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「東京ドドンパ娘」渡辺マリ、「トニー谷」。

「東京ドドンパ娘」渡辺マリ

 
シングルレコード・1961年 発売
レーベル・ビクターレコード
作詞: 宮川哲夫
作曲: 鈴木庸一
編曲: 寺岡真三
A面「東京ドドンパ娘」

YouTube公開日: 2019/07/30

B面「恋愛0米(ゼロメーター)」
作詞: 宮川哲夫
作曲: 鈴木庸一
編曲: 小沢直与

ドドンパは1960年代に日本で流行した特有のリズム・パターン。

ドドンパの起源については諸説あるが、米国領時代のフィリピンで流行したマンボが源流であるとの説が有力である。

フィリピンから大陸に渡ったフィリピン・マンボは、四拍子の2拍目にアクセントがある特徴があった。

1960年、フィリピン・マンボの存在を知った「アイ・ジョージ」がジャズ・セッションなどでアレンジを加えていき、4拍目に「ド・ド」(中抜き三連符)、1拍目に「ン」、2拍目に「パ」、というリズムの特徴がそのまま「ドドンパ」になった。

・輪島裕介「踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽」NHK出版新書、2015年2月10日


渡辺マリさんの「東京ドドンパ娘」を初めて聴いたのは、その年代近辺の珠玉の楽曲が詰まったコンピレーションアルバムを、同じバンドのトランペット担当の人がダビングしてくれたMDでした。

そのバンドは、私がアルトサックスを一番最初に習い始めた個人レッスンの先生(ミュージシャン)の所属するビッグ・バンドのメンバー数十名で、毎年恒例のバーベキューをするからおいでと、先生が誘って下さり、当時20代前半の私は参加し、そのビッグバンドのトランペットの方に誘っていただいたバンドでした。

バーベキュー当日。

強者・猛者揃いのバーベキューでした。
The ミュージシャンな方々(当時の私の、勝手なイメージというか…)の集いでした。
40代前後~60代前後位でしょうか、年齢などはどこかに置いてこられた雰囲気、ほぼ全員が男性です。

往年のJazz・メンといった雰囲気、ステレオタイプで申し訳無いですが、皆さま、ミュージシャンであられる以外の姿が浮かばないのです。

何というか、ミュージシャンがにじみ出ています。

大きな河川に沿う広い面積の、あちらこちらに数人毎、アルコールを酌み交わす数人毎が点在し、初めましての私にも、こっちに来いアイツはキケンだ、いやお前の方が危険だと、何かもう凄い濃度です。

どこに座らせていただこうと、皆さま、キケンな?!魅力に溢れています。

私の先生がサックスとフルートで毎週Jazzのライブを行うレストランのシェフが、一ヶ所で何か凝ったお料理をずーっと作っておられ、バーベキューというより出張レストランのようです。

他の一ヶ所では、数人の方が楽器を演奏しセッションしています。

演奏しては元の場所や他の所に戻りアルコール摂取し、また演奏…を皆さま、好きな加減で好きなタイミングで行い、午前中から日が暮れるまで続きました。

当時、私の先生は60代に差し掛かる位の年代だったかと記憶します。
日本での米軍基地内で、ディナーやダンスタイムの時にも演奏されてきたと伺った事があります。

先生のサックス、アルト・テナー・ソプラノ、フルート、その音色すべてがツヤッツヤです。
艶やかでなめらかで、レコードかCDの演奏をそのまま聴いているかのような、オールマイティーであり、往年の音、です。

ビッグバンドでソロを吹く際、座って演奏している姿勢から、その場で立ち上がるシーンありますよね。
正にあのシーンで立ち、ソロを吹き鳴らしてまた着席し、何事もなかったかのように再び譜面に戻るあの場面、観ているこちらにも醍醐味ですが、その場面に先生は絵になります。

先生(男性)は肩にかかる位の長さの髪をいつも後ろで一つに結び、レイバンの形のような少し色付のグラスを掛け、髭を整えています。

ワインを空けながら先生がアルトを吹き、焼酎やウィスキーも止まること無く、アルコール量とセッションのノリが比例していく数時間、陸の竜宮城みたいでした。

私はビッグバンドの他のメンバーの方々と、乾杯しながらひたすらお話しさせて頂きました。

先生以外は初めてお会いする方々ですが、やはり皆さま、良い感じにヤンチャというか、お互いに危険?!だと名指ししていらした通り、良い感じにキケン?!というか、言い表しにくいです。

ビッグバンドに所属しながら個々の活動もされているということで、丁度、楽しく会話をしたトランペットの男性が、ご自身の「趣味」の、主にポピュラーミュージック・スタンダードジャズのバンドに誘って下さり、そのバーベキュー翌週から数年間、そのバンド自体が無くなるまで私は毎週一回平日の夜、バンドの練習に通いました。

時々、結婚披露宴や何かの催しに呼ばれ、バンドで出させて頂きました。

ドラム、ベース、ピアノ、トランペット、トロンボーン、アルトサックス、という編成です。



「渡辺マリ」さん、最高です(突然)。



渡辺マリ 「オール・オブ・ミー」1962 / All Of Me

YouTube公開日: 2018/02/08


アルトサックスを習い初めて1年未満でポピュラーミュージック、ジャズ・スタンダードを主に演奏する数人編成のバンドに入れていただけるなど驚きましたが、先生もおすすめして下さり、次の回から参加しました。

1stアルトサックスの女性が既におられ、私は2ndパートですが、これは責任重大だと実感するのは実際の練習初回時、数分も要しません。

自分がいかに何にも吹けないのかわかり過ぎたので、バンドの練習は大体19時30分位から開始ですが、私はアルトサックス持参で勤務先に出社し、退勤と共に速攻で練習会場へ行き部屋の鍵を借り、17時30分~18時から一人で音を出して練習していました。

勿論、全く、足りません。

自宅では音を出せないので、譜面と共に楽器を構え指の練習をしますが、練習時間も練習内容も「これじゃダメだ…」と思うばかりです。

どこか吹く場所を増やさねば、と、先生の所とは関係の無い全国展開大手音楽教室の「サキソフォン個人レッスン」にまで余分に週一通い始め、するとそこの先生が生徒だけのサックス数人での何重奏でしょうか、グループ演奏みたいな会にお誘いくださり、私も「音を出して吹きたい」ので参加させていただくのです。

吹奏楽部でクラリネットを担当していたからかはわかりませんが、アルトサックス体験時間の割には何となくそれなりになっていたのかもわかりませんが、そのグループ演奏では1stアルトサックスにご使命いただき、また責任重大になります。

そして、サックス持参で出勤し、ロッカールームの自分のロッカーにサックスは収納していたとはいえ、何か持って来ているのは、出退勤時に他の社員の方々の目に触れます。

他の部の男性が、趣味でフルートとマンドリンを長期間続けていると話しかけてくれ、楽器や音楽の会話に花が咲き、フルート数本持っているというその方が、無期限で一本持っててくれていいからフルートもやってみればとお誘いくださり、それも何度も何度も言ってくださるので、ありがたくフルートをお借りしました。

そして今度はカルチャースクールみたいな所でのフルートのグループレッスンにも週一通い始め、するとただの初心者なのにまた何となく初心者の割には極々わずかに何となくですが、何かを吹けているかのように勘違いされるのかわかりませんが、グループレッスン内でまた何となく責任みたいなものを負ってくるのでした。


「渡辺マリ」さんについて入力するつもりでした!


何故か袋小路に至る私ですが、「渡辺マリ」さんの歌声を知るまでの説明と道のりが長過ぎて申し訳ありません。

バンドのひとがMDダビングしてくれた、の一文で済むのですが、フルートの事まで触れ始めたので、今回はポピュラーミュージック・ジャズスタンダードのバンドの内容は一旦保留しておきます。

一旦終わって続く投稿ばかりですが、どこから何を入力しても完結完了しない理由はおぼろげながらわかりますが、「渡辺マリ」さんのお次に、「トニー谷」さんです。


「トニー谷」さん。



「そろばんマンボ」トニー谷

昭和45年4月4日放送
「勢揃い大爆笑エノケンを偲ぶ」より
YouTube公開日: 2016/06/03



「レディス&ジェントルマン&おとっさん、おっかさん」トニー谷

トニー・谷 レディス&ジェントルマン&おとっさん、おっかさん
YouTube公開日: 2014/06/19


「トニー谷」さんのベストアルバム的なCD、何度も何度も繰り返し聴いていたCDが見当たらず、ネット検索しても出てこないのですが、そういう位置付けのCDは存在するようなので少し安心しました。

トニー谷さんの作品は褪せないどころか、その世界を新しく感じていくのかも知れません。

歴史的なもの、当時の日本、時代の空気を肌で感じていない世代の私であり、それらの事柄は決して忘れ得ぬ礎だと思います。しかし私が骨身で受け止めていない事柄について何かを感じることも、おこがましいのかと慎重になります。

トニー谷さんの作品、その「芸」の素晴らしさ、楽しさ、そういうものだけに注視して欲しいのかどうなのかは、トニー谷さん御本人だけの大切な事なのか…いや、それもやめておきます。


ありがとうございます。さやか




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