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Pink bombは誰の上に降るか

バーベンハイマーへの怒り。
詳しい経緯はこちらの記事がよくまとまっています。

https://theriver.jp/barbenheimer-meme/

なお7月31日18時半頃ワーナーブラザーズジャパンから遺憾ツイートがなされましたが、だからといって許せるものではないため、記事として掲載します。
https://twitter.com/BarbieMovie_jp/status/1685944607539159040

またワーナーブラザーズにおいては、「何が駄目だと理解したのか」「それをどう説明し、今後どうするのか」を明確にした上で真摯に謝罪することを求めます。なおこれらがたとえ満たされても、今回の原因となった発言や態度を許容するものではありません。

SNSを見ると、「日本人は4DXでバーベンハイマーを体験できた」(この発言元は未確認ですがもし本当にそうなら品性が下劣すぎる)、「(日本に)バービーも原爆もアメリカから来た」、「日本にバーベンハイマーのピンクボムを降らせたい」とか唖然とするような言葉も見ます。

怒りのあまり、思わず
「チクロンBをピンクガスっていうか? アメリカン航空11便をピンクプレーンいうか? わいらがやってるのはそういうことやぞ!?この○○(罵声)」と喉元まででかかったんですが、相手に合わせて品性を落としてはいけないな…

もちろんこれらを同列に語るのは不適切極まりない。
ナチスの絶滅収容所におけるガス室は、地球上から「ユダヤ民族」を絶やすこと。
9.11は自らの土地を侵略したアメリカに復讐し、解放すること。
それに対し、原爆投下は、敵国の本土決戦を避けるためとか、戦争の早期終結を目指すという「大義」がある。
真実はともかくとして、落とし所としてはそういう形になった。一見、前者2つの目的とは異なる雰囲気があります。

ただ、この三つの共通点は、全く何の事情も知らない普通の市民が、突然命を一方的に奪われた、という「結果」です。これは疑いもなく事実です。どのような崇高な大義名分があろうとこれだけは変わりません。
奪われた命の数はそれぞれ異なりますが、命にとって見れば、他が何人死のうが自分のたった一つの命が一方的に奪われたことに違いはありません。
朝、行ってきますと言って出ていった子どもたちや父親、また帰ってくるつもりで自分の手荷物を預けた老夫婦、子供と外に出ていた母親、誰かを助けようとした親切な隣人、その日生まれた赤子。
それらの命が一瞬にして、同じ人間の手で奪われたんです。

その理不尽さ、残虐さ、あまりに醜い人間の行為を、ポップなカルチャーで彩り、無自覚で消費することに、激しい怒りと悲しみと危機感を覚えます。


「オッペンハイマー」(ユニバーサル・ピクチャーズ)は、原爆という大量殺戮兵器の開発と良心の間で悩む人間の話だと聞いています。
それが事実なら、この「バーベンハイマー」ミームは何一つ映画の本筋が伝わっていないことになり、何故こちらもミームを止めようとしないのか、あるいは本筋が伝わらないほど拙く矜持がない映画なのか、いずれにしても理解に苦しみます。

アウシュヴィッツ解放75年記念公演での、元収容者マリアン・トゥルスキ氏の非常に印象的なスピーチがあります。
「一度起きたことはまた起きうる」
「少数派が差別されている時、無関心になってはいけない」
「そうしなければ、アウシュビッツは再び空から降ってくる」

原爆とは比べ物にならない威力である核兵器の脅威が世界にはびこり、しかも今まさにこの時、世界の色々な場所で砲弾が飛び交っている中、キノコ雲をピンク色にして楽しんでいる人間がいることに激しく落胆を覚えます。
どんなに通じなくても、その怒りを嘲笑する人々がいても、被爆国に生まれた国民の一人として、史学を学んだものの一人として、そして人間の一人として、怒りを表明します。

次にPink bombが降るのは、私の、あなたの、あなたの大切な人の頭の上かもしれないのだから。


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