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後遺症かもしれませんが、諦めませんー。

コロナや後遺症やワクチンの話ばかりすみません。
7月30日夜間に発症して以来、新型コロナにすっかり支配されている感に抗いたくも、倦怠感という人生初の概念を知り、中々抜け出せません。

失礼ながら倦怠感のイメージに私は、何となくだるい、やる気が出ない、動きたくない等の、昔ながらの"病は気から"論を連想していました。

9/17からの微熱から始まった後遺症プラス副反応体験からの後遺症続行に、私の気力も体力も、今は凪です。

少し前はウユニ塩湖の上に立っていた私でしたが、今はベタ凪を眺めるでもなく、私の気力体力が凪です。

風力ゼロでしょうか。

倦怠感の意味を知るという、身を持って体感中です。

それでも昨日は思い切り濃いものならどうかと、しめじエリンギまいたけベーコンのクリーム・パスタ(ペンネ)に、いつもより多く生クリームとパルメザンを入れ、ニンニクはスペイン産のものを必ず買いますが、丸々1個全てみじん切りにして入れました。

食べるのは私だけですし味見も無く(今の私には味がわからないので…)、ブラックペッパーを際限なくふり、ほぼ禁止していたアルコールも、昨日は服薬もしていなかったので缶のハイボールを開けました。

結果、酔いました。

ペンネの味は、いつもより数段濃いはずですが、ぼんやりとエリンギを噛みしめた思い出のみです。

ハイボールは、シュワシュワ感が何となくハーフ・シュワシュワ、シュワ1回分、爽快感どころか頭も顔も熱くなり、しばし寝ました。

きのこのクリームソースは冷蔵庫にあるので今宵もいただきます。
本当はおいしいはずなのです。

先月は、予約してあり本当は伺う予定で楽しみにしていた2日間連続、私の体調のせいで予約キャンセルしてしまい、申し訳無い気持ちと残念でたまらなかったです。

次の機会は10月半ば過ぎならばと気力を保ちましたが、この状態では予約申込も諦めるしかなく、気力だけは存分に保っていたはずですから"病は気から"説に一層の不信感を得ます。

11月からこそと"願う"よりも、"行く!"という予定に身体をもっていきたいです。

ジレンマです。
今は予約できる身体状況では無く、しかし限られたチケット枚数のお席がその頃にまだ有るとは到底見込めません。

ソールド必至でありましょうと、ジリジリする気持ちをなだめ過ぎて、今の私は凪にしています。

凪でいなければ、身も心も保てないというのが正直です。

この場合、常の私ならば全然眠れぬ日々突入ですが、今は鎮痛剤やアレルギー薬で結構眠ります。

おかげさまで、今日が木曜日だと先ほど知りまして、大丈夫でしょうか、この私は。

横になりながらも昭和の頃の事柄が何故か浮かぶ日々、あの頃に戻りたくは、無いです。

本当、戻りたくないです。

子ども時代も10代も20代30代も、どこにも戻りたくないです。

「あの頃はよかった…」とか、そういうものが私には欠落してるのか、記憶力や学習力を放棄してるのか。

あの頃のあれは楽しかった又は大変だったという"感想"はあります。

既に幼稚園から色々が苦手で、園長先生にまで心配され続けていた記憶です。

お泊り会などは、私一人だけ園長先生(女性)の部屋で語りながら眠りにつきました。

私は友人をつくる方法がわからず園庭の遊具も苦手、室内で一人お絵描きの方が楽しかったです。

女の子の友人は、一人だけいました。
しかし彼女は小学校以降も全然友人をつくろうとせず高校卒業後カナダへ渡り、帰国時に時々会いましたが、カナダ国内でヘアメイクアップアーティスト資格を取得しカナダの男性と結婚し、日本には帰りません。

高校時代も時々会いましたが、学校内には本当にただの一人も友達はいないし必要ないと有限実行していました。

何らかの似てる点で、私たちは友人だったのでしょう。

幼稚園児の私は余りにも心配され過ぎて荒療治なのか、卒園時学芸会での演劇発表、園長先生からの猛プッシュで「主役」に任命されてしまいました。

あなたなら出来る、幼稚園のさいごにやってみなさい的に説得されました。

お泊り会では特別に私一人だけ園長先生と、子ども(私)ながらに語り合った園児としては義理とご恩、半泣きで練習生活に突入しました。

セリフは勿論、歌って踊って出ずっぱり、主役一人だけのシーンでは歌いながら時にポーズをキメながら、保護者園児たちの客席を練り歩きスマイルを振りまくという、とんでもない展開です。

練習は、本当に本当につらかったという鮮明な思いの記憶が有ります。

そして本番は、ものすごく気持ち良く楽しかったです。

ものすごく堂々と歌いながら踊りながらセリフよどみなく、ポーズをキメながら保護者園児たちの前で歩きながら歌いながらスマイルをし…、最高でした。

役に成り切りながらも、歌いながら演じる楽しさと、やり切っていく気持ち良さ。

私の親すらもポカンとするほど驚いてました。

園長先生はじめ、先生方、あの頃の引っ込み思案な私に(今も自称は引っ込み思案です)、大役をありがとうございました。

こうして書きながら、自分でもあきれてきました。

ここ数回の投稿で、ウユニ塩湖に立ち、南米の果てなき山脈を舞うコンドルを想像し、またある時は二階が住居の一階の小さなお店を切り盛りしながら、好きなひとに会える時を本心では待ち続け、引き戸が開く音と共にそこにはそのひとが…という、BGMは「八代亜紀」さん『舟唄』、「山本譲二」さん『みちのくひとり旅』が脳内で流れ続け(今も流れています)、そして今日の私はベタ凪です、とは…、

これのどこが何が、風力ゼロでしょう。

すさまないよう荒れないよう、無理やり凪状態へと抑えています。

本心は即、駆け出したいです。

今日も、近隣の競馬場で場内競馬開催中、次のコースがスタートする時の音楽やファンファーレなどが鳴り渡り、その度に私もゲートに向かう気になったりと頭の中だけ本当に疲れますが、私は幼い頃にも若い年齢の頃にも戻りたくなく、もし競馬馬ならば骨折などしたくなく、1年後の自分は今の自分よりきっと走っているはずだと、さっき目覚めてこうして続きを書いてます。

眠ってました。

でも私は人間なので、競馬馬の役割と騎手の役割両方を担い、調教師や馬主でもあるのです。

出場する競馬馬も本当は人前で走りたくない気持ちもある馬さんもいるでしょうか。

幼稚園卒園会の発表劇の主役を泣く泣く受けた私、練習のツラさと、出演中と後の楽しさ気持ち良さと駆け抜けた感。

この3ヶ月間は私が私を調整中、足りなかった睡眠時間を今補充し、遅くとも来月からは動くはずと考えます。

20年前、15年前、1年前、を思い出してみます。
楽しみも何も考えない時も何かツラい事も沢山たくさんありましたが、後悔では無く反省だけは多いにし、今がいちばん良く、明日から1年後2年後は今よりもっと嬉しく楽しくあたたかく優しくありたいです。

環境を変えたく、また引っ越したい…と、どんどん現実的な欲望があらわになっていく私は、昔から親からは「諦めの悪い人間」と、弟からは「眠らないひと」とあきれられてきましたが、やはりそうです。

時間は有限なので、こんなに動けないでいると焦るばかりで、かといって何をどうすればと、こうして毎回毎回書き連ねてます。

もうすでに、コロナ後遺症、あまり関係がないような気さえしてきました。

改善したい点と、現実的な欲求ばかりが浮き彫りです。

これもまた1年後には笑っていられる要素として記録させていただきます。

さて、静岡おでんの具でもある「黒はんぺん」、こちらで売っているのを数回見かけ、どれもが厚みのあるタイプでした。

厚みのあるタイプも好きですが、私の好みは静岡県焼津市のとあるお店の薄く小ぶりなタイプで、何度かお取り寄せしました。

関東圏内で生まれ育った友人ばかりですが、以前はお互いに時折集まる自宅飲み会で、私は静岡おでんやモツ煮や牛スジ大根(何か、煮込んでばかり)なども作り、黒はんぺんに驚きながらも気に入ってくれ後から自分でも購入してみたり、"静岡おでん"に挑戦してみたらおいしく出来た、という友人もいて、嬉しかったです。

1年後か2年後か3年後かには、新しい環境下で、また友人たちとタコパ(タコスパーティーか、たこ焼き)や飲み会、やりたいです。

その時の環境は、今とは違うよう、変わっているよう。

その時への道のりとそこから先の人生を、やはり私は諦めの悪い人間です。

読んで下さりありがとうございます。さやか

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