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2023年をどう過ごすか

年が明けちまった。
年末になにかnoteでも書こうかと思ったんだけど、まあいいかと先延ばしにしてしまった。

あけましておめでとう。といってもあけてから結構時間がたったけど、今年はどうする?
いつもより頑張る?別に頑張らなくてもいいし。どうしよっか。
毎年12月から1月にかけては来年は頑張ろうとか考えるんだけど、フタを開けてみると結局あんまり変わらないんだよな。
本気で頑張ろうと思っていないだけなんだろうけど。
大体にして、何を頑張るのかもよくわかってないし、今でも普通に頑張って生きてるんだから別によくないか。と思っている。
思うようになったという方が正しいか。

僕自身は明確な目標があるなら結構頑張れる人なんだけど、今のところ特にないもんな。
音源制作を頑張る。くらいなものか。
あとは今まで通り、嫌なことをなるべく回避しながら生きてたい。

年が明けたと言えば、神社とか行ったかな。
僕はいつの頃からだったか覚えていないけど、もうしばらく行ってない。
出店とかの雰囲気は嫌いじゃないんだけど、何かに祈る的な行為がとにかく好きじゃない。
仕方なく行った時はフリをするだけだ。
イベント事として好きな気持ちはわからんでもないが好きじゃない。

いるかどうかもわからん、何者かもよくわからんなにかに、いくらかのお金を投げつけ、

「今年は良い年になりますように」
「健康でいられますように」
「志望校に受かりますように」
「仕事が上手くいきますように」

果ては、
「夢が叶いますように」
とか願う人の気持ちがわからない。

全部自分次第じゃないか。

今年は良い年になったと自己満足でもなんでもいいから思えたなら、自分が頑張った結果。
健康に気を遣ったのも、勉強頑張ったのも、仕事を頑張ったのも、夢を叶えるために並大抵じゃない努力をしたのも、全部自分。

自分が頑張ったから、全て掴み取れたもの。
神様のおかげなんかもってのほか、もはや周りにいる他人も関係ない。全部自分がめちゃくちゃ頑張ったおかげ。

祈りや助言はいらない。
得体が知れてようが知れてまいが、神だの仏だの、お前に祈ったってなんの意味もない。
こうした方が上手くいくよ、気をつけた方がいいよと誰にでも当てはまるようなことをうっすーく伸ばしきった浅い助言が書いてあるおみくじも信じない。そんな古いタイプの詐欺師のやり方で、多かれ少なかれ何の根拠もなく生き方を制限するな。

君はすごい。
口数が少ないってだけで自分から動こうとしないで、優しい人判定されているやつよりよっぽど凄い。誰が認めなくても、僕だけは認める、だから君は、偉いし、すごい。

と、自分で自分に言いながら生きています。
誰も気軽に褒めてはくれないからね。だから、僕は誰かに対しても頑張っている人が居たらとにかく褒めるようにしている。だからなんだってわけじゃあないんだけど。

そのため、僕はよくめんどくさがるし、なまけるから上手くいかないことがあっても、自分のせいだとわかっている。でも、めんどくさいことはめんどくさいんだよ!!!!!

ということで、良いお年を。

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