自分のスタイル

 Skream!さんでcinema staffにインタビューした記事が公開されたとき、ソングライターでありベーシストである三島想平さんが、「僕らの歩みをずっとフェアに、真摯に見守って下さってる沖ライターに愛のあるインタビューをして頂きました」とツイートしてくださった。

 素晴らしい歌詞をお書きになる三島大先生に、文言付きで拡散していただけるだなんて、ありがたみの極みである。以前から彼は「真摯なインタビュー」や「愛のある記事をありがとうございます」と言ってくださっていたが、今回特にうれしかったのは「フェア」という言葉だった。

 フェア。「公平なさま」や「正当なさま」を示す言葉である。スポーツ観戦が好きな三島さんらしいチョイスだ。

 わたしは技術やノウハウがないぶん、ずっとがむしゃらに、心をこめて書くことをなによりも大事にしていた。その結果「熱量」や「愛情」などを褒めていただくことが多かった。だがこの1年は「テンションが低い」や「人間味がない」「パッションが足りない」など、これまでもらっていた評価とは真逆のものをいただく場面が格段に増えた。「ずっと〝熱量がある〟と言ってもらってきていて、これまでと同じように素直に書いているのに、なぜだろう?」と毎日のように悩み、涙した。

 だがこの三島さんの「フェア」という言葉で腑に落ちた。スポーツの世界で好きなチームを全身全霊で激励し応援するのが観客ならば、その試合を公平な視点でジャッジするのが審判だ。両者とも並々ならぬ熱量が必要だが、その概念はまったくもって異なる。わたしは審判の立場からバンド/アーティストや作品を見ているのだ。

 思い返すと、去年WOMCADOLEの公式アカウント様には「理解者&指摘者」と紹介していただいた。「指摘者」という言葉が選ばれたのは、「フェア」と同様の理由だろう。

 自分に向けられた両極端な評価は、「リスナー視点でもなく、アーティストチーム視点でもなく、ただひたすらにライターという視点を持ちたい」と思いながら書き続けてきた自分が、理想を実現できるようになってきた証左とも言える。とても喜ばしいことだ。

 だがそれはあくまで自分の正義である。媒体さんはそれぞれカラーというものを持っていらっしゃるのだから、そこを考慮して発信せねばならない。とはいえ自分のカラーをすべて捨てるのは難しい。さてどうしよう? タイアップソングを書き下ろすソングライターやアーティストはこういう気持ちなのだろうか。

 だが「フェア」というひとつの答えをいただけたことで、その気持ちが暮らすための部屋をいただけたような感覚があった。感情に名前をつけるという言語化の素晴らしさである。それをライターが音楽家から教えてもらったのだから、仕事に生かすほかない。さて、閑話休題もここまでにして、原稿の続きを書こう。

最後までお読みいただきありがとうございます。