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バリ日記7日目(1/2)

9月7日水曜日。バリ旅行7日目。この日はバリのガルンガン。ガルンガンはバリ島のお盆にあたる行事で、どうやら毎年時期が異なるようだ。(2017年のガルンガンは4月と11月。これは210日を1年とみなすウク暦というものを使っているかららしい。)

午前中、夫とは別行動を取ることにする。一人でご飯を食べるのがあまり好きじゃないから、ひとり旅はほとんどしたことがない。でも、誰かと旅行に出かけて、数時間一人で楽しむのは大好き。だいたいホテル近辺をうろつくだけなのだけれど、それでも楽しい。

この日もホテル近辺をうろつくことに。空は快晴。真っ白な太陽が輝いている。暑い。頭の中に「世界ふれあい街歩き」のBGMが流れる。

泊まっていたホテルはヌサドゥアの北、タンジュンベノアというホテル街にあった。周りには大型ホテルやレストランがたくさんある。少し奥まったところには安宿だが居心地の良さそうなホテルがあり、洗濯屋さんもある。ネイルサロンやマッサージ屋さん、ブティックもある。

ちょっと大通りを外れると普通の民家があり、洗濯物が干してあったり、犬が寝そべっていたりする。路地の方が断然「世界ふれあい街歩き」風なので、入り込んでみる。

暑くて人気が少ない。比較的裕福そうな家の前に止められていたピカピカのトヨタには、お供え物がされていた。敬われているぞ、トヨタ車。こういう車は事故率が低そうな気がする。

裕福そうな家々をすぎると、少しずつ家が小さくなっていく。どんどん進むと平屋で玄関がたくさん並んでいる、アパートのような建物が見えてきた。さらに進むと、ゴミ捨て場らしき場所に付いてしまった。

ゴミの分別とかは、まだまだのようだ。街中にたくさん置かれているお供え物も、ビニールの小袋入りのまま置かれたりしていて、数日後にはゴチャッとごみになってしまう。バリ・ヒンズーに、「分別」「リサイクル」という発想がちょびっと入ったら、もっと気持ちのいい場所になりそうだなあ、などと考える。

誰もいないし、ゴミ捨て場で行き止まりだったので、もう一度大通りに戻り、さらに歩いてみる。きれいなお寺を見つけて、もっと見てみたいと回り込んだら、また別の住宅地が現れた。

公道のようにも見えるけれど、もしかしたら私有地かな? 入ったらダメなのかな? そう思いながら歩いたら、乾物屋さん的な小さなお店で店番をしていたおじさんが「ハロー」とにっこりしてくれる。返事をし、受け入れられたような気がして、もう少し入ってみる。

お寺の正面が見えてきた。お寺は小さいけれど、神聖な感じがして写真を撮るのをためらわれる。中に入り込んだら失礼かもしれないから、外からそっと覗く。通りがかった小学生くらいの子が「ハロー」とうれしそうに声をかけてくれる。ガルンガンだから、学校はきっとお休みなのだろう。

その子の声につられてもう少し中に入ってみると、急に5、6人の子どもに囲まれた。にこにこしている。「ジャパニーズ?」と聞かれる。何歳? 学校は休み? ここに住んでいるの? 簡単な会話をしてみる。外国人と英語で話すのがうれしいのかもしれない。この子達はここに住んでいるらしい。

話していると、後ろからバイクに乗った男性がやってきた。子ども達に何か話しかけ、「日本人ですか?」と、日本語で話しかけてくれた。

その男性、ワヤンさんはホテルで働いていて、大阪出身の日本人の友達がいるらしい。日本語はそれほど流暢ではないけれど、にこにこと私との会話を楽しんでいると思わせてくれる。聞くと、この一帯は親戚ばかりが住んでいて、子どもたちも全員、親戚なのだそうだ。

「ここが私の家です」と、家を見せてくれて、お菓子や果物を出してくれる。かわいいモンキーバナナは、この家でとれたものだそう。バナナを1つもらう。なんだろう、この高待遇。私、単にここらをほっつき歩いていただけの、ただの観光客なのだけれど。しかも、もしかしたら不法侵入的な。

「大通りから見えたお寺がきれいだなと思ったから入ってきちゃったんです。もしかして、ここは私有地ですか?」と聞いてみたが、通じない。お寺に興味があるのだと思われたようで、「家族のお寺、見ますか?」と、家の中にあるお寺を見せてくれる。ついでに写真もパチリ。

ワヤンさんが敬虔なヒンズー教徒だということは、おでこのお米でわかる。お米をおでこにつけているのは、「朝のお祈りは終わりました」という印だそう。ゆったりおしゃべりしているけれど、「今日はガルンガンだから忙しいのでしょう?」というと、準備はもう済んだから、と笑う。

とはいえ、お盆によそ者が長居をしては申し訳ない。お礼を言って、何か渡そうとし、あげられるようなものを何も持たずに出てきてしまったことに気づく。即座の恩返しではなく、ゆっくりとした恩返しか、それとも恩送りをさせてもらおうと決めて、温かい気持ちで立ち去る。

バリの人たちは、精霊やら悪霊やらに毎日お供え物をしながら生きている。悪霊にお供えをするのは「我が家に悪事をもたらさないでね」という意味らしい。もしかしたら、私のことを精霊や悪霊的に見なして、お供えをするような気持ちで歓待してくれたのかもしれないなあ。

特に都会では、よそ者を疑ってかかるような暮らしをしてしまうけれど、よそ者を「精霊かもしれないし、悪霊かもしれない」と考えて接してみるのは楽しそうだと思った。

(つづく)

▼食べて食べてと出してくださったものたち

▼ワヤンさんの奥さんと娘さんと。家族のお寺の前で。

▼ワヤンさんと。


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