夢の合作
豚肉の食べ方については、中国が一番歴史と文化があるらしい。紀元前二世紀から、以来四千年に渡って、煮る、焼く、炒める、蒸す…。なにしろ、かの国には、「鳴き声以外は全部食べる」という言葉があるくらいだ。
だがしかし、その中国を持ってしても生まれなかった料理。それが「とんかつ」。
ではいったい、いつ、誰が、どこで「とんかつ」を作ったのかというと、これが漠として知れない。いや、たしかに「ここから始まった」といわれる店や料理人があるにはあるのだが、どうやらそう簡単にも言えないようだ。
まずは明治の中頃。銀座で、豚肉をてんぷらの要領で揚げる「ポークカツレツ」ができる。しかしあくまで、これはナイフとフォークで食べる洋食。
ついで、明治の終わりに、キャベツの千切りというスタイルも確立され、このあたりで、皿盛りのごはんと一緒に食べるようになる。
でも、ここまではまだ薄い豚肉の、あくまで「カツレツ」。
昭和の始めには、上野で、厚い肉を使うようになる。厚いから、揚げたあとは切り分けて出され、箸で食べる。だいぶ、現在に近くなった。だが、まだ、この料理には名前がない。
やや遅れて、上野か浅草か、あるいは神楽坂で、「とんかつ」という名前が生まれる。そして、とんかつ専門店がブームになる。
これが昭和十年くらいまで。ここで晴れて、洋食屋のメニューの一品ではなく、「とんかつ」は一枚看板の和食になったわけだ。
中華料理が愛した豚肉を、西洋料理の方法である溶き卵とパン粉でからめ、日本料理の「てんぷら」の要領で揚げる。まさに「とんかつ」は、和洋中のくいしんぼうが合作した和食、といえるのかもしれない。
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