「掌編」私がやる気が出た理由(わけ)「小説」

 朝は憂鬱だ。低血圧で頭が痛い。起きるのを何度もためらわせる。引きずるように起き上がり、手早く仕事着に着替えてた。私の仕事は絵描きである。
 油絵を依頼を受けて描いている。最近依頼があったのは、近くに流れる大きな川の水面を描くことだった。五月の川の水面は、光を散らしたような輝きがあり、淡い青空とのコントラストが印象的だった。今日は塗りを程度を見て、削り取る作業が待っていた。
 だが、気分が重くてしょうがない。

 きっと、あれだ……今回の依頼者が、作品を安く買い叩こうとしたからだ。あれには心底気分が萎えてしまった。別に自分の作品が希代の名品と言われるものかと言ったら、謎である。しかし依頼者の要望に全力で応えようとは思う。そして現状でも依頼者は満足した上で、値段を抑えようとしだした。やたらめったら口がたつ依頼人。私は言い伏せられてしまうしかなかった。

 サラダを手早く作って、作業のように咀嚼する。
ドレッシングを作った渾身のサラダだったが、味が無味に感じてしまう。紙をかみ砕いていると言ってもいい。

「やっぱ、もうちょっと頑張れば……よかったのかなぁ」

 昨日はあまりの衝撃で、そのまま婚約者とやけくそのあまり、酒をあおるように飲んでいた。きっと朝の頭の痛みも、酒が影響しているに違いない。

「おっすー。元気かぁ」

 婚約者のヨアンが戸を開けた。牛乳屋なので、片手に大きな牛乳瓶を持っている。私はうめくように言った。

「ああ、うん……死にたい」

「だめだって、死にたいなんて。二日酔いが苦しいんでしょ、後低血圧……あと」

「あーあー。お母さんはお帰りくださーい」

 世話焼きすぎるのが多少うっとうしいヨアンである。

「私、ちょっと落ち込んでいるの」

「ああ。あの、依頼人だろ」

「そう。仕事もしなきゃいけないけど……やる気でなくて」

 そう言うとヨアンは自分の顎に手をやる。それから、一枚の紙を見せた。何だと思いつつ見ると、それは私が希望していた金額での契約書だった。

「え」

 面食らった顔で私はヨアンを見る。するとヨアンは私のサラダを勝手に食べていた。

「ああ、うまいな」

「いや、勝手に食べないでって……それはいいわ。これは何よ」

「うーん、昨日の話を聞いて。ちょっと相手に契約を見直させた」

「ええっ」

 私はびくっと背中を震わす。あの契約を、見直させた?
どうやって、何をやって? 混乱をする私にヨアンは。

「まあ、いいじゃん。これでやる気出ただろ」とこともなげに言った。

いや、そんな軽い話じゃないだろう。
 私はおろおろとヨアンを見る。迷惑をかけたのではないかと気が気でない。このお礼をどうすればいいのか。

「なんだよ、カレン。まだはじめる気にならないのか。仕事」

「いや、そんなことより」

 私は言葉を積み重ねようとすると、ヨアンが私の顎をとった。そしてそのまま唇をついばむように合わせる。私は目を見開いた。唇が離れて瞬間、さっとほおが熱くなり、口に手を当てる。ヨアンはケラケラと笑った。

「やる気出せよカレン。頑張り時だろ」

 そのあっけらかんとした口調。何にも気にするなと背中をたたく手。感情がこみ上げ、顔を伏せた。

ーー何よ、かっこいいじゃない。

 そんな言葉、意地でも口に出さなかった。

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