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愛とケーキの集会へ

5月30日木曜日。祝日だったコペンハーゲンは、午後から小雨が降っていた。息子と2人だけだったこの日、わたしは行ってみたいところがあった。Nørrebro(ノアブロ)にある広場、Blågårds Plads(ブローゴース・プラッス)。中近東やアジア、アフリカ出身者が多く暮らす地区ノアブロの中でも、特に異文化色が濃い地域だ。

この日、この場所では平和集会が行われた。主宰したのは、〈レイシズムに反対する平和プロジェクト・愛とケーキ〉。重さの異なる言葉が合わさった不思議な名前には訳がある。2か月ほど前から、デンマークの移民地区に現れ、挑発的なデモを繰り返している男性がいる。彼の名はラスムス・パルダン。Youtuberであり、弁護士でもある彼は、子どもたちにも良く知られた存在だ。ありとあらゆる挑発的な言葉でイスラム教徒を煽り、コーランにベーコンを挟んで地面に投げつけるという行為を繰り返しては、人々の関心を引いている。彼は6月の国政選挙にも立候補している。そして彼がデモをするときには、安全対策のために何十人もの警察官が彼の周りに立つ。

「こんなに酷い言葉で人々を挑発する人間が、なぜ警察官に守られているのだろう。これを見た子どもたちは、この状況をどう理解するのだろう。差別的な発言をしても、許されると思うのではないか。」こう考えていてもたってもいられなくなったある女性が、自分の子どもたち、ノアブロの子どもたちに、目の前に表れている現実ではなく、もっと違った、別の現実を見せたいと考え、立ち上がった。それが〈愛とケーキ〉の活動の始まりだ。

その女性とは、この地区に住むウズマ・アウメズさん。2人の子どもがいるが、それぞれが肌の色が異なるそうだ。「どんな肌の色でも、社会の中で差別されずにのびのびと暮らせる現実を作りたい」そう考えた彼女は、同地区の母親たちに声をかけた。4月にあったパルダン氏のデモで、挑発に乗せられ、激しく反発した若いイスラム教徒の男性たちの母親だ。そして、彼女は激しい言葉を浴びせかけ、人々をただ挑発するためだけにやってくるパルダン氏とは全く異なったアプローチを取ることにした。それは、平和で穏やかな集会。ケーキも用意し、頭には大きな花を飾り、穏やかに街を歩く。パルダン氏の前にも現れ、わたしたちの街は自分たちで調和しながら作っていく、このような挑発には乗らないという態度を見せる。穏やかに、でもしっかりと自分たちの意志を示し、それを地域の子どもたちに見せる彼女は、この活動を通して、この地区で暮らす子どもたちに新しい現実を作っていこうと試みる。そして、血の気が多い男性たちには、「あんたたちのママが作った集まりなんだから、台無しにしないでね」とくぎを刺す。

彼女の平和な集いは人々の関心を呼び、回を重ねるごとに集まる人も増えていった。わたしはインスタグラムで彼女の活動を知り、その後ずっと彼女の活動を追いかけていた。パルダン氏の挑発に乗ってしまうと彼の思うつぼ。それを逆手に取り、しなやかに、そして楽しく進めていくウズマさんの集いにわたしは魅了された。5月30日に集会をするから来てくださいね、という彼女の動画を見た時、わたしもこの場所に行ってみたいと思うようになった。

そして30日。小雨が降る中、息子には帰り道にラーメンを食べに連れていってあげると約束し、2人で出かけた。午後2時からの集まりに少し遅れてしまっていたのに、乗り換えたバスが逆方向だったことに途中で気づき、バスを降りる。次のバスはいつだろうと向かいのバス停で待っていると、初老のデンマーク人男性が英語で声をかけてきた。「バスは来ないよ、ここは今日は音楽のイベントで来ないと書いてある」と言ってきた。驚いて思わずデンマーク語で返事をする。そして別のバス停まで、わたしはその男性と話しながら歩いた。男性は2,3分の会話の中で、わたしのデンマーク語はとても良い、発音が良いから電話で聞いてもよく分かるだろうと満足したように頷き、何年もここで暮らしても話せない外国人はたくさんいると語った。何ということのない世間話であるはずなのに、男性のニュアンスの中に、外国人に対する考え方を敏感に感じてしまう。

バスを乗り換え、集会の場所に着く。雨が少し強まり、集会に集まった人々は、近くのカフェに移動していた。入りきれなかった人々があふれていた場所に、わたしと息子も立つ。ウズマさんはマイクを持ち話していた。マイクが彼女の母親に渡る。移民一世としてやってきた母親は、自分が60~70年代のデンマークを作り上げた仲間であり、ここがわたしの暮らす場所だと語る。それに頷く人々。集まっていた人々は、わたしのように肌の色が白くない人が多かったが、半数はデンマーク人(白人)だった。その中の別の一人がマイクを持った。ウズマさんの親友だという白人女性。「移民の人たちに、『わたしたちの味方をしてくださってありがとう』と言われてショックを受けました。「わたしたち」とは、ここにいる全ての人です。区別はありません。皆が支え合う仲間なのです。』

温かい言葉が続いていく。初めて聞く言葉ではないはずなのに、その場の雰囲気からか、目頭が熱くなってくる。あれ?どうしよう。静かに女性たちの声を聴いていた息子の手を強く握り、空を見上げる。ウズマさんがまたマイクを持った。「では次の人にマイクを渡す前に、ここで皆さんにも対話をしていただきたいと思います。皆さん、隣りに立っている方と、なぜ今日ここへ来たのか、少しお話ししてみていただけますか」これはまずい。ここで声を出したらわたしはきっと泣いてしまう。息子を驚かせてしまう。泣きに来たのではないのに。あぁもう今日はこれが限界と思ったわたしは、息子にラーメンに行こうと小さく声をかけた。

集会場所から歩いて数分のラーメン屋に入る。午後3時にも関わらず、お店はお客であふれていた。スウェーデン語や英語で話す人たち。店員さんも外国人。胸がいっぱいで食欲がなかったわたしは、息子にラーメンとラムネを買う。美味しいと嬉しそうにラーメンを頬張りながら、お母さん、さっきの人たちの話、良かったね、来てよかったねと息子は言った。

ラーメン屋を後にし、ソマリア人のお店が多い通りを抜けて、バス停に向かう。ほんの少しの時間だったけれど、来たいと思っていた集会に行けたことが嬉しかった。ウズマさんやその仲間たちの温かい声を聴けたことも。わたしはイスラム教徒ではないし、彼らが受けているほど酷い差別を経験しているわけではないけれど、永住権取得で苦労したことや、その過程で何度も感じた疎外感や絶望感を、どこか自分だけのこととして感じていた。この日、同じような思いをしている人たち、この状況を変えたいと思っている人たちの顔を見て、声を聞けたことで、初めて心が少し緩んだ気がした。

バス停でバスを待つ。知らない男性が、肌寒さから少し頬が赤くなっていた息子に、もうすぐバスが来るよと声をかけた。バスに乗ると、今度は別の男性がわたしたちに席を譲ってくれた。「お母さん、なんか今日は優しい人たちがいっぱいだね」息子が言った。

Det øverste billede er fra minby.dk

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