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LOOKIN THROUGH THE WINDOW① 水谷太郎

足を運んだ動機

表参道のGYRE GALLERYで開催している写真展に行ってきました。そもそもこの写真展を知ったきっかけはインスタの野村訓市さんの投稿を見て

上記で概要がつかめますが、一応記載するとインスタの台頭で誰もがフリーに写真を見れる時代、その中で同じテーマで世代の異なるフォトグラファーが写真を撮ったらどうなるのか?またその見え方も鑑賞者の世代によって変わるのではないか?という野村さんが企画された展示です。

館内は写真撮影も可能になっていました。本noteは画角などほとんど揃っていない自分の写真を投稿してレビューしていくもののため、少し見にくい部分もあるかと思いますが、お付き合い頂けたら幸いです。

またボリュームがかなり多くなりそうなのでフォトグラファーごとに①〜③に分けてお送りしようと思います。

本展について

写真とは小さな箱についている小さな窓から世界を覗き、瞬間を収めて行く行為。僕らが景色に心を奪われ、瞬間に感情を爆発させ、笑ったり、泣いたりする時、写真家はその感情を小さな窓から覗き、シャッターを切ることで写真に収める。シャッターを押すのではなく、切る。瞬間を一枚の紙の厚さのごとく切り取り、そこに言葉では語れない物語を表すのだ。生まれてからの家族のスナップ、学校での行事、雑誌で見たファッションや、ふざけ合う10代の夜。写真はいつも僕らの日常と共にある。自分が生きたという証は、やがてこの世をさる時には、他人の心に残る思い出と写真でしか存在しない。そんな写真というものの価値観はどこにあるのだろう?いい写真と悪い写真。それは画角やライティングみたいなテクニカルなことだけを意味しない。時代とともにいい写真の意味は変わる、特にファッションの世界においては。それはその時代の表情とともに移ろっていく。今のファッション写真とはなんなのだろう? そもそも雑誌で育った40代と、物心ついた頃から写真といえばデジタルの20代。限られたリソースの中で、時代を作る写真を必死に学んだ40代と、あらゆるイメージが氾濫する時代に生まれた20代。今、目の前に一枚の写真があるとして、僕らは同じような価値観で見ているのだろうか?違うのだとすれば今の写真の見方とはなんなのだろう? 同じものをテーマに、それぞれの年代の写真家が小さな窓から覗き、その瞬間を切り取るとき、その裏にどんなストーリーが産まれるのかを僕たちは見たいのだ。20代、30代、40代という世代を代表するフォトグラファーたちが、クライアントの制約等を離れ、それぞれが思うファッションフォトというものを同じテーマの元に制作し展示する。SNSの全盛において大きくその意味合いが変わってきたファッションフォトの存在価値、そしてその未来を、現代を生きる新たな世代に提示する。

本展ではフォトグラファーに対して10のインタビューがあります。以下から各フォトグラファーのインタビュー内容と写真を並べていきます。

水谷太郎

1.出身地とどのような環境で育ったか               東京都、幼稚園から高校まで一貫教育の男子校。祖父と父が写真を仕事にしている家庭で育つ。
2.写真、カメラを意識したきっかけ                     子供の頃に、家にあったカメラを触ったり、写真集を見たりした記憶が最初。
3.自分で写真を撮ろうと思うようになったのはいつ?                                                                     小学校の修学旅行
4.最初のカメラ、そして最初に撮ったものは?   京セラ サムライ、友達 
5.どこかで写真というものを学んだ経験はあるか?あるとすればなぜそこで学ぼうとしたか?   東京工芸大学 芸術学部 写真学科。写真を専攻できる数少ない大学だったので選びました。良かったと思うことは友達に出会い、写真について考える時間ができたという事です。
6.様々な写真表現があるなかでファッション写真というものを撮ろうとしたきっかけは?また憧れる存在としてのファッション写真家は?                10代20代の時に見た海外のファッション雑誌の影響、そこで見た人たちに憧れていました。ブルース・ウェーバー、ニック・ナイト、ヨーガン・テラー、デビッド・シムズ、マリオ・ソレンティ、ヴォルフガング・ティルマンズなどを見ていました。
7.ファッション写真を撮り始めた時、自身が考えるファッション写真とはどのようなものだと考えていたか?                                                         音楽、アート、ファッションなど、サブカルチャーを全て内包して表現する特別な物、自由さや遊び心、僕の中や、物の見方、感情を伝えられる物と感じていました。                                             
8.今、現在において考えるファッション写真とその意味とは?SNSの出現で、ファッション写真の意味はどう変わった?                                              そもそも、そこに写っている洋服(商品)を売るという構造は変わっていないですが、現在はそれを魅力的に見せる方法が極端にダイレクトで、複雑性でしか判断しなくなってしまっているとは思います。物だけを見せて、その物を欲しがらせるやり方、でもそれだけではファッション写真ではないと思います。そこに写される世界、空気、感情や時代の風向きなど、非現実的でファンタジックな情報も含めて見せれる状態の、人の記憶や感情に響かせるような写真、そんな奥行き持たせられるのがファッション写真の持つ魅力なのかもと思います。                                                                 
9.この写真展において、どのようなテーマで何を表現しようとしたか                                             "モード"がテーマの「Mirrors and Windows」という作品では、モデルが鏡で作った衣装を纏っています。それはその人がいる場所を反射し映し出す鏡、ファッションを人や場所や時代を映しだす物として捉え、景色となるような衣装として制作しました。何万年も変わらない風景やそこで生み出された石の色やデザインを対比させ、モード的な視点と刹那的な瞬間を浮かび上がらせるものです。"ストリート"の作品群は「Street View」というタイトルで、ネット上の地図をキャプチャーして制作したシリーズ、ストリートカルチャーの持つカウンター的な意思や、あるもので遊べるか?というような視点を表現しています。                 
10.これからのファッション写真はどのようになっていく?様々な人がSNS等を通じて自由に写真を発表できるなかで、プロとしての写真家を目指す人たちにとって何か伝えたいことは?                   ファッション写真っていう言葉が続いていくのかはわかりません。その時代にあるカメラや新しい技術の上に写真は成り立ちます。最近は古いフィルムカメラで撮る若い人も多いですが、デジタルで新しい技術を使った写真も見せて欲しいとも思っています。デジタルであろうがアナログであろうが、何も変わらない思います。何事でも見た事あるような気に、知っている気になり過ぎずに、死ぬほど遊んでください。

展示作品

※展覧会の一部になります。

ファッション写真というと服を纏うモデルを主体にとっているものという意識がありますが、背景である山林の方が目立つ写真です。しかしその中でしろのトップスが映え、装飾性の無いシンプルなデザインがざわざわとした山林と対置されているような印象があります。このようなトップスも現代の技術が成せる技のものなのでしょうか?自然↔︎人工という対置を思わせます。

中東系の伝統的な衣装を模したデザインかと思われますが、白黒で撮られていることで今ではないどこか昔の写真のような印象があります。衣服が風になびく様やその素材感がしっかり見てとれる写真です。

パッと見たときに愛おしい印象しかありません笑笑。太いゴールドのチェーンと帽子を被ったアルパカ。ラッパーの様な雰囲気がありますが、そのスタイルをアルパカがしているっていう違和感が作品を目の前にして立ち止まってしまう理由なのかなと感じました。

この作品も非常に印象的でした。着るものとしての服ではなく、着る前にそれを「おいしい」ものとして認識させるような作品です。ピザはトマトソースベースでマッシュルームやサラミなどシンプルなものですが、色とりどりの服がトッピングされた途端とても複雑なものになっています。ただこれを一つずつ切り分けて味わう(着る)ことにはワクワクしてしまいます。

3DCGで構成された空間、車の上にビビッドなオレンジ色のワンピースを着た女性。この姿勢によって生まれるワンピースの畝りなどは、3DCGの部分には見てとれません。しかしずっと眺めていると「この女性はCGじゃないのか?」と自信を持っていえない、自分の目の錯覚に陥ります。

悪天候・広大な海、そこにポツリと漂う家(のようなもの)、そしてその2階部分に人が座っています。環境の影響もあり、このような住居でなければ暮らしができないのか未曾有の災害によって1人ここに流れ着いてしまったのか、答えはわかりませんが、自分は後者と解釈しています。とことろどころ木材が破損している部分などもあります。身に纏っている服もベロアのジャケットのようなもので豪華な印象があります。丸い電球がかけられているところを見ると、何かのパーティーでもしていたのでしょうか?楽しかった昨晩とは打って変わって大海原に大破した家と自分1人。なんともいえない悲しさに包まれる作品でした。

最後に

いかがでしたでしょうか。インタビューの部分を合わせてみると、水谷さんはファッション写真を音楽、アート、ファッションなど、サブカルチャーを全て内包して表現する特別な物と捉えています。写真にもそのことが強く表れていて、自由さや遊び心をたくさん感じました。ここにはSNSの出現によって魅力的に見せる方法が極端にダイレクトになり過ぎていることに関して問題を感じられている部分があるのかもしれません。水谷さんがおっしゃるように、ファッション写真とはそこに写される世界、空気、感情や時代の風向きなど、非現実的でファンタジックな情報も含めて見せれる状態の、人の記憶や感情に響かせるようなものという言葉がやはり胸に響きます。

今では写真は膨大に溢れていて、お金を払って読んでいたような雑誌もインスタグラムで大体見れます。スクロールすることで見れる写真の数は膨大に増えていると思いますが、一つの写真に対して考える時間はすくなっているのではないでしょうか。何かを得ることは何かを失う、つまりトレードオフです。水谷さんの作品を通して、一つの作品に向き合って自分の中だけでも何か言えるようにすること、それが自分自身の感性を形成しうると感じました。ファッション写真に対する意識が変わる作品でした。

何事でも見た事あるような気に、知っている気になり過ぎずに、死ぬほど遊んでください。

このエールを忘れてはいけないと感じました。

次回は小浪次郎さんの作品についてレビューしていきます。老若男女様々な方からの展示を見ての意見をお待ちしております。

それでは。                     

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