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Re-creation / 2016年度ごあいさつ

2016年5月1日、Collableは設立から4年目を迎えました。3年間の様々なチャレンジに温かい応援を寄せてくださったり、お力添えをくださったり、ご理解をお寄せくださったみなさまに、心から御礼申し上げます。

先日、Collableの理事会を終えました。SUSANOOへの参加を経て、何が変わったのか。そして課題が何なのかを少しばかり明らかにすることができました。3年前何もなかった頃から比べたら、Collableにとって本質的な議論がやっとできるようになりはじめた、という感触を得ています。

3年間、正直模索していたと思います。これだと思うものにはアクションできたけど、それの価値を言語化出来ずにいました。アクションへの自信はあったものの、その価値を言語化できないという状態は、結果として、次第に自分の自信喪失になる無限ループ。一方で、その言語化できない側面があったにもかかわらず、Collableのめざす「ともに」を感覚的に理解してくれ、背中を押してくださった方も多々いたことは大きな励みとなりました。だからこそ、期待に応えたいというもどかしい3年間が続きました。

これまで譲らなかったこだわりの1つとして、ワークショップを手掛ける「仕掛け人」へ注目してきたというこだわりがあります。障害、福祉、多様性…などと明言せずとも、どんな場でも相互に気づきがあり、結果、お互いの理解に繋がり、人間関係を育んでいるという現象は、まさにワークショップ実践家のみなさんが体現しているなぁとずっと思っていました。よく実施する会場は小学校だったり、対象が中学生だったりしていても、たまたま障害者施設だった、たまたま高齢者施設だった実践もされる人が多かった。なぜ「支援者」でない第3者がその場にわざわざ招かれるのか。単なる余暇活動などの延長ではないとずっと思っていました。

インクルーシブデザインでも同じで、インクルーシブデザインでワークショップを手掛ける人が、障害のある人だけを対象に活動しているわけじゃなく、どんな分野や相手に対しても柔軟性があり、そして面白く個性的で、温かい人が多かった。加えて、障害のある人との関わりにおけるケアの大切さ、一方で難しさ、大変さの現実もよく知っている。ほどよく理解があり、ほどよく距離もあり、ほどよく周りを楽にしてくれる存在だなと思ったのです。

彼らの振る舞いはまさに五感を使い尽くし創造的でした。例えば知的障害のこどもたちの不思議な行動を、ユーモアに翻訳してくれる。一見、「その場に怒りそうな偏見を払拭した」だけに見えるかもしれませんが、至って創造的な活動です。「偏見を払拭した」だけなら、そこには楽しさがおきない。自分の日常に繋がるような気付きもない。これはインクルーシブデザインで、見えない方が同じグループでデザインパートナーになってくれるから、お互いにとって新しいアイデアを生み出すことができたことに同じだなと思ったのです。

例えば。

手話は距離があっても話せます。静かにしないといけない明るい環境であれば「おしゃべり」ができる。これはもしかしたら「会話」というものの概念をひっくり返す出来事かもしれません。

見えない人が「青い海」をどう見ているのか。その「青さ」の見え方を真剣に考えてみたら、見るということの可能性が見えてきて、世界の見方が本気で変わるかもしれません。

足りないものを補う支援の視点では、福祉の世界に留まったままの視点に縛られて、この可能性には気づかなかった。

社会はマイノリティへの「理解」が広がるようにと声高々です。しかし、勘の良い方にはわかると思いますが、他人のことが「理解」できないことなんて、みんなもう気づいています。誤解を恐れず綴りますが、理解じゃなくて、社会に必要なのはマイノリティへの「想像」なのだと思います。

理解はあくまで手段であり、目的ではない。知識としての理解に留まらず、マイノリティへの洞察、観察を経た想像が必要だなと思うのです。理解した気になると、「この人はアスペルガーだから」と決めつけがちにもなってくる。「障害者=こうすればいいんだ」という一様の対応ではなく、相手をよく観察しながら、相手に負担のないトライアンドエラーをする人のほうが誠実でクリエイティブで、この誰もが生きづらい世の中であるにもかかわらず、ご自身の生活が豊かそうだなぁと思ったのです。相手への洞察を経て、何か試してみて、また観察して振り返る。その繰り返しが、多様な個性の包摂の1歩になるのだろうと考えています。相手を知った気になっているからこそ起こる弊害。社会的マイノリティに限らず、自分の身近でもありそうです。

私が障害の有無を問わずにこどもたちとひっちゃかめっちゃかして遊んでいるのも、企業さんと一緒にインクルーシブデザインをするのも、一見違うことをしているようですが、背景としては同じである、ということを、少しずつ言葉にですることができてきました。その背景が、今回綴ってみたことです。まだまだまとまりきれてないですが、何か少しでも「わかるわかる」と思ってくださる何かがあれば、嬉しく思っています。

今綴ってみたことを、いろんな人と共有してみたいと思って、「五感ミュージアム(仮称)」という仕組みづくりをしてみたいと思うようになりました。それに基づき半開きなイベントを行いますので、ご興味ありましたらお越しください。

五感ミュージアム(仮称)設立準備座談会「と、なにか」#1 〜「演劇」と「地図」と、なにか〜https://www.facebook.com/events/1621987521460258/

五感ミュージアム(仮称)と言ってしまう時点で、「見えないものが見えてくる」という美術という教科への苦手意識のあった14歳のころを思い返すと、事件だなぁと思うわけです。いいのだろうか、私がミュージアムとか言ってしまって。

とにもかくにもいろいろ思い巡らせているのですが、これ以上書くと止まらなそうなので、今日はここまでにしたいと思います。苦笑

先日のヨコハマプロジェクトさん主催の「チャリティーウォーク in ヨコハマ 2016」で実施した野外ワークショップ「すごいすごろくすごろっく」の様子です。野外ワークショップは、室内と違ってまた違う場の作り方が必要なんだなと思った、楽しい時間でした!お越しいただいたみなさまありがとうございました!

いただいたサポートは、多様な人たちとの関係性が当たり前にある社会の実現に向けて、Collableに寄付します!