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長渕剛さん、「とんぼ」。

レントゲンで、椎間板や骨は大丈夫でした。
整形外科受診しました。
こちらの整形外科にも度々お世話になっていますが、この数年間で私は足の指と手の指を一本ずつ折っています。
一本って単位で合ってますか?!
手の指は子ども時代にも一本骨折しましたが偶然にも同じ指です。

今回はレントゲンで、ひとまず安心しました。
ありがとうございました。

整形外科から、次は予約してあったかかりつけのクリニックに行き、コロナ後遺症的な症状受診の続きです。

歩いていない日々なので、しばらく歩きました。
JR川崎駅から通ずる「デッキ」を歩いていくと、ミューザ川崎シンフォニーホールのビル入口へとつながり、その入口前のデッキ中広場的な所も、もうクリスマス仕様でした(冒頭の写真です)。

ミューザ川崎の中にもツリーあり、私のこの10月〜11月の千夜一夜物語の如し日々を想い、、ませんでしたー。

ほぼ横になる毎日、薬からの眠気、何か記憶装置が発動しません。

すでに12月を楽しみにしています。

それにしてもコロナ後遺症的な症状での、とてつもない倦怠感は慣れてきましたが本当は慣れたくないですが、今はいちばんに味覚的な違和感が日々、すごいです。
一昨日は「レンコン」だけ、食べました。
スーパーで"れんこん"がひときわ輝いて見えました。
スライスして焼きました。

他にも食べられそうかな…という食材は買ってきたので、昨夜は白菜やキノコ類、お豆腐、豚ひき肉などで、何とかしてみました。

毎日、夜になってから何か食べなければ…と思いながら一生懸命いただきますので、何となく食材に対しても悪いことをしてしまっている気持ちになります。

朝もお昼も食欲無く何も入りません。
フラフラしながら体重計にのり、減らないどころか増えてる現実に、我ながらあきれてます。

何とか突破口から踏み出さねばと、ストレッチ的なことからゆっくり始めています。

あー、一昨日は三重県に行きたかったです。

昨日は名古屋、今日は浜松に、本当にほんとに行きたかったです。

突然の3県ですが、ギリギリまでホテルを検索したり思案だけはしてましたが、断念です。

通院やスーパーの徒歩だけでフラフラしている私が、無理やり品川から新幹線に乗れたとしましても、行く先々でも飲食すらままならない身体状況、気持ちだけは強く維持しているつもりなのは、配信もして下さったので、それを糧に気力を保ちました。

大丈夫、次の機会には伺うことが出来ると、今は"今"なんだと考えます。


ネットのニュースで、「細木数子」さんの訃報を知りました。
占い、占星術というものにあまり詳しく無いのですが、細木数子さんが提唱されていた『六星占術』での、私はどのタイプなのか調べて読んだことがあります。

六星占術によると、私は「火星人 −」(かせいじん マイナス)です。

「火星人 マイナス」について読み、ざっくり過ぎるほどにわたし的な印象でまとめますと、結構な変態、他のどの"星人"のみなさまとも誰とも中々相性が合わない(火星人 + のかたはマイナスのタイプとは、また違う内容です)、絶え間ない欲望………、何だか色々困った人だなー、という感じでした…
そんな火星人マイナスの私ですが(そんな自己紹介…)、

血液型占いみたいなもので、誰かに「何型〜?」と聞かれると少し身構えます。
なぜなら「だと思った」「やっぱり!」と必ず言われ続けてきましたが、自分でもよくわかりません。

以前勤めていた職場に、イギリス・ロンドンで20年間生活し日本に帰国した女性がいらして仲良くなり、毎週2回〜3回は一緒に呑みに行ったり、一人暮らしの私の部屋に泊まり、二日酔いからの迎え酒ランチに行ったりしてましたが、何か私、以前から、呑みに行ってばっかりじゃないですかnoteの投稿内(しかもこの時点ではまだ序章に過ぎない記事数という、、)

…その友人女性から、イギリスでの色々な話を聞きました。
友人いわく、イギリスは「スピリチュアル」といわれるものの本場だそうで、そういう意味では『ハリー・ポッター』というものが生み出される文化や土壌としてはごく自然なことでもあると話していたのが印象的でした。

西洋占星術の12星座占い、はポピュラーかと思いますが、こちらも私にはわからないのです。

そもそも自分の星座が不明です。

私の生まれた月日はちょうど境い目の日であり、水瓶座に入っている分類と魚座に入っている分類の2種類が昔からいつもどこかに存在しており、どちらかわかりません。

そして水瓶座の特徴みたいな内容を読み、そういう感じかもーと思い、魚座の内容も読むとまた、そういう感じかもー、と思います。
ミックスでしょうか、わかりません。

何となく本日の投稿内容から勢いやパワーを、自分で入力しながら自分で感じなく、すみません。

私は再び立ち上がれるのだろうか、再び歩き回る生活に戻れるのだろうか、オーダーしたサックスを受け取りに行けるのだろうか…。

前回、不安と希望についての思いを書きましたが、私の今の不安の量は、希望や目標と同量、表裏です。
やりたいことが出来ない、行きたいところにも行けない、そして、やるべきことすらままならないです。

例えば、新しいティッシュペーパーの箱の入口の点線通りに開ける開封口の紙を点線通りに引っ張りながら開ける力すら全力、
ペットボトルのフタを開ける事もつらい、
掛け布団を自分にかけ直すだけでも元来軽めの毛布やブランケットもとてもとても重いのです。

悔しくて情けなくてたまりません。

見える場所にあるポールハンガーには、まだ、半袖が掛かっています。
衣替えも出来ていません。

通院には、クローゼット奥から適当に出してきたブラウスとジャケットで、本当に適当です。
メイクをしていると目まいが止まりません。
入浴中やシャワーの水流水圧だけで乗り物酔いのように気持ちが悪くなり息苦しさや吐き気すら感じます。

食べ物をいただいていても、噛めば噛むほど、砂を噛み締めているような感覚へ変化していきます。
時には咳が止まりません。
微熱は治まりました。
身体の痛みや倦怠感は常に私を覆い、身動きが取れません。

書き連ねますと、よくわかります。

つまりこの状態は、新型コロナ発症時と、ほぼ同じなのです。

違いは、発熱していない事と、他のかたには感染しないという事実だけです。

私の時間は7月末日から、何も進んでいないと感じます。

せっかく生きていられているのに、新型コロナは治ったはずなのに、サックスを吹きたくてたまらないのに。レッスンに行きたくてたまりません。
ライブにも行きたくてたまりません。

悔しくて悔しくて涙が出ます。
同時に、悔しさがわきあがる気力は維持出来ている自分へ、強さの粒子をふりかけます。

負けたくないです。
自分の気力体力に、脳内分泌に、セロトニンとノルアドレナリンに、負けたくないです。

私の気力体力は私の脳内から指示司令を出し、私が私を動かしたいです。

あと一週間です。
一週間後の私は電車に乗り、とても大切な楽しみな大事な所に、行くのだー!と士気を上げます。

今朝から今まで、やはり何も動けていません。
悔しい。
私は一体何回"'悔しい"と言えば気が済むのか、、
"悲しい"にはならないのが私の性分なのかと思うと、私の"ツッパリ"成分の健在を再認識します。

私が中学時代にいわゆる「ヤンキー」だったわけではありません。
私と仲良くなる友人がいわゆる「ヤンキー」と呼ばれてしまう友人が多く、私は"裏番"を張っていただけで、、は、無いですよ(もう自分でも何を言い出したのかわけわからなくなってきました)…。

その、先日の、整形外科通院時ですが、川崎駅前にアーケードつきの商店街があります。

その歴史は長く、この街の特徴的なシンボル、ひとびとがこの街に住み、又は移り住んできた時代の高度成長期の明るさと反面、そのすべて受け入れてきてくれたような、深淵を感じるような商店街です。
入口の大きなゲート表記されている名を初めて見た時、まず、漢字三文字の商店街の名称の読み方がわかりませんでした。

独特のパワー、生命を感じるストリートです。
商店街、そしてこの街の景色、多くのひとびとが往来します。
私もその景色の中のひとりです。

何と表現すればと考えても考えても、北野武監督の映画に出てきそう、という言い方しか浮かびません。

俳優の白竜さん、中野英雄さん、大森南朋さん、、、
北野武監督の作品に出演された俳優のかたがたが、あの作品世界の雰囲気そのままで歩かれていたらと想像しますと、ものすごく自然なシーンに思えます。

その往来の中、エキストラの通行人の私は、どのような役割の通行人だろうかとも考えます。

通行人として、
ショッピングバッグを手に下げ買い物途中の一般女性さんA、
商店街の個人商店の店先でレイアウトを直し中の個人店主さんB、
商店街にある居酒屋さんの入口で何名様ですかと声を張る女性店員さんC、
ノーメイクに気軽なサンダルで町内に住む散歩中の女性Dさん、
夕方からの出勤へ向かう和装のママEさん、、、

しかし、今現在の、この疲れ果てた私の見た目と中身、その商店街のシーンでの通行人役のエキストラとして、何も演じることは出来ないだろうと気がつきます。

私が私を、私自身が私自身を、"生きていない"からです。

"私"を生きていない今の私に、どなたかの役を演じる実力も努力も存在しません。

商店街にあります整形外科医院の受診を終え、向かいの処方せん薬局に行き、待ち時間の数十分、そういう事ばかりを考えていました。

自分の順番がきて処方薬を買い、処方せん薬局の自動ドアを開け、商店街に一歩踏み出した瞬間、震え上がりました。

わきあがりました。
感動という言葉では足りなさ過ぎる感情に、一気に一秒で、包まれました。

鳥肌が立ち、全身の血流が激しくうねるかの圧倒的な声、うたごえ、音楽、でした。

とんぼ 長渕剛

Provided to You tube by NexTone inc.
とんぼ・長渕剛
昭和
Released on: 1989-03-25
Auto-generated by You tube.
You tube公開日: 2020年1月15日


大音量です。
爆音ともいえる位の音量で、長渕剛さんの「とんぼ」、商店街全体のスピーカーから流れていました。

数え切れない程に普段から歩く商店街ですが、いつもは商店街のテーマ的な曲みたいなものや、商店街についてのアナウンス等が聞こえているなぁ、という記憶しか私にはありません。

それが、いきなりの大音量の長渕剛さんの「とんぼ」が、インストロメンタル等ではなく、長渕剛さんのうたわれる「とんぼ」が、高い天井にステンドグラスのアーケードの商店街全体に鳴り響き、一体全体何が起きたのかと衝撃的な大音量、何かそういうテーマの催し日だったのかはわかりません。

「コツコツとアスファルトに刻む足音を踏みしめるたびに
俺は俺で在り続けたい そう願った」

「ああ しあわせのとんぼよ どこへ お前はどこへ飛んで行く」

「明日からまた冬の風が 横っつらを吹き抜けてゆく」

歌・長渕剛
作詞・長渕剛
作曲・長渕剛


もう、たまりません。
たまりませんでした。
歩きながら、涙がボロボロボロボロ止まりません。
止める気もありません。

この往来の中、知り合いは誰も歩いていません。
ちょうど私のうしろに歩いてらした男性お二人の会話が聞こえます。
「あのシーン、」
「そうそう、あの最後の、」
「思い出すよなぁ」
「ぴったりだよなぁ」と、
ドラマ『とんぼ』について話しています。

テレビドラマ『とんぼ』
TBS 1988年放送

あのラストシーン(観ていない方にはここからご説明になってしまいます)、
長渕剛さん演じる「英二」、

致命的な傷を負いフラフラになりながらタバコをくわえ、這いつくばりながらもすすむことをやめません。

凄まじきシーン、忘れられません。

あのシーンが回想され、長渕剛さんのうたわれる「とんぼ」が大音量で流れる商店街を、私はフラフラな体力で歩みます。

「ああ しあわせの とんぼよ…」

心の中で精一杯歌います。

もしかしたらあの時間、長渕剛さんの「とんぼ」が流れる商店街を歩いてらしたみなさま、同じように心の中で「とんぼ」を歌われていたかもしれません。

もしマスクをしない時代で、さあ皆さんで歌いましょうとアナウンスでもあろうものなら、もしかしたら往来する私含め皆さんで大合唱していたかもしれないと想像する程に、長渕剛さんの「とんぼ」はその商店街にも本当にロケーションも似合いすぎ、また、何か不思議な連帯感一体感すら感じました。

長渕剛さんの凄まじきすごさに改めて驚き、「とんぼ」という楽曲へ私は私のすべてをゆだねました。
気持ちと心の叫びを、安心して「とんぼ」の長渕剛さんのうたごえにゆだねました。
頼りました。

長渕剛さんのうたごえと、ドラマ『とんぼ』ラストシーンへの感情に、私は私を投影しました。

あの時間、私は正に真に、救われていました。

長渕剛さんの「とんぼ」、大名曲であることはもちろん当時から認識しております。

しかしあの商店街でのあの日の大音量の「とんぼ」、もはや音楽とか楽曲とか芸術とか、何か名称で言い表せない程の、私の血管に流れ込み私を歩かせてくれるかのような源でした。

この場で御礼を申し上げたいです。

「長渕剛」さん、本当に、心より、ありがとうございます。

這いつくばってでも、すすんでいきます。
今はフラフラな私ですが、長渕剛さんの「とんぼ」にあの日のあの時間、すべてを委ねさせていただき、安心を感じ、生命に気づき、頼りにさせていただきました。

あの時間だけは、孤独というものを忘れられました。

そしてこれからも生き、生かされていく時間の中で、何か崩れ落ちた時も、あの時の長渕剛さんの「とんぼ」のうたごえを私は必ずや、思い出します。

生きていられています。

本当に、ありがとうございます。


ここまでお読み下さりありがとうございます。さやか

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