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ルネの首#22 頭の中のホットケーキ

 それから少し経った後、急に甲高い警告音が部屋に響き渡った。
「うぎゃあ!」
「ありゃ?」
 驚いて飛びあがったナオとは裏腹に、アズは緊張感もなく「キューブAB」と呼びつける。やってきた黒い立方体二つは、アズの目の前に光のウィンドウを表示した。
 どうやら街の地図らしい。
「セッちゃん、下層F地区一〇番、ランクF」
「……練習台にちょうど良さそうなのがきたな」
「え、え? つまり……」
 混乱するナオをよそに、ルネはカプセルの中でしたり顔をしている。
『なるほど、これはアラクの侵入経路か』
「うん、よく侵入される場所に、センサー設置してるの。反応があると、自動でアラクの大きさを判定して、警報を送る仕組み」
 つまり、鉄グモが下層居住区に入り込んだことを知らせる警報だった、ということだ。
 その上で、「練習台に良さそう」ということは。
 ナオが恐る恐る、セツェンとアズを見比べる。アズは満面の笑顔でウインクをした。
「いきなりで悪いけど、ナオちゃん、ブルグリの実用試験もかねてヨロシクゥ!」
「ランクFなら俺が出れば五分で倒せるから、安心して練習しろ」
 ――こうなるわけで。
「せ、せめて覚悟を決める時間くらいくれよぉ~」
「鉄グモは待ってくれないぞ」
 突然、実戦訓練をする羽目になる、こちらの身にもなって欲しい。しかし、この場で一番止めてくれそうなセツェンがやると言っているのだから、もはやナオに拒否権はない。そもそも自分が言いだしたことであるし。
 ルネが哀れみ半分、好奇心半分といいった表情で、ふわふわとすり寄ってきた。
『案内役に僕がついていってやろう。本来ならば、ナビゲーターはブルグリとアズに任せるべきではあるが』
「……ありがとよ」
『心がこもっていない礼だなぁ』
「ま、セツ兄もいるし」
『セツと比べられるとな……』
 ルネは不満そうであるが、開き直るしかないし、生首には戦闘能力を期待してはいけないのである。
 セツェンに追い立てられるようにして、十字型で構成される下層街の東側にあるF地区に向かう。この辺りは、元々ナオたちが住んでいた場所に近い。そういう意味でも、初心者向けではあった。
「それじゃ、俺は先に行くから」
「えっ? 見てるんじゃなく?」
「鉄グモはつがいで行動するんだって言っただろ。だから先に片方潰してくる。大丈夫だ、ナオがピンチになる前には戻ってくるから。アズが教えてくれるだろうし」
「ええぇー?」
 セツェンは無情にも、ナオの悲鳴に近い声をさらりと無視して去って行ってしまった。。アズからキューブをひとつ借りているから、本当に危険になったら戻って切れくれるのだろう。
『やるしかないな』
「や、やるしかないねー?」
 まさかの根性型実戦訓練。
(そうだった……セツ兄は教えるのヘタクソだった)
 なまじ物理で強すぎるために、感覚でばかすかと鉄グモを潰して歩く彼に、行き届いた指導を求めるのは無理である。ルネにアドバイスさせた方がマシ。そういうことだ。
 ――つまり、己の身体で覚えるべし。
「ブル、グリ、鉄グモとの距離は?」
『オヨソ一五〇メートルデス』
「げっ、割りとすぐそこじゃん」
 アズから教えてもらった使用法を、もう一度頭の中で繰り返す。キューブを借りた時よりは落ち着いて覚えたし、ここに来るまでもルネに延々と読み上げてもらったから、恐らく頭に入っているはずだ。
 ブルグリの射程範囲は約三〇メートル。確実に目を狙い撃つなら、一〇メートル以内にまで迫らなければならない。
 ブルグリがレーザーを撃てる限界は、最大出力の場合それぞれ十発まで。それ以上はエネルギー充填が必要。
 鉄グモの目は五つあるから、無力化させるのなら四発につき一つは目を潰せなければいけない。遠くから試し打ちは無理だ。充填時間の間に逃げ回ることを考えれば、なるべく最初の充填分だけで始末をつけなければ。
『ナオ、屋根の上に登って狙え』
「あ、そっか。高いとこ、高いとこ……」
 要するに、鉄グモの攻撃が届かないところから狙えばいいのだ。こちらは遠隔攻撃なのだから。
 手近な壁を、崩れてできた穴や、突きだした鉄骨を足場にしてよじ登り、そこから集合住宅跡の廃墟に飛び移って、ベランダ、雨どいを伝って二階の屋根へ。
 少し遠回りになったが、地面から近づくよりは何倍も安全だ。小型の鉄グモなら、二階程度の高さでも十分である。
 上からなら、足を攻撃しなくても、目だけを狙える。合計二十発撃って目を全て潰せたら成功だ。
 音をたてないようにじっくりと屋根の上を移動して、ギリギリの所まで近づく。鉄グモまでおよそ六メートル。
「ブル、グリ、目を攻撃!」
 ブルグリが目標となる鉄グモを補足する。
 ウィイン、と何やらエネルギーを充填している音がする。
「あ? 思ってたより時間かかりねコレ?」
 そう言っている間に、鉄グモに気付かれてしまった。
 ゴッ、ゴッ、と鉄グモが前肢で壁を叩いている音がする。
「あー、落ちる! 落ちる!」
『落ち着け、ナオ』
「無理!!」
『ナオ、最初の一発目を撃つのだけは少し時間がかかるそうだ。二発目以降はすぐに撃てるから、一旦退避だ』
 ルネは、どうやらセツェンやアズと通信できているらしい。ひとまず、これは実戦訓練だから、なるべくナオに任せるつもりなのだろう。
「時間かかるのも、教えておいて欲しかった……」
『あそこで一気に説明して、君がきちんと理解しきれたかは疑問だな』
「反論できない……」
 そう言っている間に、ブルグリからレーザーが撃たれる。 
 ブルの方が撃ったレーザーは目に当たって、鉄グモが壁から離れた。おかげでグリのは外れた。
「あ、これ、片方ずつ撃った方がいいやつ?」
『状況による。今なら地面にへばりついているから同時に狙えるな』
「おっけー、ブルグリ、目を攻撃!」
 今度はすぐにレーザーが出た。が、かなり近距離から撃っているのに目が潰しきれていない。まだ二つ。
「あっれぇ? ええと、そもそもあと何発?」
『焦るな。ブルグリ同時攻撃なら二回でひとつ潰せばいい」
「う、うん、わかった……」
 本当はわかっていない。イサと一緒に算数を習っておけばよかった。
「とりあえず今回は初回だからおおめにみてくれよな」
「ブル、グリ、目を攻撃」
 レーザーが這い上がろうとした鉄グモの目に命中する。角度の問題なのか、それともたまたまさっきが上手く当たらなかったのか、今回はきちんと目が潰れた。あと四つ。
「もっかい! ブルグリ、目を攻撃」
 次も成功。あと三つ。
(これは、もしかして楽勝なんじゃ?)
 もちろん、ナオの功績というよりはブルとグリを作ったアズの功績なわけだが、それでも今まで逃げるしかなかった相手に攻撃し返せることに、ナオはやや浮かれていた。
 もっとはっきり言えば、調子に乗っていた。
「ブル、グリ、目を攻撃だっ!」
『待て、バカのひとつ覚えみたいに同じ場所から同じ攻撃をするな』
「ほぁ?」
 だって、ブルとグリの攻撃、きちんと当たるし。ほら、残りの目が一つになったし。
 と思ったところで、ナオの身体は宙を舞った。登っていた壁が破壊されたからだ。
「ぎゃぁ! 死ぬ! 食われる!」
 何とか壁の端を掴んでぶらさがる。危ない所だった。よじ登ろうと、四苦八苦。
『だから言ったのに、君の頭にはホットケーキでも詰まっているのか?』
「そんなん詰まってたら食うよぉ!」
 泣き言をいったところで、鉄グモの足がすぐ近くをかすめていった。
「あぎゃあああ!! やだー! 死ぬならホットケーキ食べてから死にたい!」
「お前、案外余裕だよな?」
 突然、ルネとは違う声が空から降ってきて、それよりも早く黒い鋼のかたまりがナオのすぐ近くを飛んで行った。
 数秒遅れて、声の主がセツェンだと気が付いた。
 ――刺さっている。
 刺さっているのだ。鉄グモの最後まで残っていた目に、セツェンが投げたと思しきスライサーの刃が。
 ブル&グリのレーザーも一回では潰しきれない場合もある鉄グモの目を、一発で、正確に、投げつけて刺した。
 そして、その事実を認識したあたりでセツェン本人が降ってきた。
 ここから一番近い建物は、三階建てなわけであるが、まさかそこの屋根から投げて刺したのだろうか。どれだけのスピードで。
(知ってたけど……こっわ……)
 引いているナオをよそに、セツェンはスライサーを片手で雑に引っこ抜いて、鉄グモにとどめをさしているところである。
(片手ですか。マジですか)
 そうツッコみたくて仕方がなかったが、もはやその気力も失せていた。だって鉄グモ片手で切り刻む人のご機嫌損ねたくないですし。
『いやいや、研究所の人体実験はエグいな』
「ぼくが必死に薄目で見ているのに、自覚させないでくれない、ルネ先生さぁ!」
 ナオの嘆きをよそに、しっかり聞こえていたらしいセツェンは、じっとりとした眼差しをルネに㎡ぅ蹴る。
「俺が上で何をやらかされたか全部聞かせてやろうか?」
『結構だ。というか、データの上では一応知っている。前にアクセスした時に、情報を拾ってきた』
「そう。プセルを割られなくて良かったな」
『それはよせ。対話はコミュニケーションの基本だぞ』
「よく言うよ」
「いや、そこで普通に会話進行されても、ぼくどうすりゃいいのさ!?」」
 研究所ネタブラックジョークはご遠慮願いたい。しかし、」セツェンは一瞬考え込んだ後、さらっとこう述べた。
「気にしなければいいだろ?」
「最終的にはそうしますけど!?」
「なら、今からそうしろ。研究所のことに首つっこむと、ろくなころにならないから」
「うーん、…………はい」
 教えられるまで記憶の彼方にすっ飛ばしていたとはいえ、ナオの兄は研究所に売られている。無関係でもないのだが。
(まぁ、無事じゃないのはわかってるしなぁ……)
 そういえば、結局生きているのか死んでいるのかは聞いていなかったけど、どっちにしろ無事ではないのだから多分聞かない方が良いのだろう。
 セツェンは正しい。何もかも知ることが最善ではない。
 それくらいの空気は読む。そもそも、研究所の話を掘り返したのはナオではなくルネだ。
 セツェンが何やらキューブを操作している。
「何してんの」
「鉄グモの残骸を回収しろって依頼を出してる」
「へぇ、回収は向こうがやってくれるんだ」
「機械にやらせるんだよ。あいつら、人間至上とかいいながら物を運ぶのは機械もアリだって都合よく解釈するから」
「えー……。あ、そういえばもう一匹は?」
「とっくに潰して回収依頼済み」
「へ、へー……」
 ナオがブルとグリを駆使して鉄グモとやりあっていたのは、恐らくそれほど長い時間ではない。せいぜい十五分かそこらだろう。
 そんな、ちょっと便所行ってきたみたいなノリで鉄グモを倒してくる人と、一緒にやっていけるのか正直不安なわけである。
『それで結局、ナオの初実戦は合格ラインだったのか? どうなんだ? セツ』
 薄ら笑いを浮かべるナオの内心を悟ったのか、ルネはナオの代わりにそう尋ねた。
 それに回答するセツェンの顔もまた、薄ら笑いである。
「合格っていうか、合格ってことにしないとダメっていうか……まぁ、初めはこんなもんかな、くらいか?」
「あっ、ハイ……」
「絶体絶命の時にホットケーキの話をする、謎の余裕だけは評価してやる」
「あっ、ハイ、スミマセン」
 ホットケーキの話題を持ち出したのはルネの方だけど、調子に乗ったのも錯乱してホットケーキのことを叫んだのも事実。
 お叱りは素直に受け止めるのが、部下の定めである。

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