〈小説〉パズル〈少しホラー〉

 布団をかきあげてベットの縁に腰掛ける。またと思ってしまったが、隣で寝ている部長を見ると、ひとときの情事に身を溺れていた自分に気がつく。背筋が冷える。
 部長との関係は半年以上にも及んでいた。最初は仕事の後に皆で飲む関係だったが、それが二人きりで飲む関係になり、やがてはベットを共にする仲になった。
 いったいどうしてこうなったのかと思うだろう……昔の私は。しかし今の私からすると、何か、必然めいたものを感じてしまう。
 私は自分を駄目にすることが、めっぽう得意だ。高校時代も彼女がいる人と浮気をしていた。大学時代からは不倫もするようにもなった。男を拐かして楽しいわけではない。ただ空気に飲まれて、相手の感情の波に押し流されて、いつのまにか、いやそれすら言い訳だろう。
 私は幸せになりたいのに、私は不幸せになることに全力をかけている気がする。
 ため息をついた。するとその息に気がついたのだろう。部長が伸びた声を出す。どうしたんだ。かすれた低い声。若い自分だったら、その甘やかさに耳をとろけさせたに違いない。けれど今は、その声が情事の後だと気づかされて、私は嫌気が差す。
「君ははあの、プロジェクトの主任をしたかったんだっけ」
「まぁ……そろそろ。業務も慣れてきたし」
「俺、あのプロジェクトの相談役って言えばいいか。まぁサポートをすることになったんだよ。なぁ……やってみるか? あのプロジェクト」
 ベットの上で、相手にしなだれかかり、私は部長の心臓の音を聞いていた。だが部長が言った瞬間、心臓が異様なくらいに高鳴るのを感じる。
 男と最悪の関係を築いて、いつも人に後ろ暗いものを感じ続けてきた。そんな私が、プロジェクトの主任をする。うまくすれば、人生の、いや社会の檜舞台に立てるチャンスだった。
 いつも私の脇を、後ろ暗いものがない女の子達が駆け抜けていく。
そんなものを見て、私はいつも拳を握りしめていた。
 男に抱かれてきたけれど、その男の関係は誰かを不幸せにするものばかりだ。
 いったい、どうしてと思ってしまう。
男がわたしを好きと言うことに、心をときめかせるのか。それとも自分はまさか、こんな関係に心を惹かれてしまう体質なのか。駄目だ駄目だ。
 私は何かが欠けている。
 でもこのチャンスをものにすれば、少なからずは私は満たされるのではないかと思った。
 私もひかりあふれるところで、みんなと一緒になれるのではと思ったのだ。

 部長と別れる。二連休の初日は、部長との情事でほとんどが終わった。
家に帰ったら、少し部屋の掃除をしないといけないだろう。明日は友人が来るのだ。夕暮れ、紅い光が、地面を差していた。
 もやもやと広がっていくオレンジ色の空。私はこんな黄昏時が、自分にふさわしい気がした。日が暮れて沈みこむだけ。一つも先が見えないような……群青。
 けれども、部長が私をプロジェクトの主任にしてくれるなら、私は中天にのぼる太陽になれるかもしれない。そう思うと笑みがこぼれた。
 暗い笑みだった。
 ナメクジでも蝶になれるのだ。
 自分が憧れる世界で、日光にも負けずに輝けると思えたのだ。

 通りかかった公園では、フリーマーケットがやっていた。しかし夕暮れ時、ほとんどの店は店じまいをしていて、開いている店はほとんどなかった。そんな中、白い敷布の上に、箱と台紙を一つだけ置いて売っている青年がいた。
 革帽子を深くかぶり、愉快そうに口元は笑っている。箱には細工模様が刻まれていた。細かな模様が印象的だった。
「これは」
 私は思わず立ち止まっていた。別に寄るつもりはなかった。ただ、男の笑みや、箱細工の見事さ……いやそんなことでは説明が出来ない。ただ私は、この店で立ち止まらないといけない気がした。体が引き寄せられた。マグネットが引き合うように、ここに着たのだ。
「何?」
 棒読みだった。関わるつもりがなかったのに、質問をしている。この奇妙さに、腹の中でぐるぐると感情が渦巻いた。
 すると青年は革帽子をあげて、私を見た。
「ほう、興味があるのかな。お嬢さん」
 自分はとっくにお嬢さんと言われるような年齢ではない。三十も過ぎて、それで不毛な関係を続けている。だが青年にそんな感情は分からないだろう。
 私はその脳天気な言葉を吐く、青年をバックで殴りつけたくなった。
青年はニコニコと言葉を続ける。
「これはね、パズルが入った箱だよ。特別性、なんだ。完成させられるヤツと完成させられないヤツがいる」
「どういうことなの」
「言葉のままだよ、お嬢さん」
 青年はかすれた声で笑う。何だろう、容姿が違うのに誰かと声が似ている。
部長の声のようだし、かつての情事を重ねた相手にも聞こえる、何だろう気持ちが悪い。それにニヤニヤと笑い続ける青年の顔が、うすっぺらく感じる。仮面をつけているような、そんな感じさえもする。むしろ仮面の奥で何を考えているのか、さっぱり分からない。
「誰が、パズルを完成させられるかな?」
「え?」
「前の所有者は完成させられなかったんだよ」
「そうなの」
 どうしてと聞き返そうとすると、青年は私をぶしつけに指差した。
「ねぇ、君は完成させられるかな?」
 私を試すような、私を嗤うような言葉。いったいこの青年は何者なのだろう。
「あなたは」
 一瞬箱を見て、私は男を改めて見ようとした。
しかし、その瞬間、風が青年をさらったように、どこにもいなかった。
夕暮れの時間は終わる。ぬるい風が青い闇を引き連れていく。
私は一人、公園に居る。白い箱とパズルの台紙だけを持って。

 帰宅した。気晴らしに、部長からもらったワインを飲んだ。水のようになめらかな口当たりのワインだった。すいすいと飲めてしまう。
 私はつまみを口に含み、咀嚼しながら箱を見る。完成させられなかったパズル。
そんなことがあるのだろうか。よほど難しかったのだろうか。
詳しいことは分からない。私は思いきって箱を開けた。
話を聞くだけでは、意味不明なパズルだが、私はピースを一つ取った。
ピースの量はそれほど多くない。難しさは感じられなかった。どうしてこれが、前の所有者は完成させられなかったのか。逆に疑問を感じる。
「あれ」
 私は指を止めた。パズルが完成させられない理由が分かったのだ。
パズルの一ピース足りない。どうしても一ピースが、箱の中で見つけられない。
なんだ、このパズルは不良品だったのか。不良品であるなら、完成させられなくてもしょうがない。一ピース足りないパズルは不格好だった、完全な美しさ、それから大きく離れている。足りていない。決定的な穴がある。
「くだらない」
 思考がぐるりと駆け巡ったせいで、私は疲れてしまった。完成させられないのならしょうがない。持っていても意味がないだろう。崩して、箱に戻そう。燃えるゴミに出すのが良いだろう……。するとパズルの穴と目が合った。
 この言葉は比喩ではない。パズルの欠けている部分には、目玉がはまっていた。
青い瞳の眼球だった。ひぃっ、短い言葉が、叫びが漏れた。
 私の中で青い瞳は、初めて浮気した相手の、彼女の瞳だった。
フランス人だったか、外国人の子だった。日本に長くいて、日本語はペラペラだった。でも本気で怒ると、親の母国語が得意らしく、雷のように、雹のように、怒りを言葉にのせて私にぶつけた。私はそれを嗤っていた。
 人のものをとるのは、ひどいことだ。
 人のものをとるのは、いけないことだ。
 でもそんなものを、私は欲しかった。
 その男に宿る、愛が、私は心の底から欲しかった。

 だけどおかしいものだ。男が私に本気になればなるほど、私の心は寒々しくなる。
その愛を、かつて向けられた者がいたのだ。あの青い瞳の少女は怒り狂って、私の首を絞めてきた。それ程までに必要な愛だったのだ。
 だけど、私はそれを、まるで花摘むように、奪ってしまった。
自分は何をしているのか……でも、この愛の残滓、骸を、手放せない。

 私には何かが足りていない。私には深夜の排水溝を見るような闇がよく似合う。

「あ」
 私ははっとして、頭を横に振った。パズルの前で立ち尽くしていた。
慌ててパズルを見るが、そこには青い瞳はない。
「げん、かく……?」
 私は空笑いをするしかなかった。
一体、私は何を見ていたのか。
 気持ち悪さがこみあげ、私は咳き込んだ。

 パズルに触れることが躊躇ってしまった。テーブルに置いたまま、部屋の片付けをする。翌日、友達は手土産にケーキを持ってやってきた。
 友達は会社の同僚でもある。同期で入ったので、仕事の悩みも共有しやすかった。
「呼んでくれてありがとうね」
 友達は桜色のワンピースを着て、ふんわりと笑った。
「いらっしゃい。紅茶をいれるわね」
 私の言葉に友達は笑顔で頷いた。
 部屋の片付けぶりに感心しながら、友達は部屋の隅に座る。
真ん中に座ればいいのにと言うと、ここが落ち着くのと言った。すぅと深呼吸をしているところを見ると、本当に居心地が良さそうだ。少し考えが風変わりだった。
 天真爛漫で、仕事は少し出来ないが、それがまた人に愛される。
 私も彼女の側にいると、その無害さから、心が癒やされるような気がした。
「あれ、パズルがあるね」
 彼女は、テーブルに置かれたパズルに気がつく。
「ああ、不良品なのよ。ピースが足りなくて」
「ふぅん」
 パズルと脇に置かれた箱を見て、彼女は頭を傾げた。
「これ、不良品じゃないよ」
 彼女は私の知らないピースを、指で挟んだ。私は紅茶を注ぐ手を止めた。
「どこでそれを見つけたの?」
 見たことのないピースだった。でも彼女はちゃんと指で挟んでいる。
 彼女は小首を傾げて、箱を指さした。
「ここに入っていたよ。見落としてたんじゃないかな」
 パチンと、彼女はピースをパズルに当てはめた。私はその様子をぐっと息を飲みながら見ていた。そんな馬鹿なと思った。私は、あのピースを見つけられなかった。絶対になかったのに。どうして彼女は見つけられたのだろう。
 信じられないほどの焦燥感が心にあふれんばかりに満ちた。たいしたことじゃないのに、彼女に、負けたような気がしてしまった。
 いったい、何に……負けることなんてあるのだろうか。彼女に。
 完成したパズルを私は、うまく見続けることができなかった。
何だろう、私が手にしたパズルなのに、まるで彼女のもののように感じてしまう。
 友達はパズルを完成させたことにそれほど興味がなかったようで、また部屋の隅に座る。そしてスマホをいじっていた。
 友達との時間はあっという間に過ぎた。彼女は電話をしたかったらしく、時間になると、そうそうに家を出て行った。そのせわしない背中を見ながら、私は扉を閉める。
 そして、完成したはずのパズルに目をやった。パズルは一ピース足りていない。また未完成になっている。おかしい。確かに彼女はパズルを完成させていた。完成したパズルを私は何度も見ていた。そしてパズルには誰も触れていない。
 どうして、パズルは、欠けている?

 私は意味が分からなくなった。
 そしてまたパズルの開いた穴から、今度は唇が覗いている。
誰の唇なのか、分からない。赤い口紅を塗っている女の唇だったり、男のような薄く乾いた唇だったり、変幻自在に変わる唇に私は目を疑うことも出来なかった。

「うそつき」

「うそつき」

「うらぎりもの」

「うらぎりもの」

「なんにもできないのに」

「ほしがってばっかり」

「ずるい」

「ずるい」

「ずるい女」

「うるさいっ!」
 
 私は言葉を紡ぐ、欠けたパズルを掴むと、思い切り床にぶちまけた。
ピースが散らばる、ばらばらと、崩れていく。まるで身を切られるような痛みを感じたのはよく分からない。
「私の気持ちを知らないくせに!」
 いつも欠けているような、満足を得られないような私の、こののしかかるような地獄を、お前達は知らないくせに!
 私は、私だって、こんなことをしたくない。でもこうしなければ、満足感が得られない。でもその満足は一瞬で、すぐに虚無感が私の身を巣くっていく。
 私だって、私だって、普通に幸せになりたいのに。でも私は、その幸せの得る方法が分からないんだよ!
 私はがりがりと頭をかきむしった。この苦しみはもう少しで終わるのだ。
プロジェクトの主任になれば、少しは、この立場は良くなるだろう。
 舞台の上で、スポットライトを浴びるように、私も日の光が似合うようになるはずだ。
「そうしたら、そうしたら、私は……やっと」
 その時だ。
ピンポーンとチャイムが鳴った。誰だと思った。髪を一応整えて、重い体をひっぱりながら、玄関に向かう。友達が来ていた。
「ごめん、忘れ物しちゃって」
 彼女は軽い足取りで部屋に入る。パスケースを忘れて帰れなくなっていたらしい。それにしてもずいぶんと楽しそうだ。何かあったのだろうか。
 彼女はパスケースを取ると、空っぽのパズルの台紙を見た。
「あのパズル、模様が素敵だよねぇ。私も欲しいなぁ」
 空っぽの台紙に向かって何を言っているのだと思ったら、完成されたパズルがそこにあった。おかしい、さっき、ピースを床にたたきつけたはずなのに。そういえば、ピースは床から消えている。ならさっき私がばらばらにしたパズルは何だったのか。
「いやぁ、いいことがあった後は、いけないね。気が緩んで忘れ物しちゃう」
「いいこと?」
「うん」
 彼女は大きく頷いた。それから声をひそめて囁く。
「今度始まるプロジェクトの、主任を任されたの」
「え」
 心臓がおかしくなりそうだった。私たちの部署で新規に始まるプロジェクトと言えば、あのプロジェクトしかない。私の頭に、私が主任だと言った部長の顔が思い浮かぶ。まさか、いや、そんな……私は目を手で覆いながら、呼吸を整える。それから、こわばった笑みを浮かべて彼女を見た。
「もしかして。部長がサポートに入る、あのプロジェクト?」
 すると、こくこくと彼女は何度も頷いた。
「そう! あのプロジェクトに関する知識、実は勉強しててね。部長がそれを見込んでくれたの」
 愕然とした。部長は私を主任と言っていたが、でもそんなの、お笑いぐさになるくらいの、ベットの睦言に過ぎなかったのだ。部長は私との関係より、仕事として使える彼女を選んだ。それは間違ったことではないだろう。間違ってはないだろう。だが、だが、その言葉を信じた私は、あまりにも愚かすぎないだろうか。だけど私にはそれしかなかったのだ。それを信じるしか、自分を立てる術を持っていなかったのだ。
 それがあまりに悲しい、虚しくて、腹立たしい。どうして私はこうなる星回りなのだ。彼女は私の動揺を知らず、無邪気に背中を見せた。
「明日は早く来いって言われてるから、早く帰らなきゃね。じゃあね」
 足を進める友達。成功へ、私が望むスポットライトを浴びようとしている女。私は排水溝の中から見ているというのに、一体どこへと行くのか。私は待ってと言った。
 彼女は無頓着に、無警戒に、私を見て、表情をこわばらせた。
「あんただけ、ずるいっ」
 私は馬乗りになって、彼女の首を絞めた。指を、喉元にあてて、思い切り体重をかける。完全に不意打ちだったのだろう。彼女はほとんど抵抗できなかった。手を私の腕を掴んだが、すぐに手放す。音にならない悲鳴を上げながら意識を手放した。それでも私は彼女の首を絞め続けた。殺意なのか、衝動なのか、嫉妬なのか、怒りなのか。すべてが織り混ざって、私は何が何だか分からなかった。ただ、この子が息をしていることがたまらなく耐えられなかった。その時だ。パズルが置いてあったテーブルから落ちた。ピースが飛んで、パズルは崩れていく。だがそれだけではない。パズルが、そのピースが、消滅していくのだ。まるでそこにある台紙には相応しないと言わんばかりに。そして空っぽになった台紙から、白い腕がいくつも伸びてきた。私は短く声を上げて、逃げようとする。しかし腕はがっちりと私の体に掴む。私が何をしたと思った途端に、私の体が崩れ始めた。パズルのピースになって、私の体は崩れ去っていく。
「いや……いや! 何これっ!」
 ずるずると、私の頭の中で、前の持ち主と思わしき人間の映像が流れ込んできた。
そいつも、パズルを完成させられず、とんでもないことをしてしまった。そしてパズルになってしまった。
「やめ、やめてぇえええ」
 しかしパズルになることが止まらない。私は空をかくように、手を動かした。だが指先も叫ぶ口も、何もかもがパズルのピースになる。バラバラ、バラ。私は完全にパズルになった。そして小さな箱に収納される。風にさらわれるように、私の叫びも私の時も、私自身すらも箱に閉じ込められた。

 部屋には気絶した女性と、パズルの箱と台紙が一つ。
 するとそこに、公園にいた青年が、壁を通り抜けて入ってきた。
「いや、こんどのパズルは真っ赤で美しい」
 怒りと嫉妬と衝動で、良い色になっていると青年は感心したように頷いた。
「だが、次の持ち主こそ、パズルを完成させられると良いですねぇ」
 まるで舞台役者のように、仰々しく青年は言う。

 そして唐突に語りかける。
 
「ねぇ、これを見ているあなたは、完成させられますかね?」

 続けて、何かを覗き込むように前を見た。

「あなたは何も、欠けていないですかね?」

 笑う青年の口元。しかし瞳は笑っていない。地獄の底のように真っ黒だった。 

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