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初めてのひとめぼれ

「一目惚れって、信じますか?」
もしあなたが唐突にこう訊かれたら、どう返事をするだろう?

普段の私なら、「ない」と断言していただろう。私は恋愛に関してはひどく慎重で、時間をかけて徐々に人を好きになるタイプであるから。
けれど私はそんな私は今、初めて一目惚れを経験してしまっている。しかも超電撃的な、運命と呼んでしまいたくなるやつを。

そう、その相手とは、現在私が留学している街、ジュネーヴである。

出会いはかれこれ三年前に遡る。夏の短期留学で初めてジュネーヴを訪れた私は、それが初めてのヨーロッパだったというのも相まって、一瞬でこの街に魅了されてしまった。旧市街の少し煤けた坂道、街のどこにいたって顔を覗かせる噴水、公園で時間を忘れて昼寝をしている人々、トラムが走り出す瞬間のすんとした音、高すぎる太陽と突き刺すような日差し、すぐに機嫌を変えて怒り出す天気…、それら全てが真新しいものに感じられて、余すことなく心を奪われた。

そしてそのときに「あぁこの街にもう一度来たいなぁ」と思って、次の夏にまた短期留学でやって来て、「あぁ今度は一年来たいなぁ」と思って、交換留学生としてやって来て、最近は「あぁなんだか帰りたくないなぁ」と思いながら過ごしている、そんな次第だ。どんだけ好きなんだ、ジュネーヴ。
他の国もたくさん旅行で訪れたけれど、ここよりしっくり来る街には未だに出会えていない。


どうしてこんな昔話を始めてしまったかというと、私が今大学で取っているフランス語の短期講座が、三年前の夏に初めて来たときと同じプログラムであるからだ。あのときと同じガイダンスを受けて、あのときと同じような教室に座って、あのときと同じような時間割で過ごす。それが私に、ひどく郷愁めいたものを感じさせてしまった。

あのとき魅了されたのは、街の景観や異なった生活様式だけではなかった。私はあの夏のたった三週間の間で、19年間構築し続けてきた価値観を揺さぶられ、世界がひっくり返るような、強烈な体験を味わうこととなったのだ。


私のいたクラスは、約15人の生徒から構成されていて、他の生徒の国籍は、イタリア、イギリス、チベット、コロンビア、トルコ、韓国…など、国際都市であるこの街の縮図のような、まさに多様でインターナショナルな環境だった。
そんなメンバーと初めて対面したとき、私はなんだかテレビの中の芸能人に会ったような、ものすごく高揚した気持ちになってしまった。なぜなら、日本にいたときには周りには日本人しかいたことがなくて、世界中の国から集まった人々に囲まれるなんてシチュエーションは、もはやテレビの中の世界よりずっと遠い、想像したこともないような環境だったから。

しかも何がすごいって、そのメンバーのほとんどが、授業外では流暢な英語でコミュニケーションを取っていたのだ。そして私と同じ大学から来ていた友人もアメリカの帰国子女だったので、彼らと対等に英語でやりとりをしていた。
かくいう私は、高校時代はかなり英語ができる方だったけれど、やはり受験英語しか触れてこなかったので、全く話すことができなかった。話しかけられると頭が真っ白になって、本当に、"I don't know"しか出てこないのだ。

彼らと関わりあうのが楽しくて、刺激的で、その喜びを伝えたいのに、「英語が話せない」というたった一つの理由のせいで、共有することができない。ものすごく悔しかった。英語は本当に世界中で話されている言語、いわばリンガフランカで、その一つの言語を操れるだけで世界がずっと広がるんだと痛感した瞬間だった。
これを機に私は日本に帰ってから猛烈に英会話を特訓して、それなりに話せるようになるのだけれど、それはまた別の機会に書こう。

そして留学中に一番衝撃だったのが、「人をひとりの人として見る」ということができたことだ。これ、一見当たり前のことのように見えるけれど、意外と実践が難しい。

留学中にできた友人と仲を深めていく中で、出身地域や出身大学など、そういうバックグラウンドについて話す機会が多々あった。でもそれらの話をしても、なんだかピンとこなくて、それらの情報を通して彼らについて何かを知ることはできなかった。当時私は他の国なんてほぼ行ったことがなかったし、海外大学だってオクスフォードとかの一部の超エリート校しか知らなかったのだから。

でもだからこそ、人を肩書きだけで判断せず、その人の中身をしっかりと見る、ということができたのだと思う。他の情報に惑わされず、「この人が今までどう生きてきたのかはわからないけれど、いま私の目の前にいるこの姿を信じよう」、そういう気持ちで彼らと向かい合うことができたのだ。そして同時に私は、今まで自分がいかに肩書きで人を判断してきたのかをひどく痛感したのだった。

日本にいると私たちは、気がつかないうちにフィルターを通して人を見てしまっている。「○○大学の人はチャラい」とか、「こういう服を着ている人は△△な性格」とか、「××が趣味な人は暗い」とか、そういった類の情報に、本当に無意識に影響され、人を外見やそのバックグラウンドに基づいて判断してしまう。本当は人はそれぞれ異なった存在で、たまたまある集団に属しているだけで、それらのステレオタイプがその人の全てではない。それなのに、そういった情報が人間関係の構築を阻害してしまったりする。それはなんと勿体無いことか。 うわべだけで人を判断してしまうのは、貧しい。

何より私が、それらのうわべの情報に振り回されず、ありのままの私を見てもらえたことが、ものすごく新鮮で、本当に嬉しかったのだと思う。

そしてあのときの「この街にいると、なんだか私は自由でいられるな」という感覚が、私をまたこの街へと呼び寄せたのだ。

あのとき抱いた感覚は間違っていなかった。
長期留学中に仲良くなった現地の友人と話していると、みんな「私をひとりの人として見てくれている」という感覚を覚えるし、私自身も彼らと人として向かい合っているなという気持ちになる。
私は私でしかなくて、好きに生きていいのだと思えてくる。やっぱり帰りたくないな。
他の日本人留学生も結構みんな帰りたくなくなって来ているのを見ると、やはりこの街には、何か特殊で素敵な引力があるのだろうな、と思わずにはいられない。

「一目惚れから始まる恋は長続きしやすい」なんてよく言うけれど、それはおそらく真実だ。だって私はやっぱり、この街に来てよかったと、毎日思ってしまうのだから。

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