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愛がすべてを、変えてくれたら、いいのに


長年観たいと思っていた映画『わたしはロランス』を、ようやく観たのだけど、こんなにwonderfulでlovelyでbeautifulでmarvelousな映画を、わたしは他に知らない。それほどまでに至高の愛の物語だった。

長年女性になりたいと願い続けてきた男性の主人公ロランス。彼にはフレッドという最愛の女性のパートナーがいて、まずは彼女にその願望を打ち明ける。フレッドは戸惑いつつも、その愛から彼の彼女への変貌を献身的に支えることを決意する。しかし、社会の偏見や自身への戸惑いを、愛だけで克服することはできなくて…というあらすじ。


以下、ネタバレ注意。(多様性や愛や人生について語っていきます。またいつものごとく長文ですが最後まで読んでいただけると嬉しいです!)


場面を彩る洗練された音楽の数々、アクセントとなる鮮やかな色彩美、それらからわたしは明るくパワフルな物語を想像していて、勿論その力強さというものは全編を通して画面に漲っていたのだけれど、それ以上に真正面から描かれた重い社会からの偏見と愛ゆえの2人のすれ違いに、わたしの胸はどんどんすり潰された。

その極め付けとして涙腺が崩壊した場面をいくつか紹介していこう。一時間を過ぎたあたりから苦しい場面の連続で、延々と泣きっぱなしだった。


まずは、ロランスが女性として生きはじめたことで職を辞めさせられ、絡んできたおじさんと喧嘩をし、血まみれの顔で母親に電話をする場面。ロランスはしばらく家族に連絡を取っていなかったのだが、そのことをこう説明する。

連絡を絶っていたのは…正直な自分で会いたかったから。今は本当の自分になった

さなぎはその変化過程を外部に見せない。ロランスは自身を蝶へと変化させて初めて、本当の自分の姿で家族に会いたかった。相手が大切だからこそ、会うことができなかった。しかしそんな理由は母親には通用しない。

でもそれによって失うものもあるの

そう一蹴してロランスの電話を切ろうとしてしまう。

本当の自分で生きたいだけなのに、職場にも、家族にも、認めてもらえない。たまたま間違った容れ物で生まれてきてしまっただけなのに、どうして…。


また、ロランスとフレッドが食事をしていると、店員のおばあさんがロランスになぜそんな格好をしているのかと執拗に尋ねてくる。そしてフレッドは激昂し、こう叫ぶ。

お願いがある 簡単なことよ 喋らないで 質問も感想も必要ない
あんたのバカな意見は頭にしまっておいて
私たちに外に出るなって言うの?息をするにも人目を気にしなきゃいけないの?
彼のマニキュアが怖いってわけ?とんだ臆病者ね
彼氏にカツラを買ったことある?ないでしょ
どこかで殴られてるんじゃないかって外出の度に怯えたことは?
あんたにはわかりっこない 土足で踏み込まないで
もう二度と私たちに話しかけてこないでよ
あんたはコーヒーを入れてればいいの あとはほっといて!


「多様性を認める」ということは、「あれこれコメントをした上でその存在を認めてあげること」ではない。そこに居て当然のものとして放っておくことだ。

このシーンに私はどきりとさせられた。
果たして私は、例えば目の前に女性の格好をした男性が現れたとして、不躾で好奇の視線を浴びせずにいられるだろうか?後から友人に面白おかしく話したりしないだろうか?

「多様性を認める」と口に出すのは簡単だ。しかしその実践は、私たちの予想より遥かに難しい。

心の中に潜む偏見と先入観をまっさらになるまで洗って、どんな色でもその人の色だと受け入れ、心のカンバスにその色を増やすこと。

それが「多様性を認める」ということで、令和の時代に求められていることなのではないかと思う。それはいわば既存の「当たり前」を疑うということで、学びを通して自分自身をも更新していくということであり、相当困難な道のりであるだろう。それでも私はどんな色も愛したいから、今日も明日も学び続けるしかないのだ。



先ほどのセリフからもわかるように、フレッドは本当に強い女性だ。彼女はどこまでも深くて力強い海のようなその愛で、彼と一緒に戦っていこうと決意する。

だから、ロランスが初めて女性の格好をした日、フレッドはこんな言葉を贈る。

初めて会ったとき、すごいことが起きるって感じた。だからあなたについていくと決めた。

しかしそんな彼女も結局は、脆さを抱えるひとりの人間だ。

彼女が好きになったのはやはり男性としてのロランスであるから、彼が女性になっても自分を愛しているとはわかっていても、心の底には2人の関係性や積み上げてきた時間に対する疑念がこびりついているし、「女性になりたい」という気持ち自体を肯定しきれない自分がいる。世間からの好奇の眼差しにも耐えられない。そしてまたそんな自分を嫌悪する。でもロランスの前では精一杯、彼を懸命に支えるパートナーを演じる。

そんな二重の生活を通して、彼女は心のバランスを失ってしまう。そして彼女は、取り返しのつかないある決断を下してしまう…。



ここで一つ気になるのが、ロランスの複雑なセクシュアリティについて。

ロランスはトランスジェンダーであるけれど、恋愛対象は女性であるから、「トランスジェンダーかつレズビアン」と定義することができる。それでもなんとなく、ロランスがフレッドといるときは、彼は男の顔をしているように思えてしまう。いや、男の顔というよりは、「恋をしている人間の顔」と言ったほうが適切かもしれない。

すごく陳腐な言い方になるのだけれど、私にはあの2人が性別を超えて唯一無二のパートナーとして惹かれ合っているようにしか見えないのだ。その証拠に、彼がカミングアウトをした際にフレッドは

私が愛している要素を全て否定するわけ?

と述べ、それに対してロランスは

それだけ?

と返し、フレッドは黙り込む。フレッドが愛しているのはロランスの男性的要素だけではなくて、彼の中にある決定的な「何か」であるから。

でもそれって、どのカップルもそうなんじゃないだろうか。「恋人のどこが好きなの」と聞かれて、「顔」という人はまぁここには当てはまらないかもしれないけれど、「◯◯なところ」という風に中身の何かを答える人は、おそらく相手の人間的な魅力に惹かれて恋をしているわけで、それを思うとやっぱり過去のnoteでも述べた通り、恋愛に性別は関係ないのではないかと思えてしまう。

「人間として好きになるのは相手が異性だという前提条件が存在しているからだよ」と反論されたら、それに対してうまく答えることはできないのだけれど…。

このロランスのセクシュアリティについては未だに咀嚼しきれていないので、どなたか観て考えた方がいらしたら、ご意見いただけると嬉しいです。


しかしそんな2人は、再会を果たしては口論を繰り返す。愛し合っているからこそ、お互いへの思いをうまく伝えられず、気持ちだけがどんどん空回りしてしまうのだ。

それでも束の間の逃避行で2人が見せる、ポスターや予告編に写るサングラスをかけた2人の本物の笑顔、あの瞬間だけは2人は男とか女とか、結婚とか仕事とかそういうすべてのものから解放されて、「本当の自分」として「本当の愛」に生きていた。もしかしたら2人の人生はこの瞬間のためにあったのかもしれない、と思わせてくるほどの喜びに、私は心の震えを止めることができなかった。



ラストにて、10年間も別れて戻ってを繰り返して離れなかったずるずるの2人は、真の意味での決別を果たす。

「私が女性にならなくても、2人は終わっていたと思うわ」

という、ロランスの台詞によって。

性別に甘えて逃げて、「もしかしたら別の道が存在していたのかな」なんていう、存在し得ない過去に想いを馳せるのは容易なことだ。それでも2人は、1人の人間同士として、誠心誠意互いに向き合って、その関係は終わらざるを得なかったのだと認めた。

そしてそれぞれの翼で、それぞれの世界へ飛び立った。本当に別れたあと、2人の周りには風が吹き、落ち葉がまるで彼らを祝福するように舞う。

愛だけじゃ全てを変えることはできなかった。でも少なくともロランスは、フレッドが側にいたから本当の自分へと生まれ変わることができた。それはある意味で「全て」以上に価値のある何かであるのだ。


日本語タイトルは『わたしはロランス』だけれど、現代は"Laurence Anyways"、「何があってもわたしはロランスなのだ」という、自分らしさへの決意の溢れたタイトル。

物語後半でロランスは、21世紀という時代について、こう述べている。

コンピューターだけではなく若者にも変化を求めたい
私が飛び越えたように若者にも変わって欲しい
私は乗り越えた 女性として生きていく

そして、21世紀を乗り越える自信は?と尋ねられると

自信はないけど…覚悟はできてる

と答える。その覚悟こそが"Anyways"なのだ。
そしてこの"Laurence Anyways"とは、2人が出会った際にロランスが言った台詞である。そんな風に、女性へと生まれ変わる前から自分らしさを確立していたロランスだからこそ、きっとフレッドは心奪われたのであろう。

今を生きる私たちに必要なのは、この覚悟だ。何があっても、「◯◯、anyways」と笑顔で言えるほどの、芯の強い覚悟を身に付け、社会に挑むこと。
このタイトルは、ドラン監督が現代人に提起している生きるヒントのようにも思えてくる。


この映画は、多様性の時代、21世紀を生きる私たちへの愛と敬意の詰まったメッセージだ。自分らしく生きるとは何か、人を愛するとは何か。少しでもこれらに疑問や迷いを抱いたことがある人は、ぜひこの映画を観てほしい。きっとそこで、残酷なまでに儚くて強くて美しい、愛についてのヒントを得ることができるだろう。






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