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今もこれからもずっと心に留めておきたいこと

「あおい目のこねこ」エゴン・マチーセン作・絵、瀬田貞二訳 福音館書店 "Mis med de blå øjne" af Egon Mathiesen, 1961 Gyldendal

デンマークで出版されてからわずか4年後に日本でも紹介されていた絵本。子どもの頃に読んだという人も多いかもしれない。今でもデンマークで愛されている古典的作品で、小学校低学年の教科書でも紹介されている。

あおい目の元気なこねこは、ねずみのくにを見つけにでかける。途中、目の色が違うことから多くの動物に相手にされないが、ひるむことなくマイペースでねずみのくにをさがす。ある時、あおい目のこねこは、きいろい目のこねこの集団と出会う。しかし、また自分だけ目の色が違うことでばかにされ、相手にされない。そんなとき、ひょんなことから自分でねずみのくにを探し当てたあおい目のこねこは、きいろい目のねこたちにねずみのくにの場所を教える。いっしょについてきたきいろい目のこねこたちに、目の色がちがっても、同じ仲間だと認められる。

前回の記事で紹介したアストリッド・リンドグレーンと同じ年(1907年)に生まれた画家、エゴン・マチーセンは、デンマークで大きな影響を与えた絵本作家の一人でもある。子どもたちにも芸術を体験してほしいという願いを持ち、筆で描く線や色などから、子どもたちの視覚に訴えるような作品を描くことにこだわった。この作品も白を基調にシンプルな黒い線で描かれたねこが、絵本の中からくっきり浮かび上がるようだ。

あおい目のこねこは目の色が普通でないことから、道中、様々な動物から相手にされないのだけれど、それについては全くもって落ち込まないところがこの作品の面白さでもある。そして、それをこのねこの強さとして強調することもなければ、かわいそうだと同情を求めるようにも描かれてはおらず、淡々とお話は進んでいく。きいろい目のこねこたちにばかにされた時も、自分が不細工なのか、もしかすると、ちゃんとしたねこじゃないのかを確認するために、あおい目のこねこは水たまりに自分の姿を写しだす。そこに写ったのは、不細工でもないちゃんとしたねこだった。「あの子たちがまちがってるって伝えなきゃ!」と嬉々として飛んで行くあおい目のこねこ。水たまりの上を高らかにジャンプしながら嬉しそうに飛んで行くあおい目のこねこを見ると、読んでいる自分まですがすがしい気持ちになる。なんと自信に満ちあふれているのだろう!傲りでもなければ悲観もない。自分が周りとは違っていてもそのままの自分を受け入れている姿は、現代社会に居場所がないと感じている多くの人々にとっても清々しく映るのではないか。

ねずみの国を見つけた後、あおい目のこねこはきいろい目のこねこたちをそこへ連れていく。ねずみでお腹いっぱいになったあと、きいろい目のこねこたちはいう。「ねずみをごちそうさま、あおい目のこねこ。きみはぼくたちとおなじようにお腹もすくし、おもしろいこともするし、やせたり太ったりもするし、ねずみを探しにでかけたりもする。ただ目の色が違うだけなんだよね」(邦訳版はもっときれいな日本語だと思います)目の色が違っても、同じ仲間。見た目が違っても、話す言葉が違っても、大切にしている宗教や文化が違っても、同じところで暮らす仲間。このメッセージは60年近く経った今でも良く知られたものであるはずだけれど、昨今の日本や世界の情勢を見ると、果たして本当に忘れられていないだろうかという不安もよぎる。

マチーセンは、芸術を通して子どもたちに世界の出来事を伝えることは可能だと考えていた。そしてこの作品は、第二次世界大戦後、マチーセンが、異質なものに対する寛容さとそれを理解する心をもつことの重要性を、絵本という形を通して伝えようとしたものだ。力を持った多数派と弱い少数派との関係は、マチーセンの作家活動の中で重要なテーマの一つであった。

今の時代も色あせることなく、また様々な角度から読めるこの作品。テーマが今でも、いや今の時代更に現実的であるということが残念でもあるけれど、いつどんな時代でも、わたしたちはずっと、この真実を子どもたちと確認しながら、歴史を一歩ずつ進めていかなければならないのかもしれない。そして、このあおい目のこねこのように、内から光り輝く自分らしさを大切にして。

"Billedbøger -En grundbog" af Ayoe Quist Henkel et.al (2012) Dansklærerforeningensforlag

 

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