ミューゼ事件の判決~あなたならどう裁きますか~①

 その時のロンド判事の顔をクオンは一生忘れないだろうと思った。

 駆ける、砂利の道をクオンは駆けていく。クオンは裁判官を目指す裁判官見習いである。二年ほどロンド判事について修行していた。今日もロンド判事について裁判を見守ることになるのだが、今日はいつも以上に興奮している。いや興奮せずにいられないだろう。今日の判決は特別なものになるのは明白だった。ミューゼ事件の判決である。あのミューゼ事件の公判に自分が立ち会えるとは思わなかった。これも平等な裁決を是とするロンド判事の優秀さあってのものである。クオンは自分の幸運に思わず普段何とも思っていない神へと感謝しそうになった。
 裁判所に着く。遅刻はしなさそうであるが、クオンの息は切れている。歩いているうちに少しずつ呼吸を整え、ハンカチで汗を拭う。そうこうしているうちにロンド判事の執務室の前と着いた。一つ深呼吸して、ノックする。すると穏やかで柔らかみの声でーー。
「クオンですね、入りなさい」という声が聞こえた。
「はい、ロンド判事……おはようございます!」
 クオンは執務室へと入る。クオンは気付いていないが、その目は大きくなっていた。
 それに気付いたのか、ロンドは紅茶を一口すすりながらたおやかに笑んだ。
「ふふ、初めてここに来た時を思い出しますね。それくらい……心が高鳴っているのかしら」
 さっとクオンの頬が染まる。
「いえ、そんなことは……ありますね」
「そんなに興奮する理由は……アレかしら?」
 何もかもを悟ったような顔である。クオンは促されて、ロンドの席の側にある自分用の席に座った。
 さすがにそこに座ると意識が引き締まる。クオンはロンドを真っ直ぐ見た。
「今日はいよいよ、ミューゼ事件の公判ですね」
「えぇ、昨今増加を見せているミューゼ病患者によるものですね」
「まったく奇っ怪な病ですね……名前をつけられたミューゼ神はもしかしたら迷惑かもしれないけど」
 そう言いながら、今日の公判資料をクオンは改めて目を通した。
 ミューゼ病……飲めば錯乱する酒を振る舞う狂気の女神、ミューゼからつけられた病気だ。その症状は理解しがたいもので有名だった。
 見える人間全てが異形の化け物に見えてしまうという病なのだ。その姿形はさまざまだが、ミューゼ病患者がもっとも恐ろしく感じてしまう姿で出るというデータもあった。また妄想が増大させる効果もあり、化け物に見える人間に襲われると思ってしまうことがしばしばあった。それ故に、事件が増加してるのだ。ミューゼ病患者による事件が。
 今日はそのミューゼ病患者が起こした事件の初めての公判だった。裁判官としてロンドが、その補佐としてクオンも公判に参加予定だった。
 資料を読み終わると、クオンは留め具で資料をまとめ直す。ふせんも貼り、すぐにどの資料なのか分かるようにした。ロンドは裁判官たる証のついたベストを着る。それに肩がけの羽織、白い手袋をつけたところでロンドは言った。
「しかし私にとって不思議だよ、クオン」
「不思議……とは?」
 クオンは資料をまとめた書類挟みを持ち、慌てて立ち上がる。裁判官見習いの証の羽根つきの帽子を片手で取り、さっと被った。
「いやね、この国の医療技術はどの国にも負けないほどに技術が高い。特に臓器保存に関しては……神の領域と言えるほどだ。しかしそんな国で、ミューゼ病が発病した……いったい神がいるのなら、どんな思し召しなのかと思ってしまうよ」
「確かに……それはそう思いますね」
 ロンドはクオンに目をやった。
「ねぇクオン、もし君ならこの判決はどうすべきだと思う?」
「え?」
 クオンは素っ頓狂な声を出した。自分が判決をするのなら……それはいつもロンドから言われていることだった。しかし今回の公判、ミューゼ病患者という特殊なもの……何も考えず、そうまるでコロシアムの観客のように公判の流れを胸をわくわくしていたのだ。
 ロンドは少し物憂げな顔をした。
「いけないよ、クオン。君はこの公判に立ち会わなければいけない。君は何かを心にして、いかなければいけない。君はいずれ、判決を下す身なんだ」
「申し訳ありません、ロンド判事」
「分かればよろしい」
 ロンドは歩き出したところで、思わずクオンは声をかけた。
「あの、ロンド判事!」
「何だい、クオン」
 クオンはロンドに見つめられた。それに少しドキリとしながら言葉を続けた。
「ロンド判事はどのような判決をしたいとお考えなのですか……?」
 ロンドのたおやかな雰囲気が一瞬強ばった。しかしすぐに緩和する。問われることは分かっていたが、いざされると戸惑わずにいられなかった様子に見えた。
「私は……どんな方針で判決を下すか知ってるね」
 クオンは頷く。
 ロンド判事は検事、弁護士の主張をよく聞き、平等な判決を下すことに定評があった。
「私は平等な判決をくだそうと思う。私はそのためなら何だってしよう……法廷の神、正義の神アルセデウスに誓って」
 ロンド判事はそう言うと、また歩き出した。清廉潔白を表明する白い羽織を羽織った背中が揺れる。それはいつもの光景のはずなのに、クオンの目には強く焼き付いた。
 クオンは考える……自分は裁判の傍聴席にいる身ではないのだ。自分ならミューゼ病患者をどう裁くのか……道は二つあった。

ーー一つは罪を罰し、刑に服すこと。

ーー一つは公判を停止し、治療に当たること。

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