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バリ日記4日目(5/5)

ブサキ寺院の中央にある、「ブサキ寺院と言ったらコレ」的なプナタラン・アグン寺院の割れ門の手前には広間があり、そこにも別の門がある。門は古く、積み上げられた石やレリーフは年月を経て黒ずんで隙間からシダが生えたりしているが、鉄製らしい赤茶色の扉につけられた金属の飾りはとても立派で金色に輝いている。

閉ざされていた扉をそっと開く。ブサキ寺院の敷地内にあるたくさんの寺院が見える。割れ門に続く階段脇にたくさんの彫像も見える。彫像は古く苔むしていて歴史を感じさせる。階段の先から爽やかな風がサッと吹き上がってくる。何か清潔な感じがして、目が離せない。

夫と二人でじっと景色を眺めていると、ガイドのワヤンが「階段を下りていいよ」と言い出した。あれっさっき頑なに、自分はこの村の出身じゃないしカーストが低いからあの階段は歩けないって言ってたじゃない! しかも、私、その言葉に感動してたのにー。

びっくりして、「どうして?」と聞いてみる。するとワヤン、「さっき、この村の出身の人が許可を出してくれた」と言う。別の観光客を案内していたガイドがちょっと高いカーストで、許可が出せる人だったのだそうだ。

敬虔な気持ちになって、夫と二人で階段に足を踏み出す。もったいなくてなかなか下りる気にならず、階段に腰かけて、しばらく空気を感じてから下りた。

駐車場に向かう間、私がワヤンと話しながら先を歩いていると、後ろにいた夫が急にヒンズー教の衣装を着た女性に呼び止められた。現地人のように見えるけれど、多分違う。肌がずいぶん白い。何か真剣な表情をしている。
「あなた。あなたはここに住んでいるの?」
「いや、日本に住んでいます」
「日本人じゃないわよね。どこの出身?」

こう聞かれると、夫はいつも少し困ってしまう。生まれたのはマダガスカル。でも両親はモーリシャス人(父)とフランス人(母)。今の国籍はフランスだが、生まれた時の国籍はイギリス。幼稚園から大学まではフランスの教育を受けて、文化的背景はフランス色が濃いが、フランスにいた期間は10年弱。アメリカにも長らく住んでいたし、彼の人生のなかで一番長い居住国は、今や日本だ。

「国籍はフランスだけど、説明すると長い話になってしまう」と答える夫。
「まあ、そうなの」と答えた彼女、夫の名前や私の名前、健康かどうかなどを次々と質問してくる。何が目的かわからなくてたじたじと答えると、彼女はなぜか夫の全身をふわっと眺めて
「とにかく、神のご加護がありますように」
と祈って去っていった。彼女は南アフリカ出身だった。

なんだかわけがわからないが、夫はよく、こうやってスピリチュアルな人から呼び止められる。何かのオーラが出ているのだろうか。ものすごい悪いオーラなのではないかと夫は言うけれど、守護霊がすばらしい等だといいなーと私は思っている。

そんな感じで盛りだくさんの1日が終わり、帰途へつく。ドライバーのワヤンが凄まじいドラテクと知恵を使ってぐいんぐいんと運転してくれ、「最後のアトラクションのつもりか」とシートベルトを握りしめる。恐ろしく時間が節約された、ような気がした。

夫はガイドのワヤンが気に入って、もう一日ガイドをしてくれないかと頼んだ。翌日からガルンガンの準備があるから水曜までは田舎にいるとワヤンが言うので、木曜日にお願いすることに。去り際に1000円くらいのチップをあげたら、二人とも喜んでくれて、夫はガイドのワヤンにまた「ブラザー」とか言われてた。

(5日目につづく)

▼割れ門の手前の門。

▼ガイドのワヤンと夫。割れ門の上から


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