その中間に位置するものである。

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