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童謡誕生100年 映画「この道」の話

1月11日公開の映画「この道」を見てきました。

私は文豪とアルケミストが好きなので、完全に北原白秋先生絡みの史実ネタ映画ときいて、割とファッション感覚で観に行ったわけですね。

制作がLDH関連ときいて、LDHってアレでしょ?すごくエグザイルでしょ?歌ってダンスみたいな感じでしょ?という芸能人にあまり興味がないがゆえの雑な認識をしていて……ごめんな!

でも予告編でLDH繋がりのプリンスオブレジェンドの「王子!王子!王子!」を見せつけられてたから仕方ないと思うのだ……。(誤解ないように言っておきますがプリレジェ自体はトバしててイイと思います。ただ、私のLDHのイメージがほぼプリレジェとエグザイルだったから……)

で、知的好奇心を適度に満たせればいいかくらいの気持ちで観たら、内容としては非常に渋い映画でございまして、LDHごめん君を誤解していた。ガチ寄りのガチだった。

ネタバレに触れずに感想を言うと、「光魔法ナンカナケルハナシ」にされてなくて良かったなー、と思いました。

白秋のキャラを変に美化していないし、変に「これで良かったんですよ」みたいなこじつけっぽい美談にされてないのが良かった。

だって、これで良くなかったんですよ、この話。良くなかったけれども、それを否定も肯定もせず、だけど「この道」という童謡はたしかに残されたんだよ、という物語です。

良く言えば渋い味わい、悪く言えば盛り上がりには欠ける映画ですが、私はふつうに泣いた。ただ最近私の涙腺軽率に緩むので万人が泣けるかと言えばそうでもないと思う。

私は完全にゲームから日本近代文学をかじったタイプだからあんまり意識してなかったけど、映画が終わった後に明るくなってから後ろを振り返ったら(前の方の席だった)めちゃくちゃシルバー層で、LDH映画の先入観があった私、軽くびっくりするの巻。そうだな、題材的にはシルバー層に刺さるよな……。今のシルバー層、戦後に童謡を聞いて育ってるんだもんな。

ちなみに私と同じように、ゲームやマンガから白秋先生を知った人向けにも紹介します。

萩原朔太郎、室生犀星、石川啄木、高村光太郎、菊池寛あたりがちらりと出ます。セリフもあります。が、基本的に作曲家である山田先生視点の白秋先生の物語ですので、文壇のこみいった話はほぼないです。

与謝野晶子と鉄幹の夫妻、雑誌「赤い鳥」を作った鈴木三重吉はメインで出ますが、他の面々は割と白秋先生の呑んだくれシーンに見切れてる感じなので、その辺の濃い話は皆無です。

でも朔太郎と犀星がちょいちょい出てくるのに対し啄木が(明言されないけど亡くなって)セリフあり役どころにもかかわらず以後一切出ないのが、アッ……てなりますね……。

白秋先生周り、「明星」メンバーが集まるこのシーン、はっきりいえば弟子の2人以外名前表記もないモブでも構わないシーンなのですが、きちんと史実における人間関係周りを示しているのはちゃんとその当時の白秋先生の人間関係をふまえて手堅く作ってんだなー感がある。

何故かやたら島崎藤村の「若菜集」が映される。一応言及があるのですが、ここまで映すならもうちょっとエピソードに絡めて欲しかった感がある。

あと、ここまで渋くて手堅い作りなのに、十何年と経過するのにキャストが全く老けた感じがしない(ので時間経過感があんまり出てない)のが惜しいかなって思いました。

一応白秋さん、山田さんは白髪混じりになったり細かいところ頑張ってはいるんだけど、女性キャストはずっと若々しいので違和感がある。晶子さんなんて特に、「このシーン、結構なお歳になってるはずよね??」というところがある。とはいえ似つかない演者に変えたり、変にメイクでどうにかしようとして事故るよりは、荒木飛呂彦先生ばりの老けなさだったんだよ!って解釈した方が平和かな。難しい問題だ。

あと、せっかくならもうちょっとシーンごとに季節感があると、時間の経過してる感がもっとあった気がするなー。全然季節を感じなかった。そこはちょっと残念だなぁ。

でも小物とか着物とか、そういうのはちゃんと作ってありました。

さて、以下は内容に関するネタバレのため、ネタバレ見たくない方はスクロールなしでスルーしていただけると幸いです。




































この映画のあらすじを一文でいうと、作曲家・山田耕筰による「ダメ人間北原白秋がいかにかけがえのない友であったかの回想録」である。

白秋没後10年記念コンサートで「この道」の合唱が行われた後、熱心な女性記者に山田耕筰が白秋の思い出を語る、という物語である。

なので、白秋のエピソードは山田耕筰と組んで「子供たちのための歌を作る」前後のことが中心であり、歌人界隈の話は出てくるものの文壇的な人間関係はあんまり絡んできません。ただ、与謝野晶子&鉄幹の夫妻はいないとこの話は語れないってくらい絡んでくるのでかなり出てきます。

弟子が見切れてる話を上でしてましたけど、何せこれは「山田耕筰視点」の回想ですので、「明星」の面々の話は実は「山田耕筰と出会う前」の話であって、つまり山田さん的には自分の会う前の白秋さんがこんなヤツだったらしいって話をしているシーンなんですよね。だから正直、名もなきモブの歌人仲間でもいいシーンなんですけど、ここでちゃんと名前を出しているの「山田耕筰がちゃんと自分と出会う前の白秋の人となりを、どんな歌人と付き合っていたのかもきちんと知っていた」という感じがあって良かったなって思います。それ、山田さん知ってなくてもいい情報ですからね。

で、山田さん本当に白秋さんのことを「天才だ!」とかそういう褒め方を一切しなくて、のっけから「ダメ人間!」と言っているし、自分と出会う前の白秋さんについての話も「国民詩人になるまでに至るところから姦通罪での大転落、自殺未遂、三度目の結婚まで」という、恋愛遍歴が中心になっています。

姦通罪でつかまって鉄幹さんに保釈金払ってもらって出てきて土下座した後に、「でも姦通罪の相手が離縁するみたいなんで結婚します!」と宣言して鉄幹さんを虚無の顔にさせるシーンと、あと自殺を思いとどまるシーンが本当に「ダメだなぁ……」ってしみじみ感じるやつで、けっこう笑い声があちこちから聞こえてきた。

紆余曲折を経て、鈴木三重吉の作った雑誌「赤い鳥」に子供向けの詩を載せるようになり、生活も安定。そこで「白秋の詩に曲をつけよう」と鈴木さん経由で紹介されたのが、この物語の語り部にして第二の主人公である山田耕筰氏である。

初対面でガチの殴り合いのけんかをする。

白秋さん「俺は国民詩人だぞ!俺の詩はこれで完成してるんだ!下品な曲を混ぜ物にするんじゃねえ!」

山田さん「下品とはなんだ!こちとら本場の音楽学んできた、音楽のプロフェッショナルだぞふざけんな!」

大体こんな感じですれ違う。まぁ、その当時の日本には「詩作品をメロディーに乗せる」という発想はなく、わらべ歌しかなかったと考えれば、このすれ違いは起こるべくして起こったものである。

この喧嘩を止める時に、台所をめちゃくちゃにされた上に赤ちゃんが爆泣きしてしまった白秋さんの奥さん役(貫地谷しほりさん)の「てめえいいかげんにしろよ」というガチギレの顔がすごいです。もう本当、白秋先生と一緒にヒェッスミマセン……ってなる。

すぐに和解して童謡を作る話にいくのかと思えばそれからだいぶ経って、関東大震災の後に再会するまで普通に山田さんと白秋さんは喧嘩別れしたままである。

ただ、地震後に何だかんだで心配になって小田原まで来てしまった山田さんと再会し、詩や歌では地震で傷ついた人々の助けではならないと落ち込んでいた白秋さんを励ますのに、異国の童謡を演奏。(使われていたのは「ちょうちょ」である。日本の曲じゃなかったのか。スペイン民謡らしい。調べて初めて知った)白秋さんは曲がつくことの意味を理解し、ここで一気に好感度振り切るのである。感動のハグ。

どうでもいいけど、この映画の白秋さん。すごいハグ魔で何か感激する度にハグをする。男女問わずハグをするスーパーハグおじさんである。

ここからは初めての童謡となる「からたちの花」の作詞作曲、この映画の表題である「この道」の作詞作曲のエピソードなどに加えてことあるごとにのんだくれる白秋さんの姿が描写される。

山田耕筰氏の中で、そこまで白秋さんはのんだくれおじさんなのか……。

やがて軍国主義を歩み始めた日本の時勢によって、「子供のための歌」を作るはずだった二人の理想がどんどん捻じ曲げられていく。

白秋さんが、昔、庭で遊んであげた近所の子供が軍人になって旅立っていくのを見て衝撃を受けるシーンは、なかなかに辛い。

そして、病気に倒れて失明し、縁側で山田さんと語りながら『この道』が最後の童謡になるかもしれない、と告げる白秋さんの話が本当に哀しい。

いい時代になれば、また一緒に歌を作れる。

その時代が来る前に、白秋さんは死んでしまった。

この映画が最高に渋くてエモいところは白秋先生の葬式とか遺影とか、そういったものは一切映さないところなんです。

「その時代が来る前に白秋は死んでしまった」

彼の死後十年経って、やっと語った彼の言葉が全てであって、葬式などの回想は一切ない。ワンカットもない。彼の中の白秋さんとの最後の思い出は、葬式ではなく縁側で2人で見た(白秋さんは見えていないけど「感じて」いた)夕日の思い出なんだ。

白秋さんの死後、山田さんは作曲をしていない。

その理由を告げて、回想を語るシーンは終わるのだけど、そこで聞いていた女性記者が変にいい感じの慰めを言わないところも良かった。

「これで良かったんですよ」なんて言葉があったら台無しになるシーンだ。

だって良くなかったから。「良い時代」をが来る前に白秋さんは死んでしまい、山田さんは曲をそれから作っていない。

だけど童謡『この道』は白秋死後十年たっても、愛されて合唱コンサートが開かれる。『この道』は最後の童謡にはならなかった。戦争に加担してでも、音楽を残そうと尽力した山田さんの功績でもあるし、白秋さんの詩の功績でもあるし、「良い時代」は確かにやってきたわけだ。

『この道』は、子供がこれから行く道を想像する歌であると同時に、大人が子歩いてきた道を回顧する歌でもある。

この映画は白秋さんと山田さんが作った「童謡」が歩いてきた道のりの話であるとも言えるので『この道』というタイトルになったのだろうなぁ。

『この道』の曲を作る時に、山田さんが「本格的な音楽を全ての人に届けたい」と言い、白秋さんは「子供が口ずさめるような簡単な曲がいい」と言うシーンがあるんですけど、せっかく山田さん視点寄りに物語を作っているんだから、『この道』を作曲する時に子供が口ずさむような歌にした山田さん側の理由も描写してくれたらもっと良かったなー、と思った。

作曲シーンが『からたちの花』のシーンばかりで、表題だし結構重要であるはずの『この道』に関してはいつのまにか曲が完成していた……って感じになってたのがちょっと残念。

山田さん役のAKIRAさんが普通にイケメンなんだけど、イケメンを全く表に出さない感じなのが良かった。いや、なんじゃその感想……って感じなんですけど、山田さん明らかに顔面偏差値高いのに山田さんの恋愛エピとか無意味に挟んでこないし、白秋さんに振り回されるし、普通にガチ喧嘩するし、良い意味で人間くさくてよかったなーと。LDHへの信頼度が上がった。

最後の、AKIRAさん歌唱の『この道』も良かったなぁ。

実は『この道』は曲を知らなくて(学校では習わなかった……)、『からたちの花』と合わせてほぼ初めて認識したレベルなんですが、耳がポンコツであることには定評のある私でも映画を見た後『この道』を鼻歌で歌えそうなレベルにはメロディが頭に残っていた。

「子供が歌えるような簡単な曲がいい」と言った白秋さんの意図を、山田さんがちゃんと汲み取って作られた曲なんだな。

この道はいつか来た道。

大作でもないし、題材が渋いし、はっきりと言えば地味な映画なのだが、何となく懐かしく優しい映画だった。今は良い時代だ。検閲もない。軍国主義への強要もない。どんな歌もカラオケで歌える。

この映画を観た後には、公式サイトのこの一文を思い出してほしい。

<北原白秋><山田耕筰>今、この二人が生きていたらどんな歌をつくるのだろう


>>映画『この道』公式サイト

>>『この道』Wikipedia(歌詞掲載)

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