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NiCE(22) 手帳

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お金に関するフィクション
『NiCE』の22回目です。
本文はそのまま読めます。第1回はこちら
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 夕食の後、ゆかりはミカが荷物を片付けて明け渡してくれた部屋に移った。家の一番の端の、道に面して南側と西側の二面に窓がある風通しの良い部屋だった。西側の窓からの日差しは強いが、南側は広いベランダがついていて窓を開ければ風が抜け、古いクーラーも一応動く。持ってきたバッグと、ミカが貸してくれた布団しかない殺風景な部屋だが、ミカのお掃除ロボット「コロ」の雑巾がけのおかげか、畳はサラサラとして心地良い。畳んだ布団にもたれて寝転がると、古い畳の匂いがした。

 ゆかりはオフィスの自分の机に座っていた。昼食時で外回りに出ている人も多く、オフィスは静かだった。きっとアクセス情報はどこかに残ってしまうのだろうと思いながらも、パソコンで社内システムにアクセスし、担当顧客の保険契約情報を開いてをさっと手帳にメモする。今度聞かれたらなんと答えようか。領収書は消えるボールペンで書いてきている。うまく消えてくれているだろうか。耳に心音が響き、どきどきと心臓が打っているのがわかる。

 はっと気づくと、ゆかりは布団に寄りかかっていた。一瞬、どこにいるかわからず、少しして、ああミカの家だと気づく。うとうとと寝入ってしまったらしい。ここにきてから、ゆかりは寝てばかりいるような気がしている。古いクーラーのブブブブという作動音が聞こえる。バッグを引き寄せて、中に手帳が入っているのを確認する。

 人気のない交差点で赤信号を渡ることにすらなんとなく気がとがめるというのに、なんであんなことをしたのだろう。契約者はもう気づいただろうか。堅実な生活をしてきたはずだった。自分の母がおかれていた境遇と同じだと信じ込み、請われるままにお金を貸してしまった。ゆかりは自分のおろかしさに泣きたくなり、この世界に来てしまったことに少し安堵し、安堵したことを申し訳なく思う。ため息をつきながらゆかりは立ち上がり、布団を敷く。

 入浴を済ませ、キッチンで布と格闘しているミカにお休みと声をかけ、布団に入る。そして急にコウタのことを思い出した。コウタは、この世界にいるのだろうか。LINEで連絡が取れたのだから、いるのかもしれない。布団に寝転がったまま、LINEを開いてメッセージを送ってみることにした。

「コウタくん、こんにちは。まだ水渕にいますか?」
 メッセージを送って、少し手を止める。先週、いつもよりも早く梅雨明けしたばかりで、もう日も暮れているというのに、蝉が鳴いているのが聞こえる。暑さや寒さを感じはするものの、季節を感じることは長い間なかったなと感じて、外に耳を澄ます。すると、スマホが震えた。
「ゆかりさん、こんにちは。なかなか会いませんね? いったいどこにいるんですか? まさか、『水渕村』違いじゃないんですかね?」

 連絡が取れた。コウタはやはり水渕村にいるらしい。違う世界なのだろうか。
「ねえ、コウタくん、なんか今いる場所って別世界みたいじゃない?」
「そうですね。まあ、やっぱり変わってますよね」
そうじゃない。本当に別の世界のようなのだ。どう言えばいいものだろう。ゆかりが言いよどんでいるうちに、コウタが続けて投稿した。
「ぼくができるのは畑仕事だけなんで、畑仕事ばかりやってるんですけど、やっぱりきついっすね。明日も4時起きだし。ということで、もう寝なくちゃ。ゆかりさんの今やってることを、今度教えてください」

「あ、そうなんだ。ちょっとコウタくんにナイス区のことをもう少し聞きたいだ。少しゆっくり話せる時があったら教えてくれる?」
ゆかりは返信する。しかし、既読にはならなかった。

(23) に続く

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