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隣の芝は青い

とはよく言ったもので、他人のものの方が良く見えることは多いにある。

幼少時期は、お友達が持ってるおもちゃが欲しくなり、
思春期は、友達が好きな人を好きになったりする。
大人になった今も変わらず、お隣の懐事情や仕事ぶりに嫉妬したりする。
年齢を重ね変わるのは、それを徐々に口に出さなくなったことだろうか。

その過程を通らなかったのか、性格なのか、稀に大人になっても「それいいな〜。」と、直ぐに口に出せる人がいる。

20代後半の30歳手前の頃、初対面でそれを言われた時は流石に面食らったが、そこから時を経て「まぁ、そんな人も居るだろう。」「そういう人なのだろう。」と思うようになった。


それはさておき、少なからず私にも『隣の芝は青い』精神はあって、それを見せないようにしようと理性を働かせることもある。
しかしいつの頃からか、羨ましいから尊敬に置き換えられるようになってきた。
そして、周りには尊敬できる人がたくさん居ると気付いたのだ。

これって他人を羨む隣の芝は青いではなく、たくさん学びたいキラキラした個々はまるで、隣の芝は虹色なのではいか!?

この定義からすると、十人十色 が合わさった感じだろうか。


相手の中に自分を見つける

これは私が感銘を受けた言葉であり、人生のテーマである。

とにかく他者との対話から新たな自分を発見したり、再確認したりすることがたくさんある。
本を読んでいて閃くのだってそうだと思う。
ライブ中にだって、繰り広げられるプレイの中で気付く事が多いにある。

これを人生のテーマだとすれば、周りに居る人は師であり自分である。だったら、キラキラ輝いた人がたくさん居る方が嬉しいのは当たり前のことだ。

これから、定期的に私の周りに居る尊敬すべき仲間や友人、先輩との対話をここでまとめてみようかと思っている。

青く見える隣の芝 の理由を知り
隣の芝は虹色だ♡ へアップデートできた方が
豊かに過ごせるはず。



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