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あの頃、みなとみらいの景色で。

坐骨一帯〜脚の痛み、改善してきました!嬉しいです!ありがとうございます!
ニ週間以上ぶりの投稿となり、その間はスマホを開く事すら中々ままならず、大変失礼しました。これからしばらくは、日にちをさかのぼりながら拝読に伺います!

クリエイターの街、オリジナリティ独創性溢れるnoteの世界での今日の私の内容は、以下もはや呆然とし続けておりました今月の超・私的内容です。
二週間以上前の投稿にて整形外科レントゲン大丈夫でしたー!と、しかし、しつこくてすみません…、激→激激→激激激…痛へと更新し、もうコロナ後遺症倦怠感味覚諸々を軽々と超えていきました。
整形外科医院での診断は、「坐骨神経痛」に似ているけれどそうとも言い切れないというもので、やはりわかりません。

座っても立っても横にも斜めにも、もうたまらないので、ゆるゆるとストレッチ的な行動で痛みのさじ加減をします。
ふと気がつくと息苦しい程の痛みのあまり疲れ果て眠ってしまい、活動時間帯はフリースタイルな日々、痛み止めが急に効きラクになる時間帯もあり、徒歩圏内のスーパーで買ってあったもので何かを作りました。

"ひき肉"率が高く、一番大きなパックの半分をチリビーンズ、半分はドライカレー用に作り、しのぎました。
タコス万歳、トルティーヤ天才、サルサ・フェタチーズ・ワカモレ・オリーブ、野菜とアボカドと豆類と玉子と細切りチーズやソーセージ、ポテト、カレー(ひき肉専門)などで、ほぼ生きていました。
チリビーンズは時々タコライスにもなります。

チリパウダー、ありがとうございます!
私はいつもこちらのチリパウダーをAmazonさんで買います。

ユウキ MC チリパウダー 550g

※画像…分かりやすいようにスクリーンショットを貼らせて頂きました


550g プラペット ですから、一見、多いかと感じられるかも知れませんが、その用途や頻度にもよりますが、私には小瓶タイプはすぐ使用してしまうので、こちらのボトルタイプはとてもお得です!


先週末…、
実はショック過ぎて今だに呆然とし続けている事が私にはあり、その原因というか理由は私にあります。

それは、一年間にわたりものすごく楽しみにしていたところ・場所へ、私は今年は「行かない(行けない)」という決断をしました。
万万々が一、何とか電車に乗りたどり着けても、滞在できる時間数や席に座っていられるのか坐骨〜脚の痛みにも全く自信が無く、道中行き倒れになる可能性しか想像出来ず、しかし会場でどなたにもご迷惑などは掛けられません。

断念しつつギリギリまで諦め切れない私は、その日どのように過ごせばよいのか想像するだけでショック過ぎ、実は当日午前中から大泣きしてしまい、最近やたら泣いてばかりです。もし背中や肩を指先でツンとされるだけでも泣くのでは?!と、もう涙の発症起源すら判然とせず、実は今も尚、呆然と漠然とした時を過ごしているというより、時の観念すら掴めていません。

その日は朝から、去来する様々な想いや思い出、当日への様々な私からの勝手な心配や思い入れ、悔しさや多大なる心配ごとから、声に出して泣いてしまいました。

不思議なのが「えーん、行きたかったよー、えーん、心配だよぉー、えーん(泣)」とマンガの吹き出しかと紛うセリフそのまま、口から出ました。

せめて身を清めておくべき(…?(自己満足です))だと儀式のように午前中入浴し、水分(飲料)をテーブルに置き、タブレットスタンドとスマホスタンドに各々を鎮座させ、また他の端末も片手に持ちタッチペンと眼鏡を並べ、
よし!心を鎮めよう!これは私の決断であるから後は私が倒れるまで楽しみ尽くし堪能し尽くし、一縷の悔いも無きよう何があろうとさいごまで見届けるしかない、
画面越しに…と、
この「画面越しに」で再び泣き始め、心鎮まる真逆へと、もう居ても立っても居られない…。

何の話かと申し上げますと、配信にてライブ(フェスティバル)を数時間視聴する、という出来事を控えた朝からの私です。
とうにチケットは買ってありましたし(チケットは大切な記念にします!)、痛みのあまり出来ていなかった衣替えも先週末までに何とか少しは、と頑張った日もありましたが、が、中途半端なまま痛みで泣き、痛くて泣くなんて中々ないなぁという感想だけは冷静でした。

刻々と迫る午後からの開演時刻、いや、行けないのに会場オープン時刻が迫るだけで、私の想いはピークを超えていきます。

私が、来年も生きているのか、来月も生きているのか、生命と身体や脳には何の決まりも無いわけです。

次回、私が行ける私の生命の確約など、どこにも無いのです。
毎日失い毎日産まれ毎日変化する細胞や分子原子、どこまでどうコントロール可能不可能か、わかりません。

本当に本当に行きたかった、、、すみません、今も書きながらめちゃくちゃ涙があふれます。
それ程に、行きたかった…、という内容を入力する事すら辛くて出来ず、自分の体調不改善のため多分行けないのだろうなぁ…と諦めかけながらのこの二週間以上、何ひとつ一言も、文字にも文章にも出来ませんでした。


身体は動かせないのに感情は動き過ぎ疲労こんぱい続く中、ある時、twitterで、とある写真を拝見しました。

それは、とある病院内のレストランでの「カレーライス」のお写真でした。
ひと目で、あれ?…ここは、
え?…、まさか。

そして何も一切の霊感的?なものは無いはずの私ですが、私が以前、その病院、そしてそのレストランへ通い詰めていた数ヶ月間、その後も数年間に渡りどれほど多くそのレストラン又はそのレストランのあるフロアに滞在していたか…
あの当時のすべてが立体的に浮かび上がりました。

申しておりますレストラン自体がお写真と違いましたら大変申し訳無く、そのカレーだけでそうだと私が勝手に判断してしまうおくそくでしたら失礼極まりなく、はかりきれませんことをお許しいただけましたら幸いです。すみません。

私にとりまして想い深きレストランにつき、twitterで拝見しましたその美しいカレーの写真からインスピレーションを得させて頂きました、あくまでも”私が通いました病院”としてのエピソードとして入力致します。

当時、私をご担当下さっていたドクターは数年後、ドクター御自身がクリニックを開業されそちらにお世話にならせて頂く運びとなり、私は先ほどからの”レストラン”やそのフロアへと伺っていないここ数年間です。

この様な時世、あのフロアにあるコンビニエンスストアの前の空間に並んでいた多くのテーブルセット、そこでコンビニで購入した物を飲食したりは、現在どの様になっているのかはわかりません。

当時、そのコンビニ内にも多忙な最中をぬいながらドクターや看護師の方々がサッと買い物を済まされ、私を担当下さっていたドクターも時にはワイルドなヒゲのお姿、「いやー、何日も帰れなかったんですよー」と笑いながら仰る内容からは、一寸一瞬たりとも離れることができない事柄があったのだとは、私にすら想像できます。

なぜならドクターは集中治療室の先生だったからです。
外来ご担当日もありましたが、主に予約制でした。
先月から、手術痕から坐骨にかけて…、と連日入力していました(※手術痕の私の痛みと手術自体や病院・ドクターとは一切の関連は御座いません)私の緊急手術退院翌日から数カ月間、毎日そちらの病院に午後イチから夕方ギリギリまで通う理由があり、私は午前中から最寄り駅近くのバスターミナル、私の居住する市の、隣の市に存在するその病院行きコースのバスに乗り、病院にて下車し、まずはコンビニエンスストアやレストラン、ショップ、テーブルセットなどや座る場所がある、そのフロアへ行きました。

自分の入院中は入院食以外禁止でしたが、退院後の通院時はそのレストランで早めの時間帯にお昼をいただきました。
又は早めの夕食になるよう、寄らせていただきました。
時々は同フロアのコンビニエンスストアで買ったものを、フロアにあるイスに座り、そこで早めの昼食をとりました。
その場は現在はわかりませんが、飲食が自由に出来、院内ではありますが賑わったような雰囲気がありました。

しかし時には、ふさぎ込まれているように座り、涙を一生懸命拭うご様子もお見かけしました。

あのフロアに行き交う皆さまお一人おひとりには、紹介制や予約制も多いその病院に通われる背景があります。私含め、それらがすれ違いながらも雰囲気に交わっていきます。

私は数ヶ月前投稿しました記事に「心頭滅却すれば火もまた涼し」について書きました。
正にあの数カ月間の一瞬一瞬、私はそれを念ずるのみ。ドクターや看護師さん、担当して下さっていた心理士の先生、そしてコンビニエンスストアのレジの方々、レストランでの注文や会計時の方々、又は、院内で働いていらっしゃる方々と、何かそういうご方針なのかわかりませんが、院内でお忙しい中でもすれ違う度に挨拶や会釈などをして下さり、私はその数カ月間、ほぼ、その病院内でしかどなたとも会話をしていませんでした。

“自宅”内へは眠りに行くのみ、元々その”自宅”での夕食は常に私一人なので、病院内のレストランで早い時間帯にいただいてきたり、バスに乗り最寄り駅に着き食品フロアで自分の分だけを買って帰ったり、自分ひとりの部屋で夜を過ごし、朝も誰とも会わず身支度をし、バスターミナルへと「心頭滅却…」と心に脳に刻みながら歩いて行きます。

バスに揺られながら、今日はどうなるのだろう…と考えたくなく、バスの車窓からその大きな病院が見えてくると、なぜかホッと安心します。

私はその病院内のレストランの席は、現在の内装はわかりませんが、道路側に面した窓辺のカウンター席が好きでした。
その日により注文しますメニューは色々でした。

窓辺から景色を眺めていたつもりですが、眺めていたのは内なる自分、己との闘いでした。

あの頃、私は私の親から電話が掛かってきてもほぼ話さず、私の親は心配しながら1時間弱の新幹線に乗り、病院にいる私へと何度か会いに来てくれましたが、私はほぼ会話しません。
心配だから泊まっていくわと、作り笑顔で精一杯の親に対し、大丈夫だからと帰してしまっていた、何という非情な娘です私は。

こちらの病院に私はこの先の人生、一生、毎日通うことになるかもしれない、もう覚悟はしているつもりだ、もう、自宅マンション(当時)を売却して(事実、本当に売却しました…(大概のご反応は、えーっ!と驚かれたりなので滅多には話しません←しかしnoteには書く私…(←もう支障は無いという判断です)))←カッコ()が長すぎます…

病院の近くに私は一人で部屋を借り一人で一生こちらの病院へ通わせて頂こう…と決めていた日々でした…

あ、何か、思い出しました。

私をご担当の心理士の先生が、何故か私の写真をたくさん撮って下さっていたのです。
「毎日お一人で通ってくださる○○さん(←私です)を、せっかくだから記念にお写真撮らせて下さーい」と明るくお優しく、当時私はスマホではなくガラケーで、心理士の先生が○○さん、携帯電話おかりしますよー、ハイッ(パシャ)っと、色々なシーンで撮って下さり、時々、病院からの帰りにヨドバシカメラ店舗内のプリンターで写真をプリントアウトしました。

今ならわかります。
そこには、”お二人”で来られている方々がほとんどでした。
私は私の緊急搬送手術時からも、ずっとずっとずっと一人でした。私の退院翌日から開始した数カ月間の毎日通院も、一般的に多い休日であろう土日祝日含め、私は一人でした。
ですから集中治療室に滞在する私をカメラにおさめる者は常におりません。

心理士の先生のお気づかいからか、記念にたくさん私の様子を写真に撮って下さり、時には看護師の方も撮って下さいました。

あの病院では、優しく素敵な方々ばかりに出会い、大変お世話になりました。
結果やそういう内容は、それらのこととは関係は無く、24時間ご尽力くださるお姿に、私は委ねさせていただくばかりでした。
感謝の気持ちばかりが浮かびます。

あの院内での撮っていただいた沢山の写真は事実、本当の「記念」になりました。
ありがとうございました。
はからずも、院内での全ての写真の私は「マスク」をしています(そこはマスク必須病室でした)。
はからずも、この現代の世相の様です。

エピソードは溢れかえるばかりですが、特に私をご担当された看護師さん(女性)のかたが、さいごの頃に、私に言って下さった言葉の内容が忘れられません。

“○○さん(←私です)が、一日も欠かさず頑張って一分一秒でも長く居ようとしている事、わかっています、
実は、怖くなってしまったり落ち込んでしまったりして一切、病院に来られなくなってしまうかたも多いですよ、
私も女性です、
私が将来、○○さんと同じようなことを経験するかもしれません、
もし同じ経験をしなくても、
私は○○さんのような女性になりたいと思っています…”

など…と、涙をこぼしながら(プロフェッショナルですし抑えながらも堪えながらも、流されていました…)、私に言って下さり、
私は驚きや何か申し訳無さが先立ちびっくりしましたが、感激し、こちらこそ本当にありがとうございますという心からのお礼の気持ちはお伝えしました。
何もかも、お世話になりました。
ありがとうございました。

何もかも、もうどうにもならない事は、どうにもならない時もあるのでしょう。

私は先ずは覚悟を念頭に、衝撃、諦め、受容、という階段を内に造形し、一段一段のぼっては立ち止まり再び戻ったり、がんばるぞー!と張り切りながら、もう今日は無理だぞー!と時に耐え切れなくなり、すみません今日は早めに帰ります今夜もよろしくお願いいたしますと、そういう時の行き先は必ず横浜、桜木町駅へ、病院を出て向かいます。

みなとみらい、ランドマークタワーへのエスカレーターに乗り、”動く歩道”には乗らず、両脇の部分を歩いて行きます。
何度も立ち止まり、景色を眺めます。
季節は秋から冬へと移ろう様、みなとみらいの風景の中、夕暮れに冷えゆく風を感じ、生命を考えます。
この横浜の美しい景色を、見せてあげられぬまま、消え逝く生命のともしびなど、そのようなこと、まさかあるのだろうかと、風景にきらめく灯りが、儚くも感じます。

そして生命についていくら考えても考えてもコントロール出来る力は私には無いと思い知り、現世での物欲に走りました…

今思えば、はー?!と、呆れます自分でも。

特に大好きなショップがあります。


Madu (マディ)



Madu (マディ)  さんです!

素敵です。Maduさんの店舗は他にも各地に展開されていますが、私はみなとみらい東急スクエアのショップにいつも伺いました。
公式オンラインショップも御座います。

Madu (マディ) - Maduさんの公式オンラインショップです


10代の頃からお気に入りの「器」を少しずつ集めている私ですが、Maduさんのセレクション、大好きです。
コーディネートのセンスも素敵、そのテイストが大好きです。
「お箸置き」もMaduさんで購入したものが一番多く、渋さと可愛さのバランス、作家さんの限定的な陶器なども時には購入し、大切にしています。


そして実店舗には伺ったことは無いのですが、こちらのお店、とても素敵です。私はオンラインショップで少しずつですが購入しました。

『うつわ大福』 - 東京 南青山
うつわ大福さんのオンラインショップです

「うつわ大福」さんでは、『九谷青窯』のうつわも以前から、とても豊富に扱われています。


「九谷青窯」のうつわに一点一点描かれた文様、かわいい!という表現、ついしてしまいます。
九谷焼の華やかな絢爛の伝統文化という礎があり、そして現代の『九谷青窯』さんのうつわの醸すセンス、味わい、手ざわり、とても”愛おしい”という可愛さです。

手描きの絵柄が描かれているシリーズも何種類か持っていますが、無地のシリーズも好きで、持っています。形もとっても素敵でかわいいのです。

しかし、せっかく大切な大好きなうつわや箸置き、ここ数年間以上、使用出来ていません。していません。
食器棚に飾ってあるのみで、私は「生活」というものが何なのか、10年以上も前から、よくわからなくなっています。

その、わからなさ加減は変化しないどころか時を経ていく毎に、刻々とわからなくなっていきます。
以前から書いていますが、私には根本的に何かが欠落している気がします。

例えば「自宅」への概念、
私は住民票に、その現在の私の名が載っている現住所が多分私の自宅なのだろうと認識は多少(多少…って?!…)ありますが、”実感”が無いのです。
私は本当に、この住居に住んでいるのだろうか…。
住み続ける気持ちは実は最初から持てずにいます。

私は私の「拠点」を持ちたいです。
そこに有形無形のどちらかを問われたら、両方、という考えを持ち続ける自分は単なる欲ばり・強欲、なのか。

私は私の「拠点」に、私の好きなお気に入りの家具、お気に入りのもの、お気に入りのファブリック類、好きな植物、好きな本、大切なうつわ、好きな衣類、そして大好きな音楽を何よりも主軸と出来る大切な場所・スペース、そういう有形の拠点を、私が私で所有し、そこを私は初めて「家」「自宅」だと実感出来そうな目標を持ちます。

特に10数年前から、自分の居場所を”住民票に記載されている、そこが私の現住所らしい、世間一般的には、どうやら…今は。”、という認識で生きてきました。

そして無形とは、それは滞在してみたい場所、です。
一日でも三日間でも一ヶ月でも、その場所に滞在しているときは、そこが私の居場所、無形の「ホーム」となります。

えー、段々と、このヒト何か訳わかんないこと言い出してるな〜、とお感じになられましたら、むしろここまでお読み下さりありがたい気持ちしかわいてこない程にお礼を申し上げたいです。
万万々が一、「それ、何か、わかるー」などと思われた方がいらっしゃるならば、やはり、ありがたいです。

生活=日常又は非日常、それも中々わかりません。
スペクトラム上のどこかからどこかへ、常に移動しているイメージ、私は私でしかなく、日常は非日常と、どこか何か違いがあるのか判別しかね、私はどうしても私なのです。

何か名称が付くならば、私の役割というか現担当というか、私の居る持ち場は変化してきましたしこれからも私の持ち場は変化変容していき、しかし私は私をやめません。

私は、生命の源であり命が刻々とかわりゆく現実そのものの根幹を成し遂げ続けられている、先ほどから申し上げておりますあの「病院」、私の目の前で刻々と変容する一進一退に、その闘いと生命と、ドクターをはじめ看護師の皆さま、病院に従事される皆さまへの敬意と、私は私の覚悟、その数カ月間の中でも、時には桜木町駅へ行き、かわいく美しいうつわやディスプレイに心奪われ、帰りの電車の車窓からちょうど見える「病院」、その病院を見つめながら祈りながら、あの頃のあの数カ月間で尚一層、私は私でしか生きていけないからマンションを売ろうという行動に移すわけです。

突飛かも知れませんが、私にはそういう生き方しか出来なく、私は私の「拠点」を有形無形両を所有するこれからのいつまでかの人生にこの先、光彩を信じます。
そしてそれはスペクトラム上に存在し、変わりながらも私は私でしか存在できません。

しかし、私が私という人間として、いつまで身体の生命を保てるのかはわかりません。
新型コロナ、新しいSax、会場へ伺うこと叶わなかったライブ、病院と院内のレストランへの想い、遅くなりすぎてからの感謝、何度も何度も何度もの突然の又は覚悟の永遠の別れ、やたら泣く最近、欲ばりかもしれない目標、全部全部、私です。

そして私は私だと強がる私は、本当はほんとうに、とてもとても弱いです。
あの病院の集中治療室、涙を流されるかたのご様子を幾度となく拝見しました。簡単には何も申し上げられません。

私の後悔は、私はあの頃、一滴でも、泣いてもよかったのでは…というものです。
絶対に泣くまいと決めたあの頃の私は、嘘偽りなく、一滴も涙を出しませんでした。

反面、最近は泣き過ぎてます。
やっと今年から、人生の涙の生産排出量の調整開始なのでしょうか。でも今年から開始された様子の、涙の生産排出量調整の内訳は、一位・感動感激、二位以下は悔しさ等ですから、感動感激が多いこれからを過ごしていけるよう信じます。

感動や感激の一番は、やはり、音楽に関してです。
私は昨年のコロナ禍緊急事態宣言時から突然twitterを始め、同時に、配信でライブを観ることも始まりました。

あの時、私はtwitterを始めていなかったら現在の私は何をしているのかと想像内は、素直も優しさも正直も斜めから構えたまま、泣いてはいけない泣くものかと意地を張り続け、闘い方や頑張り方に無理やり挑み続け、気づかぬまま突っ走り続け、よろこびや楽しさや切なさなどという感情は私の人生に登場しないだろうと頑なに辞退し、心の壁を厚く強固にしながらしか生きていけなく、しかし唯一諦め切れないのは音楽への気持ちで、CDを取り寄せては未開封のまま、積み上げていったでありましょう。
現にこの10数年間に買っては未開封に積み上げていたままだったCDを、私は昨年末位から、段々と開封する事が出来ました。

先週末、会場に行けぬ呆然とした涙の後は、配信の画面越しにコメントは元気に入れていたつもりですが、やはり感動や感激、言葉には言い尽くせぬ想いが涙となり、あふれ続けました。
その翌日の夕方からも配信にてライブを観ながら、いのちを燃やすかのようなステージには、もうたまらなく訳がわからないほどに泣きました。わきあがりました。

これ以上に今は言葉を探せないので、YouTubeから、ニ楽曲を引用させて頂きます。

ここまでお読み下さりありがとうございます。さやか


DREAMS COME TRUE - 眼鏡越しの空 (from DWL 2015 Live Ver.)

YouTube公開日: 2018年10月31日
1992.11.14発売 5thアルバム「The Swinging Star」



作詞:吉田美和
作曲:吉田美和
編曲:中村正人

「大キライだった眼鏡はずせない この何日も
’気を隠す’にも ‘ちゃんと見る’にも 都合がいい
あなたの夢を見た朝 何故か 少し泣けた
さえない私を思ったら 少し泣けた」

「あなたのようになれたらと 憧れる
その想いが ちからをくれる」

「あなたのようになれたらと 憧れる その想いが ちからをくれる」


平井堅 『ノンフィクション』 MUSIC VIDEO (Short Ver.)

YouTube公開日: 2017年5月26日

歌:平井堅
作詞:Ken Hirai
作曲:Ken Hirai

「消えそうな炎 両手で包むように
生きることを諦めきれずにいる」

「僕はあなたに あなたに ただ 会いたいだけ」

「秘密 涙 ひとり雨 目覚めたら襲う不安
僕はあなたに あなたに ただ 会いたいだけ
信じたいウソ 効かないクスリ 帰れないサヨナラ
叫べ 叫べ 叫べ
会いたいだけ」





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