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「何ひとつ忘れない。」


昨年夏に公開された大好きな映画、"call me by your name"を久しぶりに観たら(なんと四度目!)、やっぱり号泣して眠れなくなってしまい、真っ暗な部屋で画面に向かい合ってこのnoteを書いている。誰がなんと言おうと傑作だ、と思う。

何回観ても鑑賞時の胸の痛みと押し寄せる感情は色褪せることがなくて、むしろエリオの表情が、オリヴァーの仕草が、お父さんの台詞が、回数を重ねるたびに心の更に深いところへと沁みてゆく。

この映画はエリオとオリヴァー、二人の男性同士の恋愛を描いているのだけれど、作品の中で「ゲイ」というところは全く強調されていなくて、ただ単に人が人を好きになることの至上の喜びと究極の胸の痛みを描いた作品だ。


たった二時間の映画だけれど、エリオとオリヴァーの些細な仕草に、表情に、台詞に、カメラアングルに、果物に、日の光を反射する水しぶきに、フィルム調の色彩に、フランス語に、イタリア語に、バッハに、ペンダントに、"later"に、全てに二人の気持ちが凝縮されていて、その全てがわたしには眩しくて、切ない。

そしてそれらの要素全てが、わたしを揺さぶる。わたしの中に眠る、いつかのわたしを呼び起こす。それをわたしはいつどこで感じたものなのか、どうして生じたものなのか、はっきりと思い出すことはできなくて、フランス語で言うならば"réminiscience"、そういう類のぼんやりとした記憶なのだけれど、それでもそれらはわたしの中の生きた感情を呼び起こす。

わたしとエリオは性別も、生きる時代も、環境も、話す言葉も、全てが違う。それなのに、彼の中にはわたしがいる。わたしはイタリアのホームで大好きな人が去るのを見送ったことはないけれど、それでも、母親に迎えにきてと泣きながら話す彼の背中には、見覚えがあるような気がしてしまう。

だからこそ、エリオのお父さんの言葉が、わたしの心に素直に沁みてくる。

「どんなに悲しくても、その悲しみを葬ることだけはするな、喜びも悲しみも、全てを覚えていなさい」

そう、どんな痛みも悲しみも、全てがわたしだけのもので、それはわたしの宝なのだ。

わたしが映画や小説に触れることをやめられない理由は、ここにある。作品の中に、いつかの自分を見つけられること。そしてそのいつかの苦しかった自分、嬉しかった自分、そんな自分を他の登場人物が肯定してくれること。わたしにとって作品との出会いとは、人との出会いに他ならない。

この映画を観ていつも感じることは、陳腐な言葉になってしまうけれど、人と人が出会うことの奇跡だ。

エリオとオリヴァーが出会えてお互いを愛したのは、あの夏にイタリアで出会ったから。もし彼らが冬に出会っていたら、ニューヨークで出会っていたら、教授の弟子と息子として出会っていなかったら、きっと二人はあんな想いを経験することはなくて、そもそも出会えていたのかも怪しくて、きっとあの二人はあの瞬間にあの二人であったからこそ、「何一つ忘れない」と思えるほどの気持ちを、たったの数週間ではあったけれど、共有することができたのだ。

そんな人生において一瞬と呼んでいいほどの短い瞬間に立ち上った奇跡は、わたしの胸を震わせる。

"Parce que c'était lui, parce que c'était moi"
(それは彼だったから、そして僕だったから)

この台詞に、この物語の全てが集約されている。
人は結局、出会える人間としか出会えない。

どんなに些細な出会いでも、短い期間の出会いでも、それが「あなた」と「わたし」である限り、そこにはたぶん何かしらの意味があって、そして私たちはそこで生まれたあらゆる類の喜び、寂しさ、後悔、全ての感情を、心の隅っこに置き場を作って大切に保存して、人生におけるふとした瞬間に取り出して、光に透かしてその美しさを確かめる。

わたしの好きな言葉に、

In the life of each of us, there is a place remote and islanded, and given to endless regret or secret happiness.
(私たちの人生にはそれぞれ、果てのない後悔と秘密の幸せのために、ひっそりと離れて存在している場所がある)

というものがある。

エリオもオリヴァーもわたしもあなたも、誰もがこの"place"を持っている。それは絶対に誰にも奪えない、私たちそれぞれの何よりもかけがえのないもので、その"place"に宝物を増やしていくということが、たぶん生きるってことなのだろう。

あと数ヶ月で夏が来る。エリオとオリヴァーが出逢った季節が。帰国までに、夏の間に「北イタリアのどこか」を訪れて、この映画に閉じ込められたキラキラとして儚い夏を、わたしもこの目で見てみたい。きっとその空気はやっぱりどこか儚くて、わたしはまた何かを思い出して、少し泣いてしまうのだろう。

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