虚飾の伽藍堂

部屋にはたくさんの履歴書の残骸が散らばっている。書き損じたものがほとんど、大体大学の学部で間違うかその後の職歴でなにかへまをしたものが多い。

履歴書ってなんだろう。学歴を書いて、職歴を書いて申し訳程度の志望理由と自己PRそして資格。この紙にはたして意味があるのかと考える午前3時。

開封した履歴書のパッケージの数は私の敗北の証なのだと思う。落ちたのは自分と合わなかっただけから気持ちを切り替えて次、と言えるほど私は強くはない。落ちた数だけ人格を否定されてるような気持ちになる。

今日もアルバイトの不採用通知が届いた。ご丁寧にも郵送で。それだったらどうせなら履歴書は返してほしかったなあ、とちょっと思う。使いまわすわけではないけれど、自分の情報を書いた紙が与り知らぬところに保管されているのってなんだかこわい。

週3日からOKの事務系求人と思いきや採用してから部門を決めるというだまし討ちを受けたのでまあいいのだ、と自分に言い聞かせながらやっぱり落ち込む。でもまあいいんだ。接客したくなかったし。レジやるなんて書いてなかったぞ、パソコンでの簡単入力が中心って書いてあったぞ。

悲しい事に田舎では飲食や接客しかアルバイトの求人はない。人とあまりかかわらなくてもいい工場系となると移動のあしも必要だし、なんといってもなぜかこの辺の求人は週5勤務を要求してくる。

ハローワークのパート求人も同じく。ほぼフルタイム要件である。これってパートの求人だよな?と首を傾げながら見る。週5日働くならせめて1日6時間がいいと駄々を捏ねて転がった。

良さげな学校事務の求人を見つけて起き上がったけれど、母校だったのでまた倒れ込んだ。おお、後輩よこれが勉強しかできない社会ではゴミ扱いされてしまうタイプの人間だよのお手本になってしまう。

シフト制で接客じゃない仕事に就きたい。収入はそりゃいっぱい欲しいけれど、週4日でも許してくれるなら収入は少なくても文句は言わぬから。だってシフト制じゃないと平日に推しに会いに行きたいときに行けないし。土日休みじゃなくたっていいけどイベントごととか、友達に会いたいから月に一度くらいはどちらかにお休みが欲しいし。

また買った履歴書が底を尽きそうだ。助けてほしい。就活でも全然思い浮かばない志望理由、バイトの志望理由なんてそれこそだ。労働は自分の貴重な時間を売った対価を得るための行為としか考えていない。自己実現とか成長とかそんなのいいから。

そしてなんと私の周りにはそういう感じの考えの人間しかいない(けど推しに会わなければいけないタイプは私しかいないのが問題なのだ)みんな自分を誤魔化して生きてるんだなあ。

生きるために必要な推し事のための資金と医療費のために仕方なく労働に手を染めているだけなのだ私は。その生命維持活動のための金策で死にかけている場合ではないのだ。

どうして社会で働いていると創作に使う脳が死んでいってしまうのだろう。かと言ってひきこもっているとこれがびっくりするほど筆が進まないし。

う~ん、生きづらい。

なんか周りは結婚だの仕事だのに邁進していてえっへっへこちとらなりたくなかったニートだよと涙で枕を濡らすのだった。

推し事のために使わせていただきます