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「タバコとコーヒーの相性の良さ」について、非喫煙者がやっと気づいたこと

 今回の主題は、「なぜ私(非喫煙者)には、タバコとコーヒーのマリアージュが、全く感じ取れないのだろうか?」です。

 これは私が「タバコも吸えない者には、コーヒーの真価は分からない」と言われた悔しさが書かせたような記事ですが、よろしければ読んでみてください。

※嫌煙的な内容を含むので、ご注意ください。

 タバコとコーヒーのマリアージュの話はよく聞きます。

 私はコーヒーは人並みに好きなのですが、タバコは吸いません。

 それでも「タバコとコーヒーの相性は最高だ」「タバコとコーヒーの取り合わせを知らないコーヒー飲みは、人生を損している」など、この二つの相性の良さについてはこれまで何度も耳にしてきました。

 時には、生の声や創作物のセリフで「最近は禁煙ブームで、タバコとコーヒーの相性を知らない者が増えたね。寂しいものだ」と通なセリフを吐く男性を見ることもあります。

 非喫煙者としては、タバコの匂いが飲食物と合うというのは眉唾でした。

 あんなに鼻が曲がりそうなきつい刺激臭がして、お世辞にもいい香りなどとは言えない煤煙が、果たして味と香りの求道を続けて来られたコーヒーとよく合うなどということがあるのかと。

 しかしそこは、私などしょせん非喫煙者です。体験したわけでもないのに、「そんなの合うわけないよ」とは言えません。

 合うと言っている人が世の中大勢いるのですから、きっと合うのでしょう。

 それでも、ずっと不思議でした。

 タバコの煙が飲食物の味や香りと引き立てあうなどということが、本当にあるのだろうか? と。


 一応理屈としては、ニコチンとカフェインの相乗効果じゃないかとか、コーヒーの水分がタバコによる粘膜へのダメージをカバーするからではないかとか、いろいろあるようです。

 しかしどうも、門外漢たる非喫煙者にはピンと来ません。


 ウッドチップのスモークなどとは違い、タバコの煙は香りも何も、ただの煤煙にしか思えないからです。しかも場合によっては知らないおじさんの肺に吸い込まれてからナマで出てきた、なかなかにプライバシー的ダメージのある気体です。

 まあ普段は人の吐いた空気だって吸っているのですから騒ぎすぎるのもよくないのですが、煙が目に見えてしまうのは大きいです。細菌が可視化すると、街中の手すりとかも持てなくなるのと似ているかも。


 そしてなんにせよマリアージュが起こるのであれば、なぜ私にはその気配も要素も全く感じられず、「できればタバコの煙があるところではコーヒーをいただくのは御免こうむりたい」「くさい」「きつい」と思ってしまうのでしょうか?

 喫煙者と同等ではなくても、横で同じ匂いを嗅いでいるのですから、「あ、こういうことか。ちょっと分かったかも」と思うことがあってもいいではありませんか。

 そんな私が、「それ」に気づいたのは、この数年でした。

 私はこの「タバコとコーヒーのマリアージュ」についてその魅力を語られているブログをいくつも読みながら、ようやく、あることに気づいたのです。

 というか、私以外の方々は皆さまご存じだったかもしれませんが、私は今更ながらあえて堂々と申し上げます。

 これは、

「タバコとコーヒーのマリアージュ」

を肯定しながら、

「私(非喫煙者)はそのマリアージュを全く感じ取れない」

をも得心させる答です。

 すなわち。

①主流煙は、コーヒー含め、よく合う飲食物もある

②しかし副流煙と合う飲食物は存在しない

・個人差あり(フォロー)


 というものです。

 マリアージュを生む主流煙と、周囲の鼻と喉を傷つけてものの味も香りも害する副流煙とを、分けて考えるべきだったのです。


 ……当たり前すぎたでしょうか。

 しかしこれが、私が抱き続けた違和感の招待でした。


 「タバコとコーヒーのマリアージュ」を語るブログにも、

 「この相性が分からないのは人生を損している」と語る通にも、

 「最近はこの相性を知らない者が増えた」と無常を寂しがるロマンスグレーにも、決定的に欠けているもの。


 それは、「副流煙の超くさくて耐えられないほどの刺激臭」の理解であり、体感だったのです。

 そりゃ、あのくささが分からなければ、自分の口の中でのマリアージュを存分に楽しめるだろうというものです。


 最近の非喫煙者コーヒー飲みは、タバコとの相性を知らないかもしれない。

 でも往年のタバコ+コーヒー愛好者は、副流煙がいかにものの味と香りを破壊するかを知らない。

 私は、世の中が徹頭徹尾、禁煙に向かうべきだとは思いません。

 あまり極端な排斥は、タバコを吸う人も吸わない人も、幸福にはしないでしょう。むしろいさかいを生むだけです。


 よく、副流煙を非難する声に対して、「車の排気ガスには何も言わないくせに」「砂糖や酒だって、中毒性があるし身体の健康を脅かすぞ」と反論されている方がいますが、これらなどはその典型でしょう。

 副流煙は、排気ガスでも砂糖でも酒でもありません。

 特定の何かの話をしているのに、全く関係のない別のものの話をしたところで、何の改善も見込まれません。こんな比較は、もともと論ずるに値しないのです。

 こんな無茶な論旨を持ち出すのは、それだけ喫煙擁護派が、ハイスピードで副流煙防止に動く世の中をにストレスを感じているからでしょう。


 そもそも「排気ガスには~」の方は、自分が食事をしている室内で、横から車の排気管が突き出されて、モクモクと排気ガスを出していても大丈夫なのでしょうか。

 しかも車の運転手は、「ふう、コーヒーと排気ガスのマリアージュは最高だぜ。最近はこの味わいを知らないやつが増えたな」とか言っているのです。

 これで「オレだってタバコ吸うしな。一緒一緒」とか言えるわけがないのです。

 副流煙の匂いは、相当にきついです。くさいというだけでなく、それを吸った人間の粘膜にダメージを与えます。


 私は非喫煙者ですが、父親はマルボロ赤、母親はキャメルの、それぞれチェーンスモーカーという、喫煙エリートのような家でした。

 小学生のころ、父が吸い続けるマルボロの副流煙に耐え切れず、食後に父が一服を始めると、隣の部屋に逃げるという習慣ができました。

 すると父は「そう言う態度をとられると傷つく。一緒に居間にいなさい」と私を連れ戻しました。


 まあ育ててもらってる恩もあれば愛着もあるから、我慢するか…と耐え続けて数年。


 私の粘膜は弱体化の一途をたどり、今では直接の副流煙はおろか、タバコを吸い終わった直後の人と面と向かって話している間に吹きかけられる吐息だけでも、目・鼻・喉に数日間痛みが残るという副流煙虚弱体質になってしまいました。


 両親を恨んではいませんし、タバコをやめてほしいと思ったこともありません。

 しかし、タバコの害を過小評価したり、ないものとして扱うのは、できればやめて欲しい。

 ■

 というわけで、「タバコとコーヒーの相性の話」でした。

 非喫煙者には理解できないのは仕方ないというか、喫煙者がどんなに

 うまい、

 粋だ、

 よく合うんだ、

 と主張しても、副流煙を吸わされる側では分かりっこない……ということなのです。



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