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ADHDやACに長年苦しんだクリエイターとして、また、人間としてお伝えしたいこと

この二ヶ月ほど多忙な日々が続き、とても久しぶりな更新となりました。脳内がすぐにとっ散らかるため定期的な引きこもりが必要な私ですが、この何日かでようやく脳内の塵が着地して徐々に視界がクリアになってきたので、この間に得た学びや気づきをまた書いていこうと思います。

※今回は久々ということもあり長くなってしまったのですが、鬱や自殺衝動で苦しんでいる方にお伝えしたいことが下部にありますので、ご興味のある方は途中を飛ばしてご覧ください。

ADHDやACに長年苦しんだクリエイターとして

先日、超ロックでステキな伝説のマーケター野林徳行さんにお声がけいただき、クリエイターさんの人材派遣や転職支援をされている「ユウクリ」様にてお話をさせていただく機会をいただきました。

出席されたのは、幹部の方々や、実際にクリエイターの方々と面談される最前線の方々。一緒に登壇されたのは、たまたま同じ年齢、同じ武蔵野美術大学出身、現在母校で講師もされているアーティストの月岡彩さん。

どうしようもない心の鬱屈を、うまく言葉にできないために作品という形で昇華させるクリエイターさんも少なくないわけですが、私もその一人として「ADHDやアダルトチルドレンに長年苦しんだクリエイターから、世界はどうみえているのか」という観点からお話をさせていただきました。

何を表現したらよいのかわからなかった大学時代

大学で私は視覚伝達デザイン学科というところに入学したのですが、絵が好きで美大を目指したものの、「アートじゃ食えないからデザイン科に行きなさい」という高校の先生の指導に従って入学しただけだったため、授業の多くに興味が持てませんでした。

かといって退学するような覇気も無く、しかも自分自身の核となる部分が空洞のため表現したいものも皆無、自信はゼロどころかマイナスレベル。こんな状態だったので、教授の評価はもちろん、のびのびと楽しそうに作品制作に勤しむ同級生からの評価が恐ろしく、「自分は何をどう表現すべきなのか」ということよりも、「どう作ったらそれなりに見えるだろうか」ということばかりを気にして、常におどおどと過ごしていました。

卒業後はADHD性質によって、社会生活から脱落

このような苦痛の4年間を経て逃げるように卒業し、社会に出てみると、今度はADHDの性質によって「普通なら出来る」ことがことごとく出来ず、社会生活から脱落し、仕事を転々とすることとなりました。

デザインの仕事は恐ろしくて出来ないと逃げながらも、事務職は経験がないため雇ってもらえず、ユウクリさんのようなクリエイター派遣の会社でデザインからなるべく遠いお仕事をいただいていたこともありました。

今思い返すと、この時期にあらゆる業種や職種を齧ったことが最近になって繋がりはじめているのですが、一つのことを突き詰めて掘り下げられない性質とも相まり、私は「デザインやアートから逃げた人間」という後ろめたさに、長い間苛まれ続けることになりました。

眩しすぎるご経歴の月岡さんと話して氷解したもの

この日一緒に登壇された月岡さんは、大学卒業前から活躍され、卒業後は世界からも注目されてニューヨークタイムズ一面に紹介されたりと、私と真逆の輝かしい人生を歩んで来られた方。作品を拝見すると、「こんなものを作ったら面白そう!」という純粋なワクワクが伝わってくるものばかりで、私のように「美大卒業生的職業」から尻尾を巻いて脱走していた人間にとっては、眩しすぎる存在でした。

しかし今回月岡さんとじっくり話してみると、彼女にも私と似た悶々とした思いを抱えて過ごされていた時代があり、「自分だけじゃなかったんだ」と思えたことでこれまで手付かずだった美大の経歴に関するトラウマが氷解していく感覚がありました。

しかし、お会いできたのが今年で良かった、そう胸を撫でおろしました。でなければ、私は情けないことに劣等感を隠すために必死で、とても本音でお話することが出来なかったはずと思います。

私にとって、アートが「目的」から「一つの手段」に

この1、2年の間に、私は長年囚われていた絶望の暗闇から脱することが出来、そしてこの1年で更に自分を縛る色々なものから自由になったのですが、その大きなきっかけとなったのは、制作活動に対する思いでした。

これまで誰に強制されたわけではないのに、私はアート制作をやらなくてはいけないと思い込み、焦燥感にかられていました。しかしそもそも、表現したい煮えたぎるような情熱がなかったため、「何を作るべきなのかわからないし、人の目が気になって怖い」→「軸がないから人の心に訴えるものが作れない」→「自信をさらに失う」という悪循環にはまっていました。

しかし、あるときに「大御所幻想」から抜け、今年一月の合宿で「何のために自分が生きているのか」を徹底的に考えさせられたことで、アートは私にとって「目的」ではなく、この世における私の使命「苦しんでいる人を解放し、エンパワーする」ための「一つの手段」であることに気がつきました。このように思考をシフトしてみたら、途端に気持ちが楽になりました。

もちろん「アートのために死ねる!」という情熱を持った友人や知人も周りには多く、心から尊敬していますし正直なところとても羨ましく思います。

しかし、人には向いていることやそれぞれの役割があります。5年ほど続けているアート仮装のプロジェクト「KESHIN」も、まさに私のこの手段の一つなのですが、今回いただいた機会のように語り部をしたり、ブログを書いたり、今後もあらゆる手段で私の使命を遂行していこうと思います。

ただ、もしかすると、アート業界という土俵から出ただけで、広い意味では生きるというアート活動を別の土俵で継続しているだけなのかもしれません。このあたりは考えてもよくわかりませんので、最近は「澤奈緒という職業に就いている」と思うことにしています。

命を自ら絶ってしまった幼馴染の友人を思い出して

ところで、プレゼンの中でアダルトチルドレンについて話していた時、突然込み上げてくるものがあり、言葉に詰まってしまいました。

最近では、もう過去の苦しみを忘れかけているほど、私自身の傷は癒されていることを日々実感しています。しかし、同時に、何年か前に自ら逝ってしまった、私と同じようにとても不器用でおそらくアダルトチルドレンだった幼馴染の友人のことをよく思い出し、自動的に涙が出てくるようになってしまいました。

無力だった当時の私に何かが出来たかもしれないなんて、思いません。また、友人のようにあちら側に行ってもおかしくなかった私が、今ものうのうと生き延びてしまって申し訳ないなんていうことも、思いません。

ただ、私がこうして歳を重ねている一方で、友人の刻は止まったままだということ、そしてなによりも、私がこうして現在は安寧な毎日を過ごしている一方で、友人があの時未来に絶望しどんな想いで独り命を絶ったのかを思うと胸が締め付けられます。

遺された周りの人がこんな思いをするから自殺はよくない、なんてことを言つもりはありません。死の淵に立った人は、ただ自分の苦しみから楽になりたいという想いに駆られて命を絶つだけのこと。遺される人の気持ちを慮る心の余裕なんてないことでしょう。

でもそれでも、もう誰にも自殺してほしくありません。

友人に生きていて欲しかった。
お互いのとんでもない失敗談でまた一緒に笑い合いたいのに、
もう出来なくてとても寂しい。

絶望の暗闇にいる方へ

世の中が浮かれているこの時期、孤立感を深め、死にたいと思われている方もいらっしゃるかもしれません。

でも、一日でも二日でも、死ぬのを先延ばしにしてほしい、そう思います。

先日、とても素敵な経験をされた方にお会いしました。昔に10年間近くアダルトチルドレンや愛着障害などに起因する鬱を患って引きこもられていたそうですが、ある日決心をして断薬をし、一人暮らしを始め、そうして鬱を克服されたとのこと。現在はぴったりのお仕事に就かれているそうですが、とても晴れ晴れとしたお顔をされていました。

私は医者ではないので、断薬と一人暮らしを皆さんにとても薦めるわけにはいけません。この方の場合は吉と出ましたが、凶と出る方もいるはずで、大変な賭けだったと思います。

しかし、長年鬱を患っていた方でも、この方のように克服することができる。このことは、私にとっても大きな希望の光になりました。


前述の講演の日、鬱になられた方の社会復帰をサポートするという一般社団法人「リファイン就労支援センター」の代表理事の井田高志さんという方が同席されていて、お話を少しお聞きすることができました。あまりにも素晴らしいご活動だったので大変感動し、一月にセンターを訪問させていただくことになりました。

後日こちらでもレポートをさせていただこうと思いますが、ご興味を持たれた方は、下記からサイトをご覧ください。


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