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人生を一度失った人々のこと

北欧の国々は仲が良く、お互いの国を親戚のように感じていると常日頃言われているけれど、この傾向は近年では、難民・移民政策でも見られるのだそうだ。先月(2019年3月)の全国紙Politikenの記事によると、ノルウェーの前移民大臣で、右傾ポピュリスト政党の進歩党議員、Sylvi Listhaugが、デンマークの自由党議員で現移民大臣のInger Støjbergと会見したことが大きく取り上げられていた。デンマークの移民・難民政策は欧州内で最も厳しいことで有名だが、プライベートでも交流のあるこの女性大臣たちは、今後のノルウェーの移民政策について良い話し合いができたと満足な表情で語っている。

北欧内ではノルウェーだけでなく、スウェーデンやフィンランドでも、デンマークの厳しい難民政策を参考にしたいと考えているらしい。これまでデンマークのようになるのは恥だと語られてきたスウェーデンでも、右傾政党のスウェーデン民主党の支持率が上がり、新政府以降、国籍取得に際して言語と知識に関する試験を導入することが提案された。また先日の選挙で第二党となったフィンランドの右傾ポピュリスト政党フィン人党も、難民・移民政策について積極的にデンマークを参考にしたいという発言が目立つ。しかも、これらの北欧諸国のポピュリスト政党は、デンマークの最右傾政党の政策案ではなく、現在のデンマーク政府が取っている難民・移民政策を自国でもぜひ導入したいとラブコールを送っている。そしてデンマーク政府が先日決定した「パラダイムシフト」、つまり、従来のように難民を社会に受け入れることを前提とした支援ではなく、出身国に送り返すことを前提とした一時的な支援政策についても、大きな関心を寄せているという。人道的で民主主義がとてもよく機能した国々といわれている北欧各国でも、福祉国家の維持にのしかかるコストの増大や、従来の福祉国家からグローバリズムの影響を受けて競争国家へと変遷を遂げる中で、また広がるポピュリズム志向の中で、難民政策はこれ以上コストをかけたくない分野として扱われることがとても多くなった。

日々メディアから流れてくる、難民に対する見せしめともとれる様々な締め付けを、デンマークで暮らす一市民としてどのように受け止めたら良いのだろう。わたし自身も外国人であり、本当に色々と考えさせられることが多い。さらに、仕事上でも難民としてやってきた子どもたちと関わることもあり、メディアで実際に目にした、地中海をゴムボートで渡ってきたという人々と接する中で、この子どもたち一人ひとりの命や未来を、大きな論理でまとめて語ることにとてつもない違和感を感じる。次々に決定されていく厳しい法律と、その影響をもろに受けて突然いなくなってしまう子どもたちを目の当たりにして、どうしようもない無力感に陥る。

新しい国で新たな人生をスタートさせることができても、それは描いていた理想通り素晴らしいものになるとは限らない。低学年で入学してくる子どもたちは比較的早くデンマーク語を習得し、クラスに馴染んでいくけれど、小学校高学年や中学校など、学年が上がるごとに、その苦労も大きくなる。言葉をある程度習得するとすぐに一般クラスに振り分けられ、全てがデンマーク語のみで行われる学校生活。文化や宗教の違い、家庭の考え方の違いから苦労する子や、0年生からクラス替えがないクラスに突然転入し、なかなかなじめず、友人もできずに苦労している子もいる。初めの頃はにこやかに過ごしていたのに、学校に馴染めずドロップアウトしていった子。休み時間にアラビア語の歌を聴くため、毎日図書館のPCの前に座っていた子は、クラスのいじめが辛く転校していった。日々の生活でも必死なのに、さらに友人関係や修学旅行、テスト、ドイツ語やフランス語などの第二外国語(彼らにとっては第3、第4?)の授業、そして将来の目標を、この国に残れるかどうかが不透明な中でどう立てていくのだろう。デンマーク人として暮らしていたら、想像さえできないだろう。同じように外国からやってきたわたしでさえ、帰ることができる祖国があり、自分の意志でやってきた立場では比べものにもならない。

わたしにできる一番身近なことは何だろう。漠然とした思いから、わたしは難民に関する子どもの本について調べた。コペンハーゲン市の図書館検索システムにキーワードを入れると次々にヒットしたタイトルを、わたしはいくつか取り寄せた。

届いた絵本や短編集、児童書を次々に読み進めていく。戦争や爆弾が落ちる街の様子、ゴムボートで地中海を渡る様子をリアルに描いた絵本。登場人物を動物にして、難民が経験する様々な困難や差別を子どもにもわかりやすい人間関係に置き換えて描いている絵本。逃げる道や船に乗るシーンをあえてリアルにせず、子どもが読みやすく描いている絵本など様々な作品があることがわかる。ある女の子が新しい国で、保育園に通い始めるという物語は、戦争のシーンからごく一般的な北欧の保育園のシーンへと話が大きく流れていく。これが彼らの人生そのものなのだと読んでいて改めて気づく。

小学校高学年以上向けのある児童書は、少年が家族で国境をいくつも越えていくという物語だ。ガソリンのにおいが強く残る運搬車で何日も移動する家族。国境際で母親は射殺され、姉は仲介者に連れ去られ、父は地中海で溺死する。兄弟二人で地中海を超えるが、その先は欧州ではなくなんとアフリカで、二人はそこで養子縁組されるというのがこの話の結末。この作品は、登場人物の暮らす国や文化、言語などの背景が一切描かれていないため物語に入っていきやすいが、その理由がヨーロッパで暮らす一家の話だと最後の最後で知らされるという、読者の偏見を見事に裏切ったとてつもない内容だった。

短編集もリアルな話がいくつも集められた作品だ。これはデンマークで暮らす難民の若者たちが自分の今の思いを綴った作品集で、言葉の壁を越えて伝えられるよう、デンマーク人のメンターが一人ひとりについて作品が完成したのだそう。エリトリア、シリア、エジプトなど様々な国の名前が並ぶ。自分の国で大学まで行っていたのに、将来はこの仕事に就こうと決めていたのに、また全てをはじめからやり直さなければならなかったという悲痛の思いが伝わってくる。

これらの本はどこで書かれた作品なのだろう。気になって前付け(日本の奥付け)をめくってみる。スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、ドイツなど、難民を受け入れ、それに伴う多くの課題も引き受けている国々の名前が表れた。政治という文脈では日々締め付けの言説であふれているけれど、子どもの本の世界はもう少し希望が持てるのかもしれない。難民となった人々の現実を、子どもたちの日常を、北欧やヨーロッパの子どもたちに伝えようという動きは、彼らに寄り添い、向き合おうという姿勢だと思う。パラレル社会の現実をクロスさせ、もうひとつの現実を伝え、考える機会を作る意味は大きい。それを子どもの本が担っていること、そしてそれに関わることができることに、少し力をもらえる気がしてくる。政治の流れを大きく変えることはとても難しいけれど、こうした本と出会う機会を、デンマークで幸せな生活をしている様々な子どもたちに伝えることも、わたしの仕事なのだと改めて気づく。

自分ができることは、本当にわずかなことでしかない。多くの人々の生活や子どもたちの未来を思うと呆然とするけれど、ひとつずつ、できることを積み重ねていくことしかないのかもしれない。ここで紹介した本を、わたしは自分自身の子どもたちと読み、たくさんの思いを語り合った。こうして仕事でも、少しずつその輪を広げていくことならできるかもしれない。とてつもなく小さな一歩だけれど、わたしが今日からすぐできることでもある。

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