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たかが人間、されど人間

最近、周りに「すごい人」が増えてきた。
「すごい人」の定義があるわけではないが、
異常に気遣いができる人、自分の意志をしっかりと持って意見できる人、言われたこと以上の仕事ができる人、ぱっと周りの雰囲気を明るくできる人、1対1の関係を築くことが得意な人、
などなど挙げればきりが無い。

自分に無いものを持っている人が魅力的に見えるとはよく言ったもので、ここで挙げた人の特徴はすべて自分には不十分だと思うものばかりである。

ただし忘れちゃ行けないのは、これらはすべて一人一人の特性でしかなく、文脈によって様々な捉え方ができるということである。

誰にも嫌われない完全無欠な人なんていないし、皆が悩みながら、もがきながら必死でそれぞれの人生を生きている。
そんな私たちはとてもちっぽけな存在で、地球の歴史にはこれっぽちも影響することは無いだろう。
でも、それぞれの人したら大事な一人かもしれない。人と関わり合うことで生きる人間にとって、他者の存在は強烈なインパクトを持つ。
他者と過ごす時間は、多くの不安や葛藤を生む。でもそれだけじゃない。喜びや幸せを感じられるのもまた人間関係のミソである。
人間はできないことやネガティブなことに自然と意識が向いてしまう。ネガティブに支配されると人間が嫌いになる。そうして私はいつの間にか人間を避けるようになった。
でも最近は人と関わることもわるくない、むしろ楽しいと思えるようになった。そう思わせてくれたのは、冒頭に挙げた「すごい人」たちである。

私はこれまで恵まれない人たちの助けになりたいと思って生きてきた。
恵まれた環境が無ければきっと彼らは不幸で、何か私自身がそれを救えるだけのパワーがあると信じ込んでいたのかもしれない。
でもそれは私の妄想に過ぎず、彼らは既に私よりも幸せを感じて懸命に生きていた。
私なんかよりもよっぽど生きる力があった。弱いのは私の方だった。

ここまで分かって、私は自分の生き方の路頭に迷うことになった。
自分の人生を生きるだけの決断力も行動力も無く、気持ちだけが空回りして結局何の成果も出せていない自分に嫌気がさす。

それでもこれが私の人生であることに間違いはない。
歩みはありえないくらい遅いかもしれないが、確実に自分の人生を広げて生きている。
幸せを感じられるようになった。友だちを遊びに誘えるようになった。他者を受け止められるようになった。諦められるようになった。3年前には想像もできなかった嬉しい経験ができた。
本当に少しずつ、自分の人生を生きれるようになってきた。

さて、これからどうやって生きていこうか。
どうせなら、幸せをたくさん抱えて人生を終えたい。
自分の人生最高だったと思いながら死んでゆきたい。

私もあなたもあの人も、たかが人間、されど人間。
自分の人生を生きないともったいないと思う今日このごろです。


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