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40半ばにして体験する自分の更年期の諸症状に関する考察①

今さっき、わたしは1時間ほど寝ていて、起き抜けに意識上で何かサイババと話していて、寝る前にはわたしはいろんなことをやりたい、正しく言えばやらなきゃいけないのにできないというストレスを感じていて、でもサイババに寝るように言われた気がしてとりあえず何もかも放っておいて寝ました。

そして目が覚めた。

目が覚めて、シッターさんが子供を見てくれる時間はまだあと1時間ほどあって、体はまだしんどいけど、まだ寝たほうがいいのかな、それとも動いていいかなと思案して、

夢うつつの状態で、また脳内サイババと何やら話していました。

そして、この話したことを文章に書くように促された気がしたので今書いてるんですが、正直どんなやり取りがあったのか忘れました。
そこに何らかの気づきがあったと思うんですが、わすれちゃった。

でも何か少し書こうかなと思って書いてます。


こうやってサイババと脳内会話してる人って、サイババ関係者とかでは少なくないと思います。

サイババに限定しなかったらいろんな人が同じようなことをやってますよねきっと。

たとえばなんらかのアセンデットマスターとか、死んだおばあちゃんとか、どこかの宇宙人とか、、、神様とか。

別になんでもいいと思うし、好みかなと思います。

わたしの場合、サイババが自分のキーパーソンなのでサイババです。
サイババに意識の焦点があいやすくて便利とかたぶん縁があるとか、そういう理由です。


今は2019年3月2日です。
あ、今気がついたけど、明日誕生日だ。

45歳になります。たぶん。

まあ年齢に関しては特にコメントなしって感じです。


しかし体はきついですよねーーー。


去年の11月半ばから4ヶ月の予定で、今3歳の2人目の息子と一緒に南インドのプッタパルティに滞在しています。

ここ数年、冬はこういうパターンが多いです。
冬の間の数ヶ月は南インド滞在。

この息子も暖かい南インドのプッタパルティで出産しました。

わたしはプッタパルティが好きなので、なるべく長く滞在したいし、
かといってずっとだとそれはそれで疲れるので、日本半分、インド半分が理想かなと思っています。
インドの夏の酷暑は逃げるが勝ちみたいなとこもありますし。

でもここ数年は、そう言いながらもなんだかんだ1年の半分をだいぶ超えて(8〜10ヶ月とか)インドに滞在してる気がします。


体がきついって話なんですが、
3歳児をワンオペ育児してるきつさに加えて、(いやそれも十分きついことしてる自覚持ったほうがいい気もしますけど)

2年くらい前から生理の時に日常生活に困難をきたすレベルで大量出血するようになって、しかも生理期間が長くなって、生理のないインターバルが短くなって、つまりしんどくって。

これは閉経前の更年期症状らしいと、調べたりして気がつきました。

42〜3歳くらいでそんなんなるってなんかちょっと早い気もしますけど、
40代に入ってるならタイミングとしては正常の範囲らしいです。

最初大量出血になって来た時はその出血量にまずびっくりしたので、
(大きな血の塊もなにこれ出産したのか?ってレベルでゴロゴロ出てきた)
日常生活の不自由さと体のきつさに加え、自分が大量出血してるっていうショックと、わたしの体、いったいどうなっちゃってんの?という不安で情緒不安定気味になりました。

でも人って慣れるもんで、
1年とか過ぎると、不便だけどそれが普通になりました。


でもそしたら極度の貧血症状が出てきて、
貧血によるあらたな体調不良にまた精神的にもきつくなりました。

しばらく貧血改善するために鉄剤とか飲んだ上で去年の3月に血液検査をして出てきたヘモグロビンの数値が6台とかだったので、十分ひどい貧血。
(正常値は12〜13以上〜)とかみたいです。

階段上るのもきついし(でも息子が抱っこをせがむと抱っこして4階まで上がってました)
すぐに息が切れて、常に息苦しく、心臓もドキドキしてる感じで、頭が痛かったり、気分が滅入ってやる気が起きなかったり、やる気が起きなくてやりたい事が進まないのでさらに気が滅入ったりあせったり。


気のせいとかじゃなくて正真正銘貧血なので、
鉄を補おう、という事で、食品や鉄剤で鉄分補給に努めました。


鉄剤がやっぱ確実だし手軽でいいですよね。


もう2年もこういう症状と一緒に生きたら気持ちの上で慣れっこにはなってたんですが、出血の症状が改善されたわけではないです。
貧血症状は大幅改善されました。


一時期ちゃんとインターバルも2週間くらいはあったりして、出血量もましになってた事もあったけど、最近ストレスもあってか、またぶり返しました。

そうなるとやっぱいろいろきつい。


今まで何でも気合ひとつでやったらやれちゃうようなところもわたしにはあって、

昔開いた自分のアガスティアの葉でも
「あなたはこれをやろうと思ったら他の事を考えない、ただ、やります。あなたはそういう人です」
とか書かれてて、それは普通じゃないのかなと思ってました。

やりたかったらやる、行きたいと思ったら行く、

それ以外の何があるのかと。

でもやりたいと言い続けてやらなかったり、行きたいというだけで、いろんないけない理由があるからと行かない人が結構多いらしく、そういう複雑さは私にはなんでかわかりませんでした。


たとえば日本からプッタパルティに行くと思ったら、飛行機のチケットを買って飛行機に乗ればインドに着くのに、単純にそれをするだけなのにと思ってました。


やろうと思ったら、やる。
わたしにはそれ以外ないんじゃないかと思ってました。


でも結婚して子供ができたりしたらそれまでみたいに思った事が自動的に楽々できない事が増えて、
できないわけじゃないんだけど、結構負荷を感じるというか。

物理的にも子供抱えて荷物も抱えたら重たいですし、機動力下がりますよね。移動などにかかるお金もすべて一人の時より高くなるし。

子供の世話や子供への特別な配慮も常に必要になってくるし。


だから、子供と行動を共にするようになった時、わたしも何か違うシステムで動くようになった気がします。

きっとちびっこの保護者のほとんどは、あり方のシフトチェンジを迫られますよね。
それは自然なことだと思います。
そしてそういう自然の促しには乗ってみると発見がある。




わたしはもしかしたら意思が強そうに思われるかもしれないけど、
全然強くなくて、
いかに何も考えずに物事が自動的に動いてそれに流されていけるかという事をいつも考えているかもしれません。

というわけで、主体的な何かは基本何も考えていません。
いろんな思いは浮かび上がってくるんだけど、そこに自主性の香りが薄い気がします。
逆に浮遊が過ぎて、他人にはわたしはすごく自由で自主性があるように認識されるというパラドックスが起きているかもしれないけど、実際は流されています。

何に?かというと、特定のものではなく、自分自身の魂から展開する流れに、と言ったらかっこいいでしょうか。

だから自分は基本的にものすごく環境に流される自覚と確信があるので、それを逆手に取るなら、自分の周りの環境を整える事とか、いい環境に自分を置く事が大事だなと思ってます。


話しそれましたね。

最近また出血がすごくて、しかも何週間もずうっと続いて止まる気配がなかったので、
すっかり慣れっこになった今だからこそ、病院に行ってみようという気になりました。

そういう環境が整った、というかんじ。

(つづく)












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