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おはようございます。

シラスおにぎり、ひとつ、いただきました。
10月10日の1食目のはずでしたが、今日10月11日の1食目にカウントします(もー、そんなのどーでもいいですね、すみません…)。

先日、"私の祖父は作家でしたvol.1"と投稿し、vol.どこまで続くのか、そしてそれは有益な情報発信的では無いと自ら省みながら、1970年代に生まれた私の極めて個人的背景の向こう側から、何らかの時代の景色が薫るならば、何らかの記録として有り難いばかりですが、又は、何にも漂わぬ内容でしたら、私の能力不足が如実な鍛錬と学びであります。

言葉は文化であり、言語は生活手段であり、その発し方や表現方法、文面における正誤や、アクセントの持ち場により否定にも肯定にもなり得てしまいます。

私は音楽が好きで映画が好きで本が好きです。

1970年代に生まれた私が、物心ついた頃からずっとずっと今も尚そうなのですから、これはもう、私の好きなこと、と言っても良いのかなと今は思えます。

私は私の好きなことを中々発言する勇気もなく、何となくやり過ごしてきた感があります。

理由は私自身の自信の無さ、時に何かと比べてしまうと、私など何も知らない無知だとか共有も共感も得られず、そこから派生して人間関係も私には構築できて来た自信も構築していく未来も無いであろうと、そういう私です。

だからこそnoteにて、貫くプロフェッショナルの方々の投稿にはもちろんお手上げですし感服しか無く、では私は、ゼロ無知から生き直そうと気がつきました。

まずは、「音楽が好き」につきまして。

幼き頃に、自宅に何故かあったオルガン(ハモンドじゃないです(足踏み式です))を、譜面も無いのに物心ついた頃には両手両指で勝手に弾いていました。

足踏みコントロールも自然に踏みながら、現存しないオリジナル曲?!を、よく弾いていました。

楽しくてたまらず、気持ちの良い指の組み合わせの位置、などに気がつきながら。

そして親がすぐにピアノを買ってくれまして、ピアノ教室に通い始めた途端、オルガンもピアノも大の苦手になりました。

練習も一切せずに数年間通いましたが、練習を1分一秒足りともせずにレッスンに行き、毎回毎曲、少し間違えました。

練習せずにレッスンに行き、当時の地域では随一のラグジュアリー個人教室のラグジュアリー・ティーチャー(…?!)に、めちゃめちゃ叱られ、間違えると指を叩かれました。

まず、手指の構えは、生タマゴをまあるくつかんだようにしなさい、そしてその生タマゴを割らないような力加減をキープしなさい、との指導から始まり、幼心に私は「はー?生タマゴ?今、持ってないし!ピアノと生タマゴ?かんけーあるの?」と、三つ子の魂百まで元来の反骨精神が爆発しました、、。

そこから毎週毎回毎曲、一切練習せずに行く個人レッスン、つまり、幼き私には毎回毎曲がいわゆるガチの「初見」でした。

それまで自宅でオルガンを譜面も無く(よめず)楽しく弾いていただけの私がいきなり毎回毎曲、ガチの初見でピアノを弾き叱られながらも、数年間続けていました。

むしろ私は私を認めましょう、少し位は。

毎曲初見で少し間違えながらも、途中で諦めず、ここの表現が楽譜と違う、ここはもっとクレッシェンドにとか何とか言われながら弾き続け、毎回の発表会にも、おめかしして、なぜか出ていました。

おめかしと言っても、発表会の衣装については、今さら親に感謝します。

私の母親は当時の発表会では主流だったはずの「ドレス」的なものは、私には選びませんでした。

幼い私に、ベルベットのシックなワンピースとボレロのセットや、織地の凹凸に光の加減で立体感が綺麗に立つツイード生地のツーピースなど、色目も黒かグレーが多く、又はスモーキーピンクやボルドー系などでした。

当時の私としては、他の出場者の皆みたいな、女の子らしく見えるロングヘアにリボンの髪型やひらひらと揺れる裾のドレス的なワンピースなどが、うらやましくてたまりませんでした。

私はなぜか母親の好みに従い、高校入学前まではずっとショートヘアでした。

ピアノ個人教室、ガチの初見で毎回レッスン、無練習の私が悪いですよと今なら捻くれながらも言えますが、ピアノの先生に今なら申し上げたいのは、間違えた指をいちいち強く叩かないで下さい、と。

あれは、ひどかったです。

痛かったです。

そして私は、それを自分の親にも話せなかったですし、多分今さら話していません。

時代が時代なら体罰的になり得る案件ですが、仕方の無い事象だったのだと悔しさは今さら溢れども、仕方が無いことでした。

でも今、何か悔しくなってしまうのは現実です。

音楽について、映画について、本について、ゼロ無知地点からの生き直し生き始める1970年代生まれの発信です。

映画について本について、音楽について、時系列は前後しながらも、膨大な記憶が断片的になりながら消失していく摂理に、時の当然がありますが、今さら今から始めたいというゼロ無知地点と体験値引き出しというより、体験のウォークインクローゼット、倉庫並みのウォークインクローゼットに浮遊し増殖し続けるわたくし自身の背景現在記録として、綴らせていただけましたら有り難いばかりです。

おはようございます!!さやか

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