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"ジャンプ・ザ・ワールド"で日本から世界にジャンプ!歌手 葦木ヒロカさん


新曲”ジャンプ・ザ・ワールド”で日本47都道府県をまわり、女性シンガーとして勇気と希望をお届けする準備としてクラファンにチャレンジ中の歌手、葦木ヒロカさんにお話を伺ってきました。


♢葦木ヒロカさんプロフィール長野県を拠点に活動するシンガー(ソングライター)。歌姫たちの豊かな心は豊かな世界を生み出していくという思いから「歌姫たちをつなぎ応援をする歌姫」としての活動も活発に行っている。また「歴史を癒す」をテーマに全国の歴史遺産・遺跡コンサートにも力を入れている。活動15周年あたる2018年は2つのクラウドファンディングプロジェクトを、異例の連続成功を成し遂げるほか、神曲と自ら表する「Jump the world」のニューヨークレコーディングを敢行。その「Jump the world」はSMAP、中島美嘉、EXILE、嵐などへの楽曲提供、編曲、また海外のDJ達から絶賛されたリーダーアルバム「Purple」「Romantic Gold」をリリースするなどアーティストとしても活躍されている長岡成貢氏が作曲・サウンドプロデュースを手掛け、アジア・世界をまたにかけるグローバルで常識にとらわれない音楽プロジェクトを推進中。 365日歌姫との絆を広げる”歌姫チャンネル”毎晩夜10時30分〜Facebookで配信中。 2018年5月から毎日配信されていた歌姫チャンネルの365日連続配信に挑戦。2019年5月28日完走し沢山の歌姫と友達になる。


アジアのご縁長者になる

Q.どんな夢やビジョンを描いていらっしゃいますか? 

葦木さん(以下敬称略):夢は、アジアのご縁長者になることです。幼稚園の頃にいじめられた経験がありまして、本当は友達になりたいのにどうすれば仲良くできるか、人とのコミュニケーションがうまくいかなくて友達ができなかったんです。人と仲良くなりたいだけなのに心は傷つく、そんな風に綱引きをして生きていた感じです。そして、ようやっと自分の本当の心を表現したいというタイミングが来ました。これからはどんどん友達を作っていきたいと思っていて、歌を友達と繋がっていく心の架け橋にしたい。

記者:コミュニケーションは本当に難しいですよね。歌で友達を繋いでいくんですね。

葦木:はい。

日本、アジア、世界に旅をしながら歌という花束を持って友達になりましょう!って世界中に友達をたくさん作るんです。 

記者:歌という花束でお友達づくり♪


日本にジャンプの聖地を作る

Q.どんな目標や計画をしていらっしゃいますか?(1年後、2年後、5年後など)既に決められていらっしゃることなどがありましたら教えてください。 

葦木:ちょうど5月11日からクラウドファンディングを始めたのですが、テーマは“日本中にジャンプの聖地を作る!”なんです。

記者:ジャンプの聖地?!

葦木:昨年ちょうど15周年だったということもあって、クラファンを2回ほどやったのですが、やっていく中で人とのつながりが本当に大事だなと気づかされたんですね。

それで今回、”ジャンプ・ザ・ワールド”という歌が出来ました。

この歌は日本の音楽業界でたくさんのヒット曲を書かれている長岡成貢さんに曲を書いて頂いて、私のプロデュースをして下さっている篠原さんに作詞をして頂いて出来た歌なのですが、今までの私のように怖いとか逃げちゃうとか引きこもっちゃうような人でも、お腹の底から湧き上がるような勇気が湧いてくる歌なんです。

記者:"ジャンプ・ザ・ワールド"。それでジャンプが出てくるんですね。

葦木:はい。主婦の方で子育てで自分のことが全然できなかったりとか、サラリーマンの方でもそうですね。急に大きなジャンプは難しいけど、みなさんの小さなジャンプの背中を一押ししてくれる、やりたいことにジャンプする歌ですね。

記者:日本中にジャンプの聖地を作るとはどうやってするんでしょうか。

葦木:自分で覚悟を決めて、自分で借金をして軽キャンパーを購入しました。私が自らハンドルを握って、日本47都道府県をまわるんです。自分の人生のハンドルを自分で握っていくということですね。デビューから15年間はずっと助手席でプロデューサーの篠原さんに何から何までして頂いていたので、これからは自分の人生のハンドルを握っていきたいと思っています。

記者:自立のジャンプということでしょうか。日本全国まわりながらジャンプの聖地を作る。

葦木:そうなんです。今まではライブで凹むことがあると二、三日お布団に引きこもってしまって、周りの人たちの賢明なサポートで活動を続けることができました。これからはそんな私を飛び越えジャンプして、みんなに恩返しをしたいですし、この"ジャンプ・ザ・ワールド"を多くの人に届けて、みんなのジャンプの応援歌になったらいいなと思います。それともうひとつ、みなさんのジャンプ写真を1000枚集めるJumping1000というプロジェクトも並行してやっていきます。最近では自撮りジャンプ写真の撮影の仕方をお伝えしたりとかもしています。

全国各地の空や海、風光明媚な場所で、どんどんみんなとジャンプをしていって、ここは素晴らしい!!と思わず自慢したくなっちゃうあなたのふるさとの素敵な場所「ジャンプの聖地」を一緒に見つけて作っていきたいです。

記者:みなさんのサポートもあって今のヒロカさんがいらっしゃるんですね。どれくらいの期間で行かれる予定ですか?

葦木:6月20日にスタートして日本中を回り終わるのが来年2020年の4月22日の予定です。途中でニューヨークやバリ島に行ったりもするのでかなりの時間がかかります。

記者:日本を廻り終わったらその先の計画は何かありますか?

葦木:次はアジアにいきます!ジャンプの聖地づくりですね。みんなを勇気づけたいと思って、みんなのジャンプする姿を写真で撮ってSNSに投稿しているんです。それで、せっかくだったら綺麗なところでジャンプをやろうよということになってアジアから世界にと行く感じですね。

記者:どんどん繋がっていくんですね。


ジャンプ・ザ・ワールド

Q.ヒロカさんの活動指針と現在の主な活動を教えてください。 

葦木:今はこのジャンプ・ザ・ワールドのプロジェクトに命をかけて24時間取り組んでます。関わってくれている人たちと新しい世界を作りたいと思っています。やりたいんだけど勇気が出ないとか、やりたいんだけどどう思われるかなというのをジャンプしていきたいというか。私のやっているのに感化されて、じゃあ私もやってみようかなってジャンプする人が日本全国に増えていったらいいなと思っています。

基本的に大事にしたいのは人なんですよね。今までが権威と名誉とお金だったなら、これからはたくさんの人と繋がっていって、お金持ちという億万長者でなくて、たくさんの友達と心を通わせるご縁長者になっていきたいと、そのためには私自身の人としての素養というか、自分が人として役立っていけるような存在である必要があります。今まで15年間は人とのご縁を大切に仕切れなかったのがあるので、これからはアジアのご縁長者を目指していきたいですね。

記者:すばらしいです!!なりましょうご縁長者!!

葦木:ところで、ジャンプ写真は自撮りもいいですけど、家族や友達と一緒に撮ると深い友情を気づけるようになるので是非やってみてください。つながった仲間たちが集うオンラインサロンも作りたいですね。


歌姫チャンネル

Q.歌姫チャンネルについて聞かせてください。

葦木:私は友達が作れないという思い込みを外したくても外せないと苦労している時、篠原さんが昨年の2月17日に突然、宣言したんです。世界中の歌姫とコミュニティを作る!2020年広島でコンサートをするって。それで私も幼少期の思い込みを乗り越えないといけないって思いましたね。

それなら同じ思いを持って活動している日本の歌姫と繋がりたいと思って、どうしたら多くの歌姫と繋がれるかなと思っていたんです。そうしたら、篠原さんからインターネット配信をやれば47都道府県の歌姫と出会えるよと教えてもらったんですね。

それなら365日連続でやっちゃえってことになってそれからはノリでしたね。

記者:篠原さんの意志とヒロカさんの意志があって歌姫チャンネルが生まれたんですね。

篠原:女性性を地球上に解放したいというのがありますね。男性社会の中で巫女は地位が低いですよね。歌姫もそうだと思うんですね。1998年からそんな思いでやってきました。女性シンガーがのびのびとやれる社会にしたい。ミュージシャンは職業としてはとても難しいんです。医者だったらたくさんいるけれど、日本は特に芸術にチャレンジすることに対する応援体制が整っているわけではないですね。イタリアや欧米とかと違い、芸術をやっていこうという人に応援体制はないですよね。そういうこともあって日本の女性は特に難しいと思うんです。だから応援したいなと。

女性シンガーの成功モデルを作れたらいいなと思っています。その代表にヒロカがなればいいなと思ってます。悠々遊んで、起きて、ジャンプして、写真撮って 遊んで、また寝る。そんな風に楽しくいくのがいいなと。

「今日はマレーシアのクアランプールでジャンプします!」みたいな。

喜びと経済が循環する仕組みを作りたい。苦行になってはダメだと思っています。 旅仲間がどんどん増えていくイメージですね。

記者:プロデューサーの熱い思いがあるんですね。私も女性、また女性性を解放することには本当に共感です。頑張りたいですね。


表現できる場、居場所を求めて

Q.今取り組んでいらっしゃる活動に至るきっかけや、出会いや気づきなどありましたら教えてください。 

葦木:17歳の時に音楽大学を諦めて、彼氏にも振られて落ち込んで彷徨っていた時に友人に「松本駅前のエントランスで20時から歌っている人がいるから見に行こうよ」と誘ってもらったんですね。30代の男性で自分の歌を歌っていたんです。

もともと長野はクラシックの街だったので、私もクラシックをやっていたのですが、その場で歌いたくなって、アメージンググレースを歌ったんです。そこから始まったんですね。その男性が作れるのなら私もできる!って。それで、自分でもすごいと思いましたが、初めての歌を次の週までにギター猛練習して作って弾き語りで歌ったんです。そしたらみんながビックリして噂が広まって、「面白い17歳の女の子がいるよ」って。その噂が篠原さんに伝わってお会いすることになったんですね。

それからも踠いていました。私の世界を作りたいって。自分をいじめてた人たちをどこかで見返してやりたいという気持ちも無意識深くあったんですね。頑張ってきた反面煮え切らない感があって、やりきれていない。本当に歌に打ち込めていなかったと思います。

生きることが苦しくて、自分が表現できる場所、自分の居場所を求めていました。安心できる場所が少なくて、いざ安心できる場所、環境に出会った時に怠けたくなった。無意識の依存が沢山あったんですね。

ここを抜けられたら始まる!自分の人生を本当に展開していったらそこから抜け出すことができる!!それで出来たのがジャンプザワールドだったんです。



ハンムラビ法典から花束に!

Q.幼少期から今に至るまで一貫して大切にされていることや思いなどはありますか? 

葦木:小さい頃から今かあ。小さい頃はいきている実感がなかった。生きているっていう躍動やパッション、自分が本当に生きているんだという感覚というのをずっと欲しいと思っていて、それが欲しいから歌っているし、生きる躍動、生きる力と言うのを自分でも感じたい、受け渡したいというのがありますね。

篠原:やっぱりいじめられたという恨み、目には目に、歯には歯をがヒロカの信念の中にあったんですね。それが最近になって変わって来た。目には目に歯には歯を手放してくれたんだよね。

葦木:引きこもりの原因はいじめっ子は許せない!でしたからね。

篠原:私はこの世界で独立したい。それが布団の中の世界(笑)。

記者:相当にひどいいじめだったんですね。

葦木:幼稚園のときのいじめもありましたが、小3の頃同級生の女の子に川に落とされたり、部屋で三対一で殴られ続けたり、いろいろありました。

記者:それはひどいですね。

葦木:ハンムラビ法典を小学校4年生の時に社会で知って、黒魔術やノストラダムスが本当に来ると本気で信じてたこともありましたからね(笑)。それらの報復を手放して、自分も人も大切にしたい。大切につながっていきたいですね。

そのつながる想いの花束として歌を贈りながら巡っていきたいです。

自分の命を使い切っていきたいんですね。そして、熱くいきたい!やっと、本当についこの間、今まで握りしめてきた呪いを手放して、心から繋がっていきたいなと思えるようになったんです。

篠原:本当についこの間だね。憎しみを手放して。

葦木:これからは目には目を歯には歯をから、音楽の花束を持って旅に出る。

記者:今だから笑ってお話できることですね。音楽の花束を持っていきましょう♬



Q.最後に読者の皆様にメッセージをお願いいたします。 

これから日本全国をキャンピングカーでまわります。その時にお会いして、"ジャンプ・ザ・ワールド"を聴いていただき、ヒロカと一緒にジャンプしてお友達になっていただけたら嬉しいです。是非仲良くしてください!!

今まで、心の中に閉じこもっていた分、これからは歌を花束に人と繋がって友達を日本中世界中にたくさん作って、みんながお互いを大切に思い合える宝物のような仲間作り、音楽作りをしていきたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。

記者:ありがとうございました。6月20日からの新しい旅、本当に楽しみですね。クラファンの成功もお祈りしてます。ありがとうございました。


Photo
:きよっち
:小鍛治輝洋

◎葦木ヒロカさんの詳しい情報はこちら

ジャンプ歌姫軽キャンパーで一人旅。
ジャンプの聖地を日本中につくりたい!

◆ 葦木ヒロカオフィシャルサイト

◆FB
https://www.facebook.com/misaki888

◆これからがんばるYoutubeチャンネル
(登録待ってます♪)
https://www.youtube.com/channel/UCLUpdckD37NzgQAP7sN27lA


【編集後記】
今回インタビューをさせていただきました塚田と澤田です。今回は長野と東京を繋いでインタビューをさせて頂きました。葦木さんのストーリーを聴くほど、ジャンプ・ザ・ワールドはどんな歌なんだろうと興味が湧いてきました。パッとお見受けする限りでは小さい時にひどいいじめに遭っていたことなど全く思えない垢抜けた感じですが、そこに至るまでたくさんの涙や辛い思いを越えていらしたんだなとプロデューサーの篠原さんとのやり取りから察することが出来ました。ハンムラビ法典から歌の花束に変えて小さなジャンプの応援を日本から世界にどんどん発信して行っていただきたいですね。ありがとうございました。


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この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


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