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自由と制限は二項対立で存在して、有限性の中にこそ生き甲斐や創造性が存在しそうだな。


エントロピーとは無秩序、乱雑性を表す概念。
例えばコーヒーにミルクを入れると、だんだんミルクとコーヒーは溶け合って区別がつかなくなる。
ミルクを入れた瞬間はコーヒーとミルクは分離していて秩序だっている、時間が経つごとにコーヒーとミルクは溶け合い、その秩序が崩れどんどん無秩序に向かう。
エントロピーとは無秩序、乱雑性を表す概念なので、秩序が高い状態をエントロピーが低い、秩序が低い状態をエントロピーが高いという。
なのでミルクとコーヒーが分離している時をエントロピーが小さい
混ざり合っている状態をエントロピーが大きいという

その混ざり合ったミルクとコーヒーが勝手にまた分離して元に戻ることがないように、エントロピーは一方向に進み、無限に増大する。
エントロピー増大の原理は宇宙、自然界、社会、人間関係にも及ぶ。

なんでこの話になったかというと、毎日毎日、情報量がカオスすぎてついていけない( ˙-˙ )
そして溢れかえる情報を認知して選択していくという行為がこんなにもエネルギーを要することだったなんて。。
人間の脳が重要なものしか見えないようになっているのも納得。
かと言って、増え続け更新され続ける情報を無視して、今私は満たされているから新しいことを知らなくても大丈夫と思考停止に陥るのもなんだか違うと思う。

ここで面白いのは、エントロピーは放っておいても必ず増大してカオスになる一方だけど、エントロピーを下げて秩序をつくるには意志とエネルギーが必要。そしてそのエネルギーは有限だということ。
現実に当てはめると、環境や社会、人間関係は放っておいても無限に無秩序になる一方だけど、そこを秩序立てていくには明確な意思と、エネルギーを意図的に注ぎ続ける必要がある。そしてそのエネルギーや時間は有限である。

じゃぁ明確な意思ってなんだろう?
私が思う明確な意思とは、その人の生き方そのもので本質と繋がっているものだと思う。
そもそも幸せに暮らしていたら明確な意思とは?本質とは?なんて考えない。
でも偶然か意図的にかカオスに身を置くと、自分にとって大切なこと、本質的なことが浮き彫りになってくる。
これからもっとカオスになっていくと思うけど同時に自分を見つけるチャンスにも恵まれる。

そんな無限に無秩序に広がる情報化社会に生きる上で大切なのは、マクロとミクロの視点を持って、自分を見失わずに自由自在に抽象度をチューニングできること。

無限に無秩序になり続ける世界に主体性を持って秩序を創っていく。

マクロな視点に立つにはまず自我を超える必要があるし、クルクル変わる相関関係や縁起に対応していける意識の広さが必要。(空の概念を理解する)
だけどマクロなだけでは何も行動は起こせない。
ミクロな視点では自分はこうしたいという明確な、ある程度の覚悟が必要。
そしてミクロだけでも自分の意見に固執してしまい他人を理解できない。

マインドはマクロとミクロを自在に行き来し、ハートは現実に錨を下ろす。
情報は無限に増え続け、幸せの在り方が多様になった今、自分にとっての幸せを見つけ出して限りあるエネルギーをどこにどう意図的に注いでいくのかがとても大切。

あぁ、自由と制限は二項対立で存在していて、有限性の中にこそ生き甲斐や創造性が存在しそうだな、キュン。
という新たな気付きをもちまして本日のメモ終了とさせていただきます。召しあがれ。

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