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「カッコいい」それは、自分とは何かを知るための重要な体感

タイトルが帯分の言い換えみたいになってしまい、恐縮です、、笑。少し言いたいことが何かを的確に言い当てられず、自分に辟易しています笑

今回『「カッコいい」とは何か』の感想文でありますが、本著の重要な部分の説明と私自身興味のあるファッションについて意見をさせて頂いています。少し長くなりますがお付き合いいただけると幸いです。

投稿の動機

コルクの佐渡島さんが時代を超えると称した「カッコいい」についての投稿を見て、平野さんの著書『「カッコいい」とは何か』が非常に気になったので、読みました。

ボリュームはかなりありましたが、内容はとびきりいいものでした。自分なりに感じたことをnoteに綴りたいと思います。

第3章『「しびれる」という体感』について

「はじめに」の部分で平野さんもおっしゃっていますが、この部分は本書の肝となる部分です。(なお4章も肝である。(本noteでは触れません))

要約としては、「カッコいい」の本質をその体感に注目して、心理学を参照し、「ドラクロワ=ボードレール的な体感主義」や「経験する自己/物語る自己」という「カッコいい」を理解する上で不可欠のキーワードが登場するパートです。

「カッコいい」は非日常的な快感であり、「しびれる」ような生理的興奮であると述べ、私たちにそれを与えてくれる人や物が「カッコいい」であると定義を行います。この定義は本書において最後まで貫かれているものです。

BTSを例に、彼らを見て「しびれる」人となにも感じない人がいると言い、「カッコいい」対象は多様であること、かつそこに「しびれる」のであれば、それが他の人と違う自分の個性であると気づくことができ、その対象を他者に貶められると、まるで自分自身を侮辱されたような不快を覚える。この説は皆さんも自分の「カッコいい」と思うものが相手にとってはそうでないことを日常の会話のシチュエーションにおいても良く理解できることだと思います。

ここで援用されるのがドラクロワとボードレールであり、新しく出現した美は、理屈ではなく、実際に体が反応するかどうか、戦慄し、鳥肌が立つかどうかなのだと主張しました。

両者の意見は僅かな違いもありますが、詳しくは本を参照して頂き味わって頂くことをお勧めします。(何よりもそれを述べるために多くの例を挙げなければならないのでご理解をお願いします)

これを「ドラクロワ=ボードレール的な体感主義」と定義しています。

「美」や「崇高」といった美学的概念と「カッコよさ」との関係の整理も行なっていて、美や崇高は「しびれ」の複数的な要因の一つであり、「カッコいい」は美学的概念の上位概念であると説明します。それは「しびれ」の多様性こそが、「カッコいい」存在を多様化させているわけであって、「美しい」「崇高だ」と感じる前に「しびれ」という生理的興奮を発露しているので上位のものであると理解できます。「カッコいい」は言葉としては美や崇高という言葉より陳腐な感じがしますが、それが上位概念であるということはなるほど強く納得できるものでした。

佐渡様さんが皆さんが思う「カッコいい」とはなにかについて意見を伺っていらっしゃいましたが、それに対しての自分の意見は下記のようなものでした。

本を読む前だったので、美や崇高という概念には触れていませんが、概ね理解は間違っていなかったのではないかと感じます。読後「しびれ」という生理的感覚がツイート内の個人の中に内在する、現れるものという抽象的な表現に対応すると感じることができ、ストーンと自分の腹のなかに落ちた感覚がありました。

第5章『表面的か、実質的か』について

この章では「カッコいい」の二元的な構造やナチスの制服を「カッコいい」と言っていいのかどうかを具体例に、外観と実質の乖離を倫理的に問い直す試みがされています。またモードにおける「カッコ悪い化(ダサい化)」の手法を検証し、今日のマーケティングの手法がどのような困難に直面しているかを整理しています。

この部分はファッションに興味がある自分にとっても非常に学びのある部分でした。この章で特になるほどと思ったのが下記の文です。

私たちは、思いつきめいた複数の「マイブーム」を分人ごとに所有し、多種多様な「カッコいい」を、同時に楽しむことが出来るようになっている。

これは『私とは何か「個人」から「分人」へ』を読んだ方にはより一層理解できる部分かと思いますが、あらゆる選択が広がる中で人生の時間、1日の時間は有限であり、出費にも限度があるため、多様性の中から何かを優先的に選ばねばならないということを説いていて、会う人ごとによって自分という存在は、その他者からどう見られたいのかという観点から自分を変化させ、その日の服装を変化させる(服装を変化させることによって他者からの自分を変容させる)ということだと、私自身確固たるアイデンティティはないと考えていて、人間存在はみな多重人格者だと考えているのでこの分人主義を客観的に理解することができればもっと自分を容認して生きることにワクワク出来ると感じました。

衣食住の中でも衣はかなりの所有量かつ、限られた時間の中で使用するものにも関わらず、その楽しさに気づくことができていない人や、困っている人が沢山いるなということが僕自身感じていることです。

衣服は言わば話さずとも何かを相手に伝えられるメディアであり、少しの工夫で自分の印象を全く変えられるものであるのにもったいないなと感じることがよくあります。

「どの立場でモノを言っているのか!?」という意見が降りかかってきそうですが、平野さんのおっしゃるようにのび太君のようなものぐさ故の機能性を追求した、「カッコ悪くない」服ではなく、真に自分が「カッコいい」と自信を持って着ていられる雰囲気を日本で実現したいなというのが僕の思うところです。

便利にすがるのではなく、自分の原体験や「しびれた」感覚を大事にして身銭を切る選択をすることが堂々としていられる自信に繋がると信じています。

最後に

説明を行うために、著者の文を引用する箇所が多くなってしまいましたが、文量的にもかなり息切れがしそうなのでこの辺りで止めて行こうと思います。

とにもかくにも、「カッコいい」には、人間にポジティブな活動を促す大きな力があり、人と人を結びつけ、新しい価値を創造する可能性を秘めています。その相互作用が社会を更新していくのでしょう。

最後にこの本の中で、私が最も感服したオスカー・ワイルドの言葉で締めくくろうと思います。

「お前には素晴らしい個性がある。それを発展させるのだ。お前自身であれ。お前の完成が外的なものの蓄積や所有にあると思うな。お前の完成はお前の内にあるのだ。それが自覚できさえすれば、金持ちになろうなどとは思わないだろう。普通の富なら人から盗める。真の富はできない。お前の魂の宝庫には、お前から奪えない限りなく尊いものがある。……」

少し冗長になってしまい、また本書を網羅的に説明する感想文ではありませんが、最後までお読み頂きありがとうございます。

価値観が多様で何が「良い」のか分からない曖昧な現代の中で、「自分とは何か」を考えさせてくれる良著だと思います。精神力の健康の増進にオススメなので気になった方は読んでみてください!!




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