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コミュニケーションとか集団活動に感動するとき、何に感動してるんだろうか

コミュニケーションの支援とは

コミュニケーションには情緒的なコミュニケーションと理解コミュニケーションと表出コミュニケーションがある

情緒的なコミュニケーションを喜ぶ支援者は多い

やりとりができた いい雰囲気だった 一緒に活動できた 分かったみたい

友だち感とか

(情緒的なコミュニケーションは私が作った言葉です。なんとなく温かいコミュニケーションとでもいいましょうか。多数の人にとっては心地のよい感情のやりとりがあるもののことを言おうとしています。)

でも情緒的なコミュニケーションは計りにくい なんかいい感じとは言えるけど 何が起こったか 本人に直接的に感じにくい 

そして
コミュニケーションを教えようとするとき、理解させようとしている人が多い 私も昔そうだったし今もそうなるときがあることをよく自覚する

表出の方法を適切な形に変えられるかを見ていく 

適切な要求が出せること、
状況を適切に理解できる環境があること

表出コミュニケーションと
理解コミュニケーションは

セットである

それが彼女ら彼らのコミュニケーションの権利を保障すると

思う。

情緒的なコミュニケーションも素敵だけど、
本人に利益が明確に感じられるコミュニケーションは
見えて分かりやすいから理解できるコミュニケーションと
要求して見える利益が得られる表出のコミュニケーション

まあ そんなん言うてても
私は雑ですから なんとなく見ていて
試行錯誤をしつつ  

分かりやすい環境を作り
表現しやすいツールを用意して
表現してもらうと

13年前の私にこれを伝えてもピンと来ないでしょうね。

伝わる工夫ってムズいね。

まあ1個1個発見していきましょう。楽しいですから。本人が目を輝かして主体的に活動したりコミュニケーションを取ろうもしている瞬間

感動します。

いろんな支援者が本人の目の輝きの場に立ち会えますように。

表情に出にくい人もいるので、目が輝いてるか分かりにくい人もいるかもしれませんね。

でもね、ありますから。本人が自分でつかみとる瞬間の喜びは 

与えられる喜びではなく
自分で決める 選ぶ喜び 


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