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コロナ後遺症では、ないのかもしれません。

10月23日(土)は病院に行き、まず、病院への徒歩、受診、久しぶりに最寄り駅ビルの中を歩いて何か見たり自分用に食品を買うなど、私にはそれすらほぼ「リハビリ」でした。

以前から長く通うかかりつけの病院(以下、称「クリニック」)です。

そしてコロナ後遺症であろうかと所見でした時点・9月17日発熱(PCR陰性)からの今に至る症状ふまえ、今後は、『診断的治療』を開始となりました。

9月半ばからの発熱(熱は上下します)、倦怠感、味覚の有無、咳や悪寒、そして最近の激しい痛み、その他色々…に対処療法として処方薬はありますが、プラス新しく違うタイプの薬を処方下さり、経過観察と共に「診断名」が判明していくという方向になりました。

『診断的治療』という言葉の意味をドクターが丁寧にご説明下さり、そしてドクターは「…です。どうでしょうか。」と、患者の気持ちやイエス・ノーを聞いて下さるのが、私がこちらのクリニックとドクターを信頼しております理由のひとつです。

『診断的治療』につき、医療に無知な私がここでご説明し誤りが有ってはならなく差し控えさせて頂きます。

以下からの内容は、あくまでも"私"の場合となります。


私の場合、『診断的治療』に入るということは、現時点でコロナ後遺症と診断またはそのような症状は確かに有ったのでコロナ後遺症であろうという所見だったが、今は私にはコロナ後遺症という「診断名」は現在付けない、ということです。

ですから、以前数回の「コロナ後遺症です」という私の表現は、私としてのわかりやすい言葉を選んでしまったかと思い、プロフィール文章変更・タイトル加筆修正させて頂きます。
即、上手に直せなく、すみません。
大変失礼します。

以上、現時点です。

9月17日からの症状は確かにコロナ後遺症の一連の発症に伴いながら、ですから、ドクターもおそらくはコロナ後遺症であろう又は後遺症かと思いますがという表現をされ、伴う処方薬でしたが、1ヶ月間、その数種類の薬に私は助けられてまいりました。

そしてこれからは通院予約日の間隔も短くなり、診断名(私の場合はコロナ後遺症かも知れない時点)を想定しながらも、治療の経過により正しい診断名が確定していくこと、となります。

様々な薬にはもちろん副作用が有りますが、私はとにかくとにかく…眠い!です。

現実、日中眠ってしまい、日本時間ですと深夜、今は目が覚めて私的記録しています。

スマホやタブレットの通知音を最大音量にしていますが、全然気がつけません。

以前から音量などには敏感に反応していたと自分では思ってましたが、数種類の薬を毎日のむと、単純に本当に眠いです。

知らぬ間に眠ってしまい、ふと目が覚めたら夕暮れ〜夜にかけて「わー、大切な、ライブの配信が始まっているー!!」と焦りながら慌て配信URLを開き遅ればせながら、「こんばんはー!」などとコメント欄に入力しておりますが、それは私が起きた時刻なので、"こんばんはー!"も何もないのですが、夕暮れ時に目が覚め「え、今は、朝?!何曜日?!」と何度も焦る最近です。

曜日すらわからなくなるのは、なぜならまずテレビをほぼ観ないのです。今年、初めてしっかりみたテレビ番組は、東京オリンピック開会式、です。そして東京オリンピック開会式以降、テレビをほぼしっかりとみていません、、絶対ウソ!っぽいかと思われるかも知れませんが、事実です。

このままいきますと、2021年に私がみたTVプログラムは、東京オリンピック開会式、となる予定です、、

しかもその唯一の視聴は、何故か予備的にあるもう1台の何インチかわかりませんが(忘れてます)小さなテレビでみました。

メイン的役割を果たすはずの50インチ?55?忘れましたが、割と大きめといえるかもしれませんが、部屋にあります。

ネットも色々繋げるので、この画面でライブの配信を観たいな!と思いながらも、スマホやタブレットでみています。

そしてポータブルDVDプレイヤーでDVDをみたり、これも大型TVのディスクでみればよいのにそれはせず、また、「ラジカセ」でCDをきいています。

私の「ラジカセ」、MDもカセットテープも再生やダビングできるビクター社製です。

MDが斬新な登場時から新しいモデルに買いかえながら大切なラジカセですが最近調べても、もうマイナーチェンジモデルも見つけられません。

あといわゆる「CDラジカセ」のスピーカーも小さな小さなタイプを今だに数機大切にしています。

突然ですが、スピーカーといえば、『長岡鉄男』さん、につきまして少しだけお願い致します。

『長岡鉄男』さんに突然目覚めた私の父親が熱心に探究させていただき、長岡鉄男さんの音に基くべく、木材の選定から開始し、私の父親はいきなり特大サイズのスピーカーを自分用の趣味で製作していました。

当時も距離的には離れて暮らしている私の父親に、もう少し小さいサイズからつくってみるのはどうか、、などとは、もう私の父親の耳には入りません。

「長岡鉄男」さんの音に心酔する私の父親を、当時、昔から長岡鉄男さんのスピーカーをスタジオ用ではなく自分の趣味として自主制作していた音楽スタジオ経営者(私が大変お世話になっていた方でもあります)のもとへ、私と私の両親、で、「長岡鉄男」さんについて数時間以上、質問や語り合い・製作について、スタジオ兼ご自宅に伺う夜もありました。

今思えば私の父親は、それにしてもスピーカーを、何かすんごいものをつくっていました。

もともとハマるとハマりまくる私の父母・私の弟、&父方母方の親戚たちも、の気質は、いいなーと今は思います。

私はといえば今は、診断的治療にのぞみをかけます。
せめて11月からは動きたいです。
自由に行きたい場所へ行き、体力を取り戻したいです。

次回にまた内容は続きますが、お読み下さりありがとうございます。

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