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「百英雄伝」を目の前にして

「百英雄伝」をプレイするにあたり、初めて触れた時に感じた事、気持ちを残しておきたいと思い、note登録。

「百英雄伝」と「幻想水滸伝」は違う物語であるが「幻想水滸伝」から「百英雄伝」に繋がった流れを思うと、私の中で切っても切れない感情がある。

「幻想水滸伝」は今でも定期的にプレイし、改めて気づく事がある作品。

2023年のプレイツイート

その度に「記憶なくしてもう一度プレイしてええええええ!!!!!!」となるのですが、幻水の初回プレイの時は人生かけて大事な作品になるとは思ってもおらず、記憶の彼方……

だからこそ、百英雄伝の初回プレイで感じた事、気持ち、得た感情を残しておきたい。

「百英雄伝」は「幻想水滸伝」を生み出したクリエイターの方々がファンの想いを受けて生み出しくださった作品。
クラウドファウンディングで、積まれていく金額をリアルタイムで追って、これだけの人が「幻想水滸伝」という作品に心動かされたんだなぁと胸が熱くなった。

「幻想水滸伝」の動きがないのが当たり前になってから、好きな気持ちを伝えたくても伝える手段なく、そんな中、オーケストラやラジオ、少しずつ動き出し、村山さんのTwitterアカウントが作られて、クラウドファウンディングの企画を知った時は泣いた。胸が震えた。

達成した後も増える金額をみて「すげぇゲーム作るぜ!!!!」という村山さんの言葉に泣いた。

そんなすげぇゲーム出来ちゃったんだ……と気持ちが昂る。

「幻想水滸伝」で、善悪は人の数だけあり、誰かにとっての善が悪であり、何が正義かは見方により形を変えること。
人と人の繋がり、想い。
一つ一つの何かが集まり形を成すこと。
音楽の力。
そういったこと全部感じた。

生まれ、種族、国、考え方、多様なキャラクターと、そこに居る名前も無い住人含めて、あれだけ「生きてる」と感じるゲームは、後にも先にもないのでは無いかと思う。

こんなゲーム作れるクリエイターの方々の新作。
大半が「幻想水滸伝」というゲームに心動かされた人たちがクラウドファウンディングという手段により世に送り出された「百英雄伝」

やりたい、けど、やったら初回プレイが終わってしまう。勿体無い。いやしかし有限のこの世界で、出来るだけ長く百英雄伝を楽しむ時間が多い方が人生得するんじゃないかという葛藤を潜り抜けて、ついに今日からプレイしようと思う。

いまでも村山さんがこの世界から旅立ってしまったなんて信じられない。
プレイヤーがプレイして、どんな気持ちを得たかを見て欲しかったです。そして、それを受けてまた新しい作品を生み出して欲しかったです。心から。

本当に出来たんだ……百英雄伝……

色んな気持ちがごちゃ混ぜになっています。

「百英雄伝」一つ一つの色んなものを感じながら、大事にプレイしていきます。

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