「小説」の価値

本来なら、イギリス旅行記を一番最初の記事にしたかったのだが、ここ数日少し考えることがあったので、ここに記したいと思う。(こんなに熱く語ってこいつうぜー!引くわー!とか思われないか、びくびくしながら公開しています)

先の記事でも述べたとおり、私の趣味は旅行と読書である。私は、本当に、小説と旅がなければ生きていられない人間なのである。最近は、外国に居住しているため日本語の本が手に入りにくく、以前に比べたら全く読めていないが(なるべく早いうちに英語もフランス語も極めてその二つの言語ですらすらと読書をできるようになりたいものだ)、その分を旅行で満たしている、と自分では感じている。

そこで、どうして私がこの二つに取り憑かれてやまないのか、そしてなぜこの二つが私の中で互換可能な存在であるのか、という理由を考えたときに、一つの共通項が思い浮かんだ。それは、「自分自身で体験する」という点である。

言わずもがな、旅行では、私たちは普段経験できないことを愉しむことができる。先人の残した偉大な遺跡、千年近くの間祈られ続けてきた教会、その土地ならではの受け継がれてきた味…。それらの、歴史を超えた人間の営みというものを、目で見て肌で感じるのが、旅行の醍醐味である。(もちろんただ単に綺麗な景色と美味しい食べ物にテンション上がるっていうのもありますけどネ。)


しかしこれは、読書にも共通して言えることだと思うのだ。(私はもっぱら小説ばかりを読んできた人間なので、ここでの「読書」は「小説を読むこと」と定義させてもらいたい。)

私は読書というのは、「他人の人生を経験すること」だと思っている。自分一人では歩み得なかった出来事を経験し、知らなかった感情を味わう。数百年前の異なる土地に生きていた人物と、心を通わせることができる。いわば、小説を通してなら、私は私以外の誰にでもなれるのだ。

私がこの感覚を強烈に体験し、読書に病みつきになったのは、五年前の高校一年生の冬であった。ちょうど今の時期だったと思う。女子校育ちで恋のこの字も知らないような私は、たまたま本屋で、島本理生の一昨年映画化もされた代表作『ナラタージュ』を手に取り、その本の中で強烈な初恋と失恋を経験することになったのだ。(島本理生先生、直木賞受賞心の底からおめでとうございます!)それ以来、暇さえあれば小説を読み漁る生活を続けている。

『ナラタージュ』は、高校時代の恩師に恋をする女子大生が主人公の、非常に切ない恋愛小説である。これだけではありきたりなラブストーリーに思えるかもしれないが、嫉妬や絶望といったかなりヘビーな人間の感情を詳細に描き切った作品である。

本当に強烈な体験だった。その世界観から三週間近く抜け出せず、何をするにも上の空になってしまったくらいだ。私がそれまで読んだことのあった少女漫画で描かれていたキラキラした恋愛とは全く異質の、人同士が心を剥き出しにしてぶつけ合い、これでもかとばかりに深く傷つき、それでもどうしても惹かれる気持ちを抑えることができない…そう言った人間のどうしようもない恋愛が描かれていたのである。

(余談だが、映画版における坂口健太郎の演技は、原作以上と言ってもいいくらい本当に素晴らしかった。私は、主演二人の切ない場面では全く泣かなかったにも関わらず、坂口健太郎の演じる切ないシーンでは驚くほど号泣してしまった。しかし坂口健太郎もかなりの読書家であることを考えると、やはり彼のあの演技力は読書を通して多くの人の人生を経験したからなのだろうな、と思う。)

そしてあの強烈な恋心を知ってしまった私は、なかなか人を好きになれなくなってしまった。多少気になる程度の存在ができても、「あの感情に比べたらこんなの恋じゃないんだろうな」と考えてしまうのだ。その分、本当に人を好きになったときに、あの小説の主人公のように取り返しのつかないくらいボロボロになるまで好きになってしまう、という弊害(?)も生まれたのだが…。(復活して学びました、いい人生経験だった)

話を元に戻そう。とにかく私が言いたいのは、読書は私たちが経験してないことを経験できる一番のツールだということだ。本来なら知ることのできなかった記憶を辿ることができて、そしてその記憶にガツンと脳天を撃ち抜かれたり、いつかの苦しかった自分が救われたりする。しかもそれはどこにいてもページを捲るだけで味わえるという。こんなに簡単で素敵なもの、他にある?

最近、若者の読書離れが進んでいるという。実際に私の周りでも、読書が趣味という人間はあまりいないし、好きな作家は?と聞かれて即答できる人間も多くない。しかし私は言いたい。みんな、本を読んで、忙しいのはわかるけど、どうにか時間を作って読んで、と。そして私と意見を交わそう。どんどん面白い本を勧めてくれ。

今月末に、ポーランドとドイツ旅行を計画している。ポーランドでアウシュヴィッツ収容所に足を運び、犠牲者の視点からその場で何が起きたのかをこの目で直接確かめ、そしてベルリンへ行きテロのトポグラフィーを訪れ、今度はナチス側の観点から戦争を知ろうと思っている。結局、歴史や憲法や国際関係を通してどんなに戦争を勉強したところで、自分自身の目で見ない限りは机上の空論でしかないと思うのだ。(お前国際関係も平和学も法律も学んでねーだろ!語学と文学だろ!というツッコミは無しでお願いします。)そして戦争文学を読み、戦時中の生々しい記憶に直に触れたい。とりあえず今は、フランス語で『最後の授業』を、英語で『誰がために鐘は鳴る』を読みたいと思っている。

これらの文章を通して結局何が言いたいのかというと、私は、すべて自分の目で見たいし、知りたいのだ。

そのたった一つの欲望に突き動かされて、私はこんなヨーロッパの一介の国まで、はるばるやってきた。そしてこれからも、その情熱を燃やして、様々な国を訪れ、様々な本を読み漁っていくのだろう。

そしてその情熱に火をつけてくれたのは間違いなく高校の恩師たちである。受験勉強は辛かったけれど、本当に頑張ってよかった。

というわけで、宣言しちゃったので、ポーランドとドイツの航空券と宿抑えようと思います。ちなみにポーランドもベルリンも普通の観光もする予定です。ポンチキとカレーヴルスト楽しみだなー!

と、人文学や読書軽視の世の中に一石を投じてみたく、私自身の意見を書き連ねてみたのでした。(ライターモードが終了したので語尾が変わっています笑)私たった一人で世の中を変えられるなんてさらさら思っていないけれど、これを読んだ方が、少しでも本を読んでみようかな、という気持ちになったなら、私はもうそれで十分です。

ちなみに私のバイブルは『ノルウェイの森』です。この本に関してはもう台詞を丸暗記するくらい何度も読んでいます。いつかこの本についても語ろう。村上春樹の初期作品の、砂がさらさらと指の間を滑り落ちていくような、独特の切なさが堪らなく好きです。他には先に述べた島本理生、吉本ばなな、原田マハ、川上未映子、千早茜などが好きですね。特に川上未映子はひとりの女性としてもとても憧れています。現代の女性文学ばかり読んできたので、そろそろ近代の大御所にも挑戦したいところです。

それにしてもやはり、ものを書くというのは本当に楽しい行為ですね。たまにこうやって自由に思ったことをしたためていこうと思います。そんなに書くつもりなかったのに、あっという間に3000字行っちゃった。

それでは。

追記

100スキを超えた記念に、わたしが「人生を経験させてくれた」と感じた小説を紹介するnoteを書きました。よろしければ合わせてこちらもご覧ください!リンク:https://note.mu/sawapple_7/n/nc8fee7363d94


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