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スイスのフェミニズムのデモに参加してきた話


先日、わたしの暮らすスイスのあらゆる街で、女性の権利向上のためのデモ、grève des femmesが行われた(grèveはストライキという意味ですが、内容はデモに近かったのでデモと表記します)。

その日はスイス中がそのデモのイメージカラーである紫色に染まっていて、デモに参加していない人でも、お茶をしながら、買い物をしながら、当たり前のように多くの人が紫色の服に身を包み、公式グッズを持ち運んでいた。
SNSでも誰もがそのデモのマークの写真をアップしていて、デモの、そして自身の人権意識の日常への浸透具合に驚いた(ジレジュンほど過激化しないのがスイスらしいなとも思ったり笑)。



ちなみに公式グッズはこんな感じでした。可愛いでしょう💜💜わたしもスカーフを巻いて参戦しました。


わたしの暮らす街ジュネーヴは、そこまで大きな街ではない。国連欧州本部とかが設置されてる割には、徒歩で街中回れるくらいの規模の小さい街だ。
それなのに、その集会の行われていた広場は人で埋め尽くされていて、街中の人々が一人残らず集まってきているみたいに感じられた。


東京でもしもフェミニズムのデモを行ったらどうなるだろう。東京はジュネーヴよりずっとずっと大きい街だけれど、これほどまでに人が集まるだろうか、否、集まらないだろう。日本人にとってはフェミニズムはやっぱり「一部の怖いフェミニストの思想」で、一般人は抱かない特殊な思想のように思われているから。フラワーデモは知名度を上げ始めているけれど。

それでもここでは、国民誰もがフェミニストだった。女性はもちろん男性も、赤ちゃんからお年寄りまで、誰もが紫の衣服に身を包み、合言葉である « Avec les femmes, du monde entier, so-so-so, solidarités!! »と声高に叫び、行進を続けていた。
この合言葉は、「世界中の女性の連帯を!」という意味で、日本から来ているわたしも仲間として認めてもらえているような気がしてとても嬉しかった。


このデモに本当に効果があるか、正直言ったらわからない。
スイスはヨーロッパにしては保守的な国で、女性の参政権が認められたのは1971年だし、女の子は修士を取得しない限りは男性と同じくらいの給与を得られない、と聞いたことすらある。こんな声は無視されてしまう可能性だって充分にあり得る。(それでもわたしは留学に来てから「女性らしさ」を押し付けられることが少なくてすごく楽だと感じているのだけれど)

でもわたしには、「女性が集まって声を上げる機会がある」という場の存在自体がすごく貴重で尊いものに感じられて、笑顔で権利を宣言する人々を見ながら、うっすらと涙が滲んでしまった。
だってみんな叫んで、歌って、踊って、本当にこの上なく楽しそうにしていたのだもの。性別という容れ物に関係なく、ただただ魂を自由に解放することの美しさ、尊さ。こんな空間を見たの、女子校時代の学校行事以来な気がする。



この感動は、とりわけ、アフターピルに関する男性ばかりの会議で女性が悪く言われる記事にショックを受けたばかりだったからというのも大きいだろう。男性だけで成り立つ会議はたくさん存在しているけれど、女性だけで構成される会議は、やはり圧倒的に少ないのが現実だ、とりわけ日本では。


女子校という、重要な会議も力仕事もすべて女子だけでこなされる、性別という壁のない社会で六年間生きてきたわたしにとって、「社会は男性中心で回っている」ということに気がついたことはこの上ない衝撃で、まるで地球に隕石が降ってくるみたいな恐ろしい気づきだった。

初めて気がついたのは確か中学生の頃、少年ジャンプの編集者は男性限定なのに、マーガレット(かなんか少女漫画誌)の編集長は男性で、編集部に男性が多く働いていると知ったときだったっけ。その後も会社の男女比や産休育休制度について調べれば調べるほど、ゆっくりと絶望していったのを覚えている。「男性と対等に働いて、対等にお金を稼ぎたい」、それだけの簡単な願いが、こんなにも難しいものだなんて。

それでも先生方は私たちの活躍を願ってくれていて、その年齢に近づいたいま、その願いがどれほど切実で悲痛なものだったのか、少しずつわかってきて切なくなってきてしまう。


勿論社会は少しずつ変化を遂げている、けれど、やっぱりまだまだ男女差別は存在していて。それを感じられるのは、わたしが「女性」で「被差別側」だからで。

「女の子はそんなことしちゃだめだよ」とか、「女の子はそんなの必要ないんだよ」とか、「女の子」って枕詞にずっと疑問を抱いてきたり(なんならそれらの言葉は今でも呪いとなってわたしの中に残っているし)、他にも性犯罪やナンパに恐怖を覚えたり、セクハラに腹を立てたりした経験があるからで。友人から、もっとおぞましくて、絶望に満ちた地獄のような経験を聞かされたこともある。

それを「わたしが悪い」と我慢しなければいないと思っていた、日本にいた頃は。


それでも今のわたしは、声を上げたい。だって声を上げることは素晴らしいことだと、当然の権利だと、先日のデモでスイスの人々が教えてくれたから。
創意工夫に満ちたメッセージ性のある看板を掲げ、各々の個性溢れる紫色の衣服を着こなし、笑顔で明白に意見を表明しながら歩く人々はものすごく輝いていて、その輝きはわたしの心をも確かに照らしてくれたのだ。


「お姫様なんて呼ばないで」


左:「世界中の女性に連帯を」
右:「お花なんて要らない、自由を頂戴」

「私はフェミニストだけど男性のことは憎んでないよ」


わたしは留学に来てから何度も救われた。
容姿についてとやかく言われたり、「普通」を押し付けられたり、「女性らしさ」を期待され、意にそぐわなければ悪く言われたり、そんな経験が格段に減って、それらのわたしの魂や思想を無視するような発言、勝手な評価、そんなものは押し付けてくる人たちが間違っていて、わたしは何よりありのままの自分を大切にしていいのだと、人々と関わりあう中で何度も気づかされた。当たり前に、私たちは女性である前に一人の人間なのだ。

だから日本に帰ってからも、わたしはこの留学先で吸収した新たな価値観を、わたしを解放してくれた思想を表明していくと、そして同じような縛りに苦しむ人々の力になりたいと決めている。
その一歩としてこのnoteを書いている、けれど、でもやっぱりまだ少し怖い、社会の構造に疑問を抱いたことのない男の子の友達や、「女子らしく」生きることに抵抗感のない女の子の友達に、「なんかこいつ騒いでるよw」って白い目で見られたらどうしようって一抹の不安を抱いているし、実際に、日本に帰ってから「ヨーロッパに染まってるよw」とか一蹴されて笑われたらどうしよう、とも思っている。(真剣な人を嘲笑する日本のあの風潮どうにかなんないのかな)

でも、もしそんなことが実際に起きたなら、わたしはきっとこのgrève des femmesの写真を見返すのだと思う。
写真の向こうに写る笑顔が、綴じ込められた一瞬のきらめきが、必ずまたわたしの心に小さな炎を灯してくれるだろうから。



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沙波

さわと読みます。スイス留学から帰ってきた大学4回生。小説と映画と絵画と猫とダンスが好き。フォローお気軽に。

留学先で思うこと。

留学先で感じたことをまとめたエッセイ集です。
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