ルネの首タイトル

ルネの首 #14 ルネサンスの首

『ナオ、戻れ! 俺がすぐにいくから!』
 セツェンの声が、キューブから聞こえてきたけれど、その時にはもうナオは塀から降りて駆け出していた。
『とめろ、ルネ!』
『残念ながら止めようにも、僕にはナオの首根っこを掴む手が生えていない』
 ルネは浮遊しながら、ナオの隣を移動する。
『ところでナオ、意気揚々と向かっているが、アズが教えてくれた魔法の呪文を、正確に覚えているか? 先ほど、さっそく忘れていたようだが』
「いきよーよ? んーと、大丈夫覚えてる! センメツタイショウエヌキドウ!」
『エヌじゃなくてエフだ!』
 ルネがつっこんだ時には、もう遅かった。 
 キューブAから放たれた光が、前方にあった廃屋のドアをぶち抜いて、轟音を立てる。
「ひょえっ!?」
『エフ! エフだ!』
「エフだった!」
『ナオ、いいから戻って避難しろ!』
 シュウゥ、と細い煙を上げるキューブAから、ややキレ気味のセツェンの声が聞こえてくる。
 だけどもう遅い。大きな音を立てたから、鉄グモの注意がこちらに向いた。
「イサ! エミル! いまのうちに逃げろ!」
 遠く、うち捨てられた家の影で震えていた二人が、顔を上げる。腰を抜かしているのか、なかなか動こうとしない。
「センメツタイショウエフキドウ!」
 今度は呪文を間違えなかった。
 キューブAは、今度こそ鉄グモに向かって光線を放つ。先ほどとはケタ違いの大きさの光線が、鉄グモの頭部に直撃した。
「うわ、こっわ! キューブこっわ!」
 キューブAの周囲に熱風が吹き渡った。小さいのにすごい攻撃力。エヌとは違う。エヌとは。
『ナオ、キューブだけで鉄グモを倒すのは無理だ! 退避しろ、イサとエミルを頼む』
「え? あ? うん、わかったセツ兄」
 どうやらセツェンは、ナオひとりを避難させることを諦めたらしい。キューブを通して指示を出す。
(セツ兄が来るまで、二人を守って時間稼ぎしないと!)
 アズはキューブを二つ駆使して、しかもかなり至近から攻撃していたのに、鉄グモを倒しきれていなかった。
 だから、セツェンに頼らずに倒すのは無理だ。ナオはアズから軽くキューブの使い方を教わっただけで、しかもひとつしか持っていないのだから。
『キューブの呪文を叫んでから、二人のところに走れ』
 ルネがナオの前に出て、そう促した。手足もない生首が何を言っているのか。
「いくらルネのカプセルがクソ丈夫でも、その大きさで鉄グモの気を引くのは無理でしょ!? セツ兄が着く前に二人から引き離さないと」
『僕が何のために、今まで言葉少なにしていたと思っているんだ。奥の手くらいあるさ。生首をナメないでくれ』
「ソレ関係あんの!?」
 絶対に生首であることに、奥の手との関連性はないと思う。それはともかく、あまりにも彼が悪い笑みを浮かべていたので、あながち大口をたたいたわけでもなさそうだということは分かった。この生首、だんだん当初とは別の意味で不遜になっている。ナオのせいかもしれないけど。
『丁寧に妨害の仕返しをしてやった。しばらく僕の独断場さ。アラクを倒すには役不足だが、足止めはできそうだ』
「ドクバクダン? の意味はよくわからないけど、自信があるのはわかった。ルネを信じる。仲間は裏切らない。ぼくらの約束だ」
『ドクダンバだ』
 冷静にナオの間違いを正した後、彼はまるで小さな子供みたいに、無邪気な顔になった。
『それにしても、仲間、とはね』
「不満か?」
『まさか、そんなことはないさ。僕もセツのグループにいるうちは、君たち【仲間】の流儀に従おう。僕は決して君たちを裏切らない。君たちを――守る』
「頼むぜ!」
 ポン、と軽くカプセルの上部を叩く。
「センメツタイショウエフキドウ!」
 魔法の呪文は、もう間違えない。目をひとつ潰されながら迫る鉄グモに、キューブが最後攻撃を放つ。
『『ナオ、走れ!』』
 ルネと、セツェンの声に押されて、ナオは駆けだした。

 残されたルネは、カプセルの中から巨大な金属質の蜘蛛を見る。キューブの攻撃は当たっているものの、やはりアラクを掃討できるほどの威力はない。やや動きは鈍ったか。
『ルネ、本当に勝算はあるのか?』
 セツェンの問いに、ルネは不敵に笑った。
『お忘れかな? 僕は【ルネサンスの脳みそ】だぞ?』
 澄まして答えてやると、キューブから『ああ……』と、ため息交じりの声が聞こえる。
『できるかどうかはわからないが、狙えるなら目から狙え。五つある目を全部潰したら、あいつらは一回動きを止める』
『なるほど、そういえば君も目を潰していたな。そこまで照準を定めるのは難しいが、頭を狙うくらいの善処はしよう。僕が人質以上の役に立つということを証明する』
『人質は手段のひとつなだけだ。積極的にはやらない』
 セツェンは、少しばかり慌てた様子で、そう答えた。実は人質扱いを、ほんの少しだけ根に持っている。言質をとれてなによりだ。
『そうしてくれ。では、君にもお見せしよう。上層の連中が大好きな【カミサマ】の技術を』
『カミサマって』
 再び、ため息交じりの声に戻る。心外だ。
『僕はある種、上の連中が作り上げた宗教的概念の集大成だからね。ルネサンスは彼らのご本尊なのさ』
 ほら、とキューブごしにルネはうながす。
 空に見えるのは上層の『底』だ。底面には、万が一地上から攻撃を受けた時に、迎撃をするための兵器が格納されている。
 その使用権を、一時的にルネが乗っ取るのだ。
 ――システム・ルネサンス。
 それが、空に浮かぶ上層都市を支えている。
 そしてルネのカプセルは、システム・ルネサンスの戦略兵器ともリンクしている。
 システム・ルネサンス自体が、ルネの本体であると言ってもいい。システムは、ルネの脳内で管理できるようになっているからだ。
 少なくとも、上層はルネが逃亡した後、ルネから管理権限を完全に奪えていない。だからジャミングなんていう、酷くアナログな手を使った。これについては、仕掛けた側もある程度は狙ったのだろうが。
 システム・ルネサンスに、非正規ルートでアクセスして上層の底にある兵器の一部を掌握する。
 あまり派手に使い込むと、後でごまかしがしづらくなるが、一基か二基なら使用履歴改ざんも短時間で済むだろう。
 二基の兵器を、ルネの現在地、数メートル横に座標を設定する。エネルギーは、いくつかある予備電源から、少しずつ拝借した。上層の混乱が続いているうちに、補充されるはずだ。有事のための予備なので詳細なログもない。
『さあ、撃て、ルネサンス!』
 対地上用レーザー、起動。
 上層から放たれた二筋の光が、アラクの頭部を焼き払う。
『足止めって……上から、か』
 キューブからやや引き気味の、セツェンの声が聞こえてきた。こちらに向かって走っている最中なのだろう、彼の声はたまに遠ざかり、ノイズが混じる。
『場所がわかりやすくなっただろう』
『そうだな。わかりやすくてありがたい。足止めは?』
『微妙に外した。あと目が一つ残っている』
 はるか上空から撃っているのだから、数十センチ単位の細かい微調整は、無理だ。元々、多数のレーザーで特定区域を焼き尽くすタイプの使い方をする兵器である。むしろここまで精度を上げたのを褒めて欲しい。
『二発目を撃つのは少し時間がかかる』
『撃たなくていい。俺が行く方が早い。隠れるか、ナオと合流するかしてくれ』
 二発目を撃つとなると、エネルギーを拝借する量が増える分、後々の処理も面倒になる。セツェンの提案は、正直ありがたい。
 一つ目になったアラクは、やや動きを鈍らせながらも、ナオが駆けて行った方へと方向転換していく。
『アラクがナオたちの方に向かっている。僕は生物判定じゃないようだ』
『……だろうな。あとは任せろ。俺が始末する』
『頼りにしているぞ、セッちゃん』
『それは本当にやめろ』
 キューブAが旋回してナオの後を追う。
 どうやらキューブB側から遠隔でも操作できるようになっていたらしい。
『さて、僕もナオを追うか』

 その頃、ナオは鉄グモのことをルネとキューブに任せて、イサとエミルの元に走っていた。
 足の速さには自信がある。追いつかれない自信もある。
 けど、セツェンとは違い、ナオは普通の子供だ。二人を抱えては運べない。
 二人は、ナオが駆け寄って来るのに気づいたようだった。
「立て! 走れ!」
「でも、エミルが……足怪我して……」
「イサだけでも先に逃げて! エミルはぼくが拾ってく!」
 イサはまだいい。逃げ足はナオと同じくらいには早い。だけどエミルはまだ五歳だから遅い。
 だけど、ナオだってエミルの大きさなら背負える。
「走れ!」
 イサがよろけながら走り出した背中を見ながら、ナオも足を速めた。
 鉄グモはルネが止めてくれる。今は信じるしかない。
「エミル!」
「ナ、ナオ……」
 顔をあげたエミルが、泣きながら手を伸ばす。
 ナオも手を伸ばして、まだ小さい手のひらをしっかりと握った。
「エミル、立てる?」
 目線を合わせるように屈む。エミルは黙って、首を横に振った。
「じゃあ、ぼくにつかまって」
「もう逃げられないよぉ」
「逃げられるさ。ぼくらにはルネがいる。セツ兄も来る。無敵だよ。信じて」
 エミルを励ますつもりだったが――返ってきたのは、嗚咽混じりの弱音だった。
「だってルネ、首しかないもん、むりだよぉ!」
「そこ!? あ、うん、そうだね? いや、でも今はそういう問題じゃなくてね!?」
 五歳のエミルに、丁寧に理解させるのは無理だ。
 ナオだって、ルネが何をするのかわかっていない。生首で鉄グモを倒す方法なんて、想像もつかなかった。
 ひとまず、エミルの体を抱え上げる。
 重い。全力では走れない。
 それでも、見捨てたりはしない。信じて走る。
「今はわからなくていい。少なくとも、ぼくらの最強のリーダーが来るまでは時間を稼いでくれるさ」
「どうして?」
「どうしてかわかるまで、生き延びような! ルネは仲間だ。ぼくらは仲間を裏切らない。それは他のグループにはない、ぼくらの絶対の約束だぜ!」
 ――この下層では、簡単に人が死ぬ。
 子供も大人も、驚くほどあっけなく死ぬ。
 鉄グモに襲われて、上層に焼き出されて、下層の者同士で諍いを起こして、簡単に死んでいく。
 誰も何も信じない。不満と怒りが常に渦巻いている。
 ――知識は役に立つ。君にもきっとわかるようになる。
 ルネはそう言った。
 最初は、ちっとも意味がわからなかった。
 ナオたちのグループは、たまたまセツェンという賢くて 強いリーダーがいたから上手く回っただけだ。
 ナオたちは今まで、このままではいけないと漠然とした不安を感じながら、セツェンを頼るだけ頼ってきた。彼に頼らない方法など、思いつかなかったからだ。
 人間は基本的に、わからないものは信じられない。
 自分たちでもできることで、セツェンの役に立てる方法がわからなかった。そして、セツェンが一人でわかっていて、彼がわかっているからと丸投げしていた。
 わからないものを信じるには、そのための知識が必要だ。
 確実なことがわからなくても、推測できれば、それは行動を起こす理由になる。それが理解する、ということだ。知識が役に立つ理由だ。
 ルネが何をするのかわからなくても、ルネに何らかの策があることは信じられる。
 ルネのことが少しはわかったから、信じる。
 何も知らなければ、そこに見える形のあるものしか信じられない。
 カミサマとか、もしかしたらいるかもしれない何かの存在は認められないのと同じで、自分にもっとできることがあるかも、という可能性すら信じられない。
「わからなければ、わかるまで生きよう。ぼくらはそれができる。何を知って、何を信じるか決められる! 今はルネとセツ兄を信じろ!」
 あの日、セツェンがナオの兄弟を知っているのか、どうしてナオを助けに来たのかはわからない。
 だけどセツェンがナオを庇って、見捨てずに今まで一緒に生きてくれたことを、仲間が増えるたびに守ろうとしていたことは知っている。
 みんなそれがわかっていたから、彼についていった。わからなくても、理解していた。
 信じるということは、そういうことだ。
「わかることは、これからどんどん増える。わかったら、何を信じて、何を疑うのか選べる。わかるって、そういうことだ。だから、ぼくが言ってることも、いつか信じていいことだってわかる。ぼくはそう信じる」
 エミルを抱えて、よろけながら走る。だから息も上がっていて、声も小さくて。
 だけど、エミルはもう泣き止んでいた。ギュッとナオにしがみついていた。たった五年生き延びただけのその手は、確かにナオを信じて、わかろうとしてくれていた。
「壁際まで走ったら、塀をこえる。それまでは頑張って」
「う、うん」
 だけど、エミルは急に腕の中でもがき始める。
「あ、こら、動くな!」
「ナオ、うしろ!」
「え? ええ?」
 エミルが後ろを指差す。首だけで振り向くと――。
 そこには、頭を半分潰されて、それでもひとつだけ残った目を光らせた鉄グモの姿があった。
「うっわぁぁぁ!?」
 ルネは確かに、十分な時間を稼いだのだろう。
 キューブの攻撃だけでは、ここまで鉄グモを弱らせることができなかったはずだ。ただ、ナオがエミルを抱えて走るのは、予想以上に骨が折れたというだけの話だ。
(ここまで来たのに)
 あともう少しで、逃げられるのに――。
「キューブB、殲滅対象F起動」
 今まさに、ナオとエミルを狩ろうと振り上げた鉄グモの前肢の先が、キューブの放った光線で吹き飛んだ。
「ひぇっ!?」
 思わず悲鳴を上げて見上げると、上からセツェンが降ってきた。文字通り、上からやってきたのだ。
 そのまま、彼はスライサーを振るって、鉄グモの残った目に突きおろした。
「待たせた。無事か、ナオ、エミル。イサはどこだ?」
 呆然と、鉄グモの上から声をかけてくる、セツェンを見守る。悠長に話をしている場合なのか。
「さ、先に逃げたけど。ていうか、セツ兄、大丈夫なの!?」
「安心しろ、目を全部潰したら、こいつは当分動かない。その間に仕留める」
 目を潰したら、動かなくなる。新たな知識を得た。
 できればもっと早くに知りたかった。
 その間にも、セツェンがスライサーを使って、上でザクザクと鉄グモを切り刻んでいるらしき音がする。
 ナオはエミルと顔を合わせ、やや青い顔でうなずいた。セツェンを怒らせてはいけない。
 やがて、鉄の軋むような断末魔の声と共に鉄グモの身体が大きく揺れて、地面に沈んでいった。
 セツェンがスライサーをたたんで、ナオたちの前に飛び降りてくる。鉄グモの上からでも二メートル以上あるのに、平気で飛び降りるのだ。
「セツ兄、上からきたけど、どうやって?」
「屋根を伝って、あそこから電柱を足場にして跳んできた。……真似するなよ」
 数メートル先にある、五階建ての建物を指す。
「アレできるのセツ兄だけだから!」
 何だか気が抜けて、エミルを抱えたままへたり込む。その頭を、セツェンがくしゃくしゃ撫でた。
「悪かったな。遅くなって」
「いや、大丈夫……ただ、エミルが足を怪我したみたいで」
「帰ったら手当だ」
 勝手に行動して叱られると思ったのに、特に何も言われない。ナオは恐る恐る、その真意を訪ねることにした。
「……あのさ、セツ兄、怒ってないの?」
「結果的に言えば全員助かっているし……今回は怒るに怒れないってとこだな。ルネに感謝しろ」
「うん……」
「そうだ、ルネは無事?」
『無傷だぞ、このカプセルはそう簡単に壊せない。何せアラクの金属組成を元に開発した特製品でできている』
 ふわふわと浮遊しながら、心なしか自慢げな顔をしてやってきたルネに、セツェンはやや考え込んだ後、急にスライサーをまた取り出した。
「鉄グモを元に作られたってことは、こいつで切れるのか」
『…………セツ、僕らには話し合いが必要なようだ』
「切れるのか、覚えておこう」
『忘れろ』
 ルネがどうして焦るのかわからず、ナオは首をかしげる。
「スライサーは、鉄グモの外側の金属部分に反応して、溶かすんだ。普通の金属じゃ切れない」
「え? 切ってるんじゃないの? それか重さで叩き潰しているのかと」
「力技だけできるなら、スライサーを使わない時に、俺が鋼材振り回す必要ないだろう?」
 確かに、鉄グモを倒すのに鋼材の重さが必要なら、スライサーは軽すぎる。
「そうか……。何かよくわからないけど、そのセツ兄の武器が鉄グモには有効になるようにできてるってこと?」
「正解」
『ナオにここまでの理解力を与えた、僕の働きについて一定以上の評価を求める』
 ルネはセツェンをじと目で見つめながら床槍を淹れてきたが、彼はスライサーをたたみながら苦笑を漏らす。
「切らないって。冗談さ。カプセルの作りについてちょっと気になっていたから、かまかけてみただけだ」
『水を抜かれるかと思ったぞ』
「やらないよ。仲間、だからな」
 言った後、急に恥ずかしくなったのか、セツェンはくるりと踵を返した。そこに、近くを浮遊していたキューブBから女性の声が聞こえてくる。
『成長したのねぇ、セッちゃん。お姉ちゃんは嬉しいです』
「アズ!! 頼むから黙ってくれ!!」
 どうやら、今までのことはキューブを通して全部アズの所に届いていたらしい。
 キューブにくってかかるセツェンの姿を見ながら、ナオとルネは顔を見合わせて笑った。エミルは状況がわからずきょとんとしている。
 セツェンがきたことに気づいたイサが、駆け寄ってくるのが見えた。

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