心の中の大切な人たち~その①、父~


皆さんには、もう二度と会えない(もしくは会えないかもしれない)大切な人は居るだろうか。

私には、二度と会えない人が1人、そうであろう人が2人居る。

二度と会えない1人は、父である。
少し長くなるけど、父について書きたい。

父は65歳という若さで天国へ旅立った。
父は田舎の病院の息子として育ち、戦後3年目に生まれたにも関わらず、中学から汽車に乗って学校に通っていたらしい。
育ちが良いせいか、人の悪口を一切言わない、人当たりがとても良い、いわゆるお人よしだった。

実は生前、父と私はあまり関係性が良くなかった。
というよりも、私のほうが壁をつくっていたというのが正解だろう。
父はおそらく、私の事を愛してくれていた。
彼なりの方法で。

父と母は独特の関係を持っていた。

私が実家に居る時は、父と母の口論が絶えなかった。
私の思春期はほぼほぼ会話がなく、家庭内別居状態。
やがて、彼らの会話はすべてメモになった。
いつも台所に何かしらのメモが置いてある。
会話をすると口論になるので、最小限の伝達をメモで行っていたようだ。

古くて小さい家だったので、私は2階に居ても台所で繰り広げられる夫婦喧嘩が聞こえてくる。
そんな環境が嫌で、そして自分の部屋が無いことが苦痛で、私は就職を機に家を出た。
私は、境遇を共有できる兄弟が居ないことを心底残念に思っていた。

私が26歳の時、夫と結婚を決めて報告のために父に電話した時のことを、とても鮮明に覚えている。

「パパ、私、結婚することにしたから」
父は1分くらい無言になった。
「もしもし?パパ?」と繰り返しても、全然返事がない。
ひっくり返ったか?と心配していたら、聞こえてきた第一声は
「それは素晴らしいことだ。」

父は誰よりも夫のことを歓迎してくれた。
一体父が夫の何を分かっているのかわからないが、「素晴らしい、素晴らしい」とほめていた。

翌年、そんな父に末期がんが見つかり、余命は1年。
壮絶な闘病生活を送った。
看護疲れで精神が崩壊した母に代わり、ひとりっこの私は仕事を辞めて父の看護をすることにした。
父は、母以外の人に身体を触らせなかったので、訪問看護師なども拒否していた。

父は大腸がんだったので、最期のほうは人工肛門(ストーマ)をつけていた。
寝たきりの父だけど、たいしてご飯も食べないけれど、ストーマは一定時間ごとに交換する必要がある。
栄養が不足していたし、抗がん剤の影響のあって、肌荒れもあり。
色々なケアが必要だった。

「パパ、ママが具合悪いから、今日からさゆ(私)が(体のケアを)やるからね」
そういって初めて体のケアを始めると、父はスッと目を閉じた。
もう、辛くて辛くて仕方ない、というように、絶望的な表情をしていた。
見て見ぬふりをして、その日のケアをやりきった。

その翌日、父は急変した。
救急車で搬送となると、主治医のいる病院に搬送してもらえないことがあるので、何かあってもタクシーか車で主治医の病院までくるように言われていた。そのため、母から連絡をもらった私と夫は車で駆け付け、そのまま父をいつもの病院に連れて行った。

「もう家には帰れないと思ってくださいって言われたから」
母はそういうと、覚悟を決めたというようにとても強い表情で「今から家に帰って、しばらく分の着替えを持ってくる」と言った。
ああ、パパは私に看護されたくなかったんだな…だから急変したんだ。
そう思ったのを覚えている。

そこから一週間、私も母と交代で病院に泊まり込んだ。
最期のほうは、私と母の声には反応しないのに、私の夫の声だけには反応していた。
夫は、病院の食堂とコンビニ食で過ごす私たちのために、お弁当を作って持ってきてくれた。
いまでも、あの時のきんぴらごぼうの味が忘れられない。
母の下着も、父の下着も洗濯して来てくれた。
自分の下着を夫に委ねる母の姿を見て、夫を母のところに連れてきて本当に良かったと思った。

8月15日 終戦記念日。
その日の朝は、私は病室でNHKをつけていた。
「パパ、今日は終戦記念日だよ。テレビ見る?」と聞くと
「見ない。絶対見ない」といった。
毎年食い入るように終戦特番を見ていた父。
あ、この世にさようならを言っている。
今日パパは逝くのかな、そう思った。

夕方、父の心拍が弱くなってきたころ、母が「日本酒を買ってきて。パパはお酒が大好きだったから」と言ったので、病院の隣のコンビニに走った。
そして病室でみんなで乾杯したのだ。
プラスチックのコップで、パパが安心して天国に行けますように、と。

その日の午後8時42分、父は私と母と私の夫の3人に見送られて旅だった。父が息をすうっと引き取った瞬間が分かった。あ、今逝った。私と母が片手ずつを握っていた。父にはそれが分かっただろうか。

父が亡くなった日から葬儀が終わるまでは、なんとすべて夫の夏休みだった。父はきっと、母と私の女二人では大変だろうから、私の夫の夏休み中に全てが終わるように
タイミングをみてくれたのだと思う。

父はたまに私の夢に出てきてくれるけれど、母の夢には出てこないのだそうだ。きっと成仏したのだ。やりきった母を、ゆっくり休ませてやりたいのかもしれない。
私は、時々、一回でいいから父とさしで飲みたかったなあと思うので、
たまに会いにきてくれるのだと思う。

パパ。遠い遠い将来、雲の上で一緒に一杯やりましょう。
まったく、色々と聞いてほしいことも聞きたいことも沢山あるのよ。ママのどこに惚れたの?とかさ。


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